【三国志とお金】五銖銭が鋳造された本当の理由

2018年11月19日


 

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董卓

 

董卓(とうたく)鋳潰(いつぶ)してしまった事で有名な五銖銭(ごしゅせん)、実は紀元前118年から西暦621年まで739年、歴代王朝で使われ続けてきた中国史上最も長期間発行されつづけた貨幣でした。では、この五銖銭、一体、どんな目的で鋳造されたのでしょうか?

部下の兵士に褒美(お金)を分け与える曹真

 

物々交換を脱して、円滑な商業活動を促進する為?実は、理由はそればかりではなく、漢帝国の都合による部分が多かったようです。11月の特集「三国志とお金」は五銖銭が発行された本当の目的について紹介します。

 

※今回の記事は五銖銭の発行にまつわる説の一つです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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五銖銭鋳造の目的は?

村人(農民)

 

五銖銭鋳造の最大の目的は、漢帝国の税収の安定の為でした。では、どうして五銖銭の鋳造が税収の安定に繋がるのでしょうか?それは、農作物を物納するような経済だと、その年の作物の出来不出来により税収が大きく変化してしまうからです。豊作なら良いのですが、不作の場合には出来のよくない農作物が出回る事になりそれが事実上、漢帝国の税収を目減りさせたのです。

 

劉邦時代の農民

 

しかし、五銖銭によって税金を取るようになれば、金属貨幣は改鋳(かいちゅう)したり、流通量を激増させない限りは、ほぼ価値は一定という事になります。逆に、庶民は凶作や豊作で穀物価格が下落しても、これを売って五銖銭に代えないと税金が支払えないので、市場の影響をもろに受ける事になりました。五銖銭による納税は、国家に有利で庶民にとっては不利だったのです。

 

 

 

帝国に流通する280億枚の五銖銭

帝国に流通する280億枚の五銖銭

 

前漢の末期の財政によると、当時の中国では280億銭という五銖銭が流通していました。しかし、その中で五銖銭による徴収対象の総額は92億銭にもなりました。およそ、3分の1の五銖銭が税金として国庫に戻ってきていた事になります。こうして見ると、五銖銭の第一の機能は市場を円滑にして貨幣経済を発展させるより一定額の税金を毎年徴収するという意味合いが強い事が分かります。

棗祇(そうし)食料・兵糧担当

 

実際、漢帝国においては、貨幣に相当するものとして、穀物や塩、絹や帛、銀、黄金というようなモノも流通していました。当時の漢帝国全体の経済規模だと銅銭が1000億枚ほど存在しないと経済が回らないからで、280億枚ではとても間に合わず、それを補う形で補助貨幣としての穀物や塩、絹や帛、銀、黄金があったのです。

 

ですが、穀物や絹や帛は金属である五銖銭より品質の劣化が早く、絹や帛は使う分だけを切ったり裂いたりするものですから、使う度に価値が下がります。逆に黄金や銀は永久不変の価値がありますが、希少であり広く流通しない事そして、高価すぎて、納税に使うには不向きでした。そのような事から、漢帝国は納税については、価値が変わりにくくまとまった量がある銅で出来た五銖銭による納税を庶民に求めたのです。

 

※もっとも、漢の時代は前後で400年あるので、後漢の時代になると、五銖銭が徴税の為の貨幣から市場通貨へと性質が変化した可能性はあります。

 

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少額貨幣も高額貨幣もない五銖銭

 

前後漢帝国が繁栄している間、大陸の西でもローマ帝国が栄えていました。こちらも貨幣経済に移行していて、主な貨幣としては、アウレウス(金貨)、デナリウス(銀貨)、セステルティウス(青銅貨)、デュポンディウス(青銅貨)アス(銅貨)という複数の金属貨幣が発行されていました。複数の貨幣が発行されている理由は、説明不要かとは思いますが、多様な金額の支払いに対応する為でした。日本で言えば、チロルチョコ1個を買うのに、1万円札を出すような事は、両替目的でない限りは、普通あり得ないのと同じです。

 

ところが五銖銭は、税金を徴収するのに都合が良いという名目で鋳造されたのでたった一種類の五銖銭しかありませんでした。これは、現在で言えば買い物をするのに、100円硬貨しか使えない事になります。100円通貨しか使えない状態で3万円の買い物をするとすると、100円を300枚用意しないといけません。

 

100円玉の重さは、4・8グラムなので300枚だと1・4キロになります。財布への収納は、まず無理でしょうね。もちろん、後漢から三国時代にかけても庶民は大口の買い物をする時には大量の五銖銭を紐に通して持ち歩いていました。納税には使えても、買い物には割合不便というのが五銖銭だったのです。

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

三国志ライターkawausoの独り言

 

五銖銭が納税の為に鋳造されたというのは意外な事実ではないでしょうか?

 

てっきり、商業を円滑化させる為に鋳造されたと思っていましたが、調べてみると意外な歴史があるものなのですね。

 

参考文献:後漢 ・ 三 国時代貨幣史研究古代 か ら中世へ の 展開 1999年3月31日発行

参考頁:59-84ページ 著者 山田 勝芳

 

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