曹操にやたらめったら褒められる徐晃とは何者なのか?

2021年6月25日


 

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最終的には協力して戦う李典や楽進と張遼

 

魏の五将軍と言えば、張遼(ちょうりょう)楽進(がくしん)于禁(うきん)(ちょう)コウ・徐晃(じょこう)の五人。

 

進撃が止まらない張遼

 

この五人を並べてみるとどうしても張遼の活躍が目に付きますが、他の四人も負けず劣らず優秀で功を挙げているのが魏の五将軍の特徴です。今回はその中でも、特に「やたらめったら曹操に褒められる」徐晃についてのお話をしましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徐晃が曹操の元に来るまで

徐晃

 

さて徐晃ですが、元々は楊奉(ようほう)の配下武将でした。楊奉の配下であった際に徐晃は曹操(そうそう)への帰順を進言します。一度は徐晃の考えを取り入れようとした楊奉でしたが、途中で気が変わって対立。

 

徐晃は曹操に帰順、この際に曹操は徐晃にすぐ一部隊を与えるという破格の待遇で、徐晃もそれに応えて呂布(りょふ)配下を降伏させる働きを見せ、その後もいくつもの武働きを見せています。

 

元主君

楊奉

 

ちょっと余談ですが徐晃の元主、楊奉について。彼はかつては黄巾賊(こうきんぞく)の一首領、そこから()カクの配下、李カクを見限って独立、それから曹操に帰順しようとしてやっぱりやーめた!となって呂布の配下になったりと中々面白い経歴の持ち主です。

 

徒歩の献帝を保護する楊奉

 

それでも献帝(けんてい)を助けたりしているところを見ると、もしかしたら曹操と対立を選んだのは献帝への敬意などがあったのかもしれませんね。

 

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袁術祭り

 

知勇兼備

馬に乗って戦う徐晃

 

と、徐晃の話に戻りましょう。徐晃と言えば関羽(かんう)と戦って勝利したというイメージがありますが、彼の活躍はそれだけではありません。潼関(どうかん)の戦いの時には敵の守備の甘い部分を見抜き、曹操に進言。

 

「私に兵を与えて下さい。河を渡って敵の背後を突きます」この作戦は見事大成功、曹操たちも無事に河を渡ることができました。個人の武勇だけでなく、全体を見ることができる指揮官としての能力の高さも徐晃の力の一つです。

 

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関羽

 

魏の五将軍・徐晃

晋の陳寿

 

そしてその能力の高さは曹操だけでなく、陳寿(ちんじゅ)先生にも評価されています。

 

魏志(魏書)_書類

 

「曹操の時代においての優れた武将と言えば、張遼・楽進・于禁・張コウ・徐晃。彼ら五人が第一」彼ら五人は一つの伝にまとめられていることもあり、魏の五将軍としても有名ですね。

 

敵を相手にして奮闘する張遼

 

それぞれ負けず劣らずの名将揃い、筆頭として張遼の名前が良く挙げられますが、彼らは目立つ場所がそれぞれ違っただけであり、誰が一番ということはない、むしろ「五人を第一」とした陳寿先生の評価は凄く良く分かります。

 

曹操「徐晃すごい」

徐晃と許チョと曹操

 

そして徐晃の特徴というか、面白い事の一つになんか曹操がいつも褒めている気がするがあります。

 

曹操

 

その一つが関羽を打ち破った際のこと。この戦いの際に曹操は徐晃を「戦上手な武将はたくさん知っているけど、徐晃ほど上手く兵を使った人はいなかったね!」と言って「孫武(そんぶ)司馬穰苴(しばじょうしょ)にも勝る」と評価しています。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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