【三国志裏話】徐晃は関羽から尊敬されていたってホント!?

2018年11月27日


 

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徐晃

徐晃(じょこう)

 

魏の名将として知られる徐晃(じょこう)

そして劉備(りゅうび)の義弟であり、五虎将軍筆頭の関羽(かんう)

この二人にはなんにも関係性がなさそうに思えますが、

実は深い関係だったのです。

 

今回は徐晃と関羽の関係性について紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徐晃と関羽は親友だった!?

徐晃と関羽は親友だった

関羽

 

徐晃と関羽が深い関係性だったって知っていましたか。

二人がどれくらい深い関係性だったのか。

それは徐晃と関羽が親友の関係だったそうです

 

どこからそのようなことがわかったのか次から紹介しましょう。

 

 

 



蜀記の記載から抜粋

蜀記の記載から抜粋

 

蜀記(しょくき)」にはこのような記載がありました。

関羽と徐晃が樊城(はんじょう)で戦っていた時の事です。

 

二人は久しぶりに再開した事もあり戦いの最中にも関わらず、

たわいない話をして盛り上がっていたそうです。

そして徐晃は色々な話をして盛り上がったにも関わらず、

馬から降りて兵士達へ

関羽を討ち取った者には賞金を与える

と大声で告知をしたそうです。

 

関羽は徐晃のこの言葉を聞いてびっくりして

大兄(たいけい)これは一体どう言うことなのだ!!

と問いただします。

 

すると徐晃は

すまんな。これは国家のことだから私情を挟むわけには行かないんだ

と述べて戦いを再開したそうです。

 

このお話は蜀記や三国志演義でも描かれており、

三国志演義ではこのあと徐晃が関羽に一騎打ちを仕掛けて、

関羽を退ける功績を上げています。

 

蜀記と三国志演義の二つの書物が(言い回しは違いますが、)

徐晃と関羽のエピソードを紹介しているので

二人が親友であった可能性はかなり高いと思われます。

 

また徐晃と関羽は互いに河東郡であり、

幼少期から二人が知り合って仲良くしていた可能性があり、

この点からも二人が親友だった可能性が高いと思われます。

 

では別の側面から徐晃と関羽の関係性を紹介したいと思います。

 

袁術祭り

 

徐晃は関羽の先輩で関羽が徐晃を尊敬していた!?

関羽

 

上記で徐晃と関羽のエピソードを紹介しました。

蜀記で関羽は徐晃を「大兄」と読んでいます。

この「大兄」に着目してみたいと思います。

 

「大兄」の意味について色々と調べてみると面白い結果が出てきました。

「大兄」は同年齢もしくはちょっとだけ年上の人へむけて使う敬称なんだそうです

関羽は徐晃へむけてこの「大兄」という言葉を使っていたと言うことは

徐晃の方が関羽よりも少し年上

もしくは同年齢であることがお分かりになると思います。

 

そしてもう一つここが一番重要なのですが、

関羽が徐晃を尊敬していた事が

「大兄」と言う言葉からお分かりになるのではないのでしょうか。

 

 

徐晃と関羽の関係性まとめ

キングダムの信と三国志の曹操

 

では最後に徐晃と関羽の関係性のまとめに入りたいと思います。

 

徐晃と関羽は出身地が同じで幼少期から知り合っていた可能性が高いので、

友達であり親友の関係性だったかもしれない。

 

また関羽が徐晃を「大兄」と読んでいることから親友の関係性ではなく、

関羽が徐晃を尊敬する先輩だった可能性。

 

これら二つの可能性を徐晃と関羽から見出すことがでっきるのではないのでしょうか。

   

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

今回は徐晃と関羽の関係性について紹介しました。

もし関羽が徐晃を尊敬していたとすれば、

かなり面白いと思いませんか。

 

二人は敵将同士でありながらも

個人間の絆は一切壊れることなく継続して続いているのです。

現代でこのような

ちょっとカッコイイ関係性を見出すことはまず難しいのではないのでしょうか。

 

また徐晃のすごいところも

このエピソードから垣間見ることができるのではないのでしょうか。

それは徐晃が個人間の絆(私情よりも)国家という組織(大義)を選んだ所です。

 

レンは徐晃と同じような選択に迫られれば、

私情を捨てきれないで多分関羽を見逃してしまうかもしれません。

みなさんは個人間の絆より(私情)も組織を優先することができますか。

 

参考文献 【正史三国志魏書・蜀書】など

 

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