キングダム
潼関の戦い特集




はじめての三国志

menu

執筆者:kawauso

【応仁の乱】 もっとも激しい戦であった相国寺の戦い!

この記事の所要時間: 258




大内政弘

 

東岩倉の戦いで勝利を収めて勢いづいた西軍は、1467年10月3日、上京を攻めました。

このとき先陣をきったのは、畠山家お家騒動の張本人、畠山義就(はたけやまよしなり)細川勝元(ほそかわかつもと)とは対立関係にあった守護大名の大内政弘(おおうちまさひろ)でした。

他にも、一色義直(いっしきよしなお)朝倉孝景(あさくらたかかげ)が西軍に合流し、西軍は豪勢なメンバーが揃いました。

一色義直は将軍足利義政(あしかがよしまさ)の側近であり、朝倉孝景は貴族からは「天下の極悪人」と称されながらも、当時としては珍しく合理的な判断が下せる

武将であり、味方の武士からは慕われていました。

 

関連記事:【応仁の乱550年祭り】応仁の乱 重要人物ランキング カウント14

関連記事:【実録】今川義元にいじめられ続けた井伊家と松平家

 

 

死傷者がたくさん出た相国寺の戦い

本能寺の変

 

相国寺(しょうこくじ)は、将軍家である足利家ゆかりのお寺です。

しかし、東軍のいた相国寺は、西軍によって焼き討ちされてしまいました。

一説には、西軍に通じていた相国寺の僧侶が寺に火をかけたとも伝えられています。

東軍は追い詰められますが、畠山政長(はたけやままさなが)は反撃に出ます。

一色義直(いっしきよしなお)の軍を急襲し、相国寺を奪還したのです。

しかし、西軍も黙ってはいません。

「天下の極悪人」朝倉孝景が再び相国寺を占拠、そして一旦休戦となりました。

この戦いでは死傷者がたくさん出てしまいました。

長引く応仁の乱によって、戦っている武士たちもだんだん精神的にも疲弊してしまったようです。

 

 

その頃、将軍足利義政は…?

その頃、将軍足利義政は

 

さて、応仁の乱でもっとも激しい戦いであった相国寺の戦いのとき、将軍足利義政はどうしていたのでしょうか?

実は、このとき義政は相国寺のすぐとなりにあった室町第(むろまちだい)で酒を飲んでいたそうです。

最終的には東軍寄りの態度を示しましたが、ほとんどどっちつかずで、あいまいな態度を取り続けていた義政は、いったいどのような心境だったのでしょう。

後世から見ると、はっきりしない態度を取っているから周りになめられ、畠山義就や山名宗全(やまなそうぜん)に通達を無視されてしまうのだと考えられますが、

当時の義政からすれば「将軍の自分が何を言ったってどうせ聞いてくれないのだから、意味がない」と思い、諦めきっていたのかもしれません。

義政は応仁の乱の最中、大量の酒を飲んでいたことで知られています。

 

慈照寺銀閣(じしょうじぎんかく)を建立するなど、文化面では優れた功績を残しましたが、政治家として守護大名や各地の武士をまとめるということは、

義政には向いていなかったのかもしれません。

 

激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末はじめての幕末

 

相国寺の戦い以降、京都市内での戦は下火に…そして戦国時代へと突入!

 

結果としては西軍の勝利で終わった相国寺の戦いでしたが、東軍・西軍ともに多数を死傷者を出してしまいました。

そして相国寺の戦い以降は京都では戦はおこなわれず、戦いの場は地方へと移っていったのです。

応仁の乱は、もともとは畠山家のお家騒動からはじまりました。

しかし、次第に多くの守護大名や有力な武士を巻き込み、誰にも止められない規模の戦いとなったのです。

戦はずるずると続いていましたが、西軍の総大将である山名宗全が亡くなり、その2か月後に東軍の総大将である細川勝元が亡くなると、

事態は一気に講和に向けて動き出します。

 

応仁の乱ライター星野まなかの独り言

 

結果として、東軍が勝ったのか西軍が勝ったのかよく分からない、あいまいな終わり方となってしまいました。

しかし、この戦いで将軍家の権威は失墜し、力のあるものが生き残ることができるという戦国時代へと世の中は移り変わっていくのです。

戦国時代に活躍した戦国大名は、守護大名から成り上がった者もいれば、主君を倒して自らの力でのし上がった者もいます。

応仁の乱ライター星野まなかの独り言

 

そのため、従来の形式的なものの考え方に捉われることなく、戦によって家臣たちをまとめていく者が多くいました。

乱の張本人である畠山義就は身分の低い母親から生まれ、決して家督を継ぐ立場ではありませんでした。

しかし、他の武士たちの協力を得て応仁の乱で自ら先陣をきって戦い、事実上河内と大和の支配者となった義就は、

日本で最初の戦国大名であるといえるのかもしれません。

 

kawa註 畠山義就は戦国大名のパイオニア

 

畠山義就は、将軍足利義政と蜜月の時もありましたが、義政が東軍の細川氏の庇護にあった関係もあり長い間朝敵(ちょうてき)の扱いでした。

当然、彼が武力で奪い取った河内や大和の領地は違法行為で得た土地として幕府は支配を認めず返還を命じましたが

義就は戦の才能をフルに発揮して、討伐軍を破り、自力で領地を保全していました。

そうです、畠山義就は幕府のお墨付きなしに自力で領土を守り、その支配に必ずしも服さないという意味においては、

幕府に関係なく武力で領地を保全した戦国大名のパイオニアだったのですね。

 

関連記事:「サムライ」が今熱い!E3 2018で話題の侍アクションゲームを紹介!

関連記事:足利義満はどんな人?強きを助け弱きを挫くベタな権力者

 

【古代日本の誕生秘話】
大和朝廷

 




関連記事

  1. ゴールデンカムイネタバレ予想 131話 死神がやってくる
  2. 騎馬兵にあこがれる歩兵 三国志時代の兵士はどうやったら憧れの騎馬兵になれたの?当時の馬事…
  3. 呉の孫権 合肥(がっぴ)むかつく!孫権が合肥攻略にこだわる理由とは?
  4. 【日中清廉潔白対決】北条泰時VS諸葛亮孔明
  5. 年を取った司馬懿 朝まで三国志2017 三国志の最強軍師は誰だ! 第15部
  6. 兀突骨(ごつとつこつ)は実在したの?悲しみの巨人に迫る
  7. 97話:蜀を得た事で呉と荊州の支配問題が再燃する
  8. 秦の始皇帝ってどんな人だったの?晩年期編

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

  1. 大久保利通 幕末

おすすめ記事

  1. 村上義清(むらかみよしきよ)とはどんな人?武田家キラーとしてその名を馳せた戦国武将
  2. 曹丕が建国した魏ってどんな王朝でどうやって滅びたの?
  3. 【はじさん砲】劉備は全然いい人なんかじゃなかった
  4. 三国志禁断ゾーン・悲しい人類の「殉葬」に関する歴史
  5. キングダムネタバレ予想 バジオウが戦死する6つの理由
  6. 【応仁の乱】 もっとも激しい戦であった相国寺の戦い!

三國志雑学

“はじめての三国志150万PV" はじめての三国志コミュニティ総合トピック
“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

三国志の時代の数学を体験してみよう!なんと円周率はおよそ3ではなかった!? キングダム ネタバレ予想537話「休載祭り決定!なんてこったい、今後を大予想」 コンテンツ品質向上に向けてアンケートご協力のお願い 三国志時代の医療はどうなっていたの?華佗以外にも治療を行っていた! 魏の三代目皇帝・曹芳(そうほう)就任により魏は滅びの道を歩んだ? 東方明珠のへなちょこ長安旅行記 その4 ちょっと悲しい桃園三兄弟(劉備・関羽・張飛)の最期 【日本神話の逆襲】卑弥呼に国を奪われた大国主とニギハヤヒの復讐

おすすめ記事

  1. 孫策・周瑜の断金の交わりを生み出したのは袁術のおかげだった!?
  2. 三国志ライターkawausoが魏を斬る!蜀が中華統一をする方法
  3. 三国志の時代のお茶は、全然人気が無かったってホント?
  4. 小松帯刀は篤姫に好意を持っていた?真相に迫れ!
  5. 【おんな城主・井伊直虎を見逃した方へ】第十話「走れ竜宮小僧」の見どころ紹介
  6. 【武器】三国志時代やキングダム時代に活躍した鉤鑲や馬甲
  7. 孔明は劉備の嫁?「水魚の交わり」にはけっこう深い意味があった!
  8. 【徹底分析】キングダムを書いた原泰久はココが凄い!原先生の意外な側面10連発

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“邪馬台国"

“三国志人物事典"

PAGE TOP