徐晃(じょこう)ってどんな人?魏において、もっとも功績を挙げた無敗将軍

2015年9月27日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

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おとぼけ(田畑 雄貴)

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徐晃(じょこう)は、張遼(ちょうりょう)、楽進(がくしん)、于禁(うきん)、張郃(ちょうこう)と並んで魏の五大将軍に列せられる人物です。それだけでも凄いのですが、徐晃は用心深い戦術で個人の失敗に帰する敗戦がないある意味、無敗の将軍でもあるのです。

曹操 ヨイショ

 

ヨイショ大魔王、曹操(そうそう)に滅茶苦茶褒められた徐晃の不敗の人生を追います。

 

最初に仕えた上司は、後の袁術(えんじゅつ)トホホ武将、楊奉(ようほう)

袁術 伝説 ゆるキャラ

 

徐晃公明(じょこう・こうめい)(?~227年)は河東郡の楊県の出身です。若い頃は郡の役人をしていましたが、車騎将軍の楊奉に仕えて賊の討伐で功績を挙げて、騎都尉(きとい)に任命されました。

 

楊奉

 

ちなみにこの楊奉とは袁術トホホ武将の1人で山賊あがりの楊奉の事です。後の不敗将軍が楊奉のような、しょうもないヤツに仕えていたというのも意外ですね。

 

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李傕・郭汜が長安で内戦、徐晃、献帝を洛陽に移すように進言

怒る 献帝

 

その頃、長安で好き放題をしていた李傕(りかく)と郭汜(かくし)が、どうでもいい事で仲違いし長安の内部で戦争を開始します。もちろん民は巻き添えで大勢死に、通りに白骨は溢れました。

 

徒歩の献帝を保護する楊奉

 

徐晃は、献帝(けんてい)をこれ以上長安に置くのは危険だと考え、楊奉に帝を洛陽に移すべしと進言して入れられます。楊奉は、董承(とうしょう)や韓暹(かんせい)と共に、李傕、郭汜を騙して献帝を連れて、洛陽に戻る事に成功、徐晃は、その功績で都亭侯に任じられました。

 

今度は董承と韓暹が仲間割れ、徐晃は曹操を頼るように進言するが・・

怒る曹操

 

しかし、洛陽に入ると、大将軍に任じられた韓暹が好き勝手に振舞い董承と対立するようになります。徐晃は上司である楊奉に「近くで勢力を伸ばしている曹操(そうそう)を頼り献帝を保護してもらうのが安全」と再び進言します。

 

董承、楊奉

 

楊奉は最初は賛同しますが、結局、山賊仲間の韓暹と組んで董承と対立します。董承が曹操を頼って献帝を売り飛ばすと賊軍になった楊奉と韓暹は曹操の討伐を受けて壊滅、二人は袁術を頼り落ちのびていきます。

 

関連記事:献帝を手にいれて、群雄から抜きん出た曹操

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徐晃、曹操に帰順する

呂布 VS 曹操

 

徐晃は、目先しか見えない山賊気質の楊奉に付き従うのに愛想が尽きて曹操に投降します。曹操は、徐晃に非凡な才能がある事を見抜き稗将軍に任命しました。曹操に仕えるや否や、徐晃は呂布(りょふ)討伐に従軍し、趙庶、(ちょうしょ)李鄒(りすう)を降伏させ眭固(すいこ)を破り、曹操に従い劉備(りゅうび)を撃退しています。

官渡の前哨戦では、顔良(がんりょう)、文醜(ぶんしゅう)を破り袁紹の輸送隊を焼く

顔良&文醜

 

徐晃は官渡の前哨戦である白馬・延津の戦いでは袁紹(えんしょう)自慢の二将軍、顔良と文醜の軍勢を蹴散らす功績を挙げ、さらに官渡の戦いでは大軍で兵糧の消費が激しい袁紹軍の輸送部隊を捕捉して襲いかかり、兵糧車数千台を焼き払いました。曹操は、徐晃のこの手柄を第一として、彼を都亭侯に封じました。

 

徐晃、潼関(どうかん)の戦いで陣地を構築し魏の勝利に貢献する

馬超

 

西暦211年、馬超(ばちょう)と韓遂(かんすい)が反乱を起すと曹操は討伐の為に親征します。しかし、曹操には黄河を渡り陣地を築けないのではないか?という懸念がありました。曹操は、黄河を北に渡り馬超と韓遂軍の背後に陣地を築こうと考えていましたが馬超には優れた騎兵があり渡河の最中に作業を妨害され軍を破られる恐れがあったのです。徐晃は、曹操に対して黄河を北に渡河して陣地を築く事を進言し朱霊(しゅれい)と共に4000騎を引きつれて蒲阪津(ほはんしん)を渡り陣地を築く準備を開始しました。

 

それを察知した馬超は梁興(りょこう)に5000騎を与えて妨害しますが徐晃はこれを破り、陣地を築く事に成功したのです。曹操は喜び勇んで、黄河を渡河しますが、そうはさせじと襲ってきた馬超の騎兵に打ち破られ、あわや討ち取られるという寸前まで行きます。

 

潼関の戦いは以後、曹操は俑道(ようどう)(周囲を土塁で固めた騎兵対策の道)を造りまくり、もぐらになって対抗しますが、賈詡(かく)の離間計で馬超と韓遂を仲違いさせる事に成功して勝利を治めています。

 

関羽、事件を切っ掛けに樊城、襄陽に進撃を開始

関羽 関索

 

西暦218年、曹操が領有していた荊州南陽郡で事件が発生します。太守の東里袞(とうりこん)という男が曹操に褒められようと、民衆に重税を課して税金を大量に都に送り、民衆に激しく恨まれる事になっていたのです。東里袞の配下の侯音(こうおん)はこれに不満を持ち、関羽(かんう)と通じて反乱を画策、これは樊城の太守である曹仁(そうじん)により鎮圧されますが、これにより魏は激しく動揺します。折しも、曹操は漢中攻略戦で劉備に敗れ劉備は漢中王に登って関羽を前将軍に任命し荊州の軍権を委任しました。

 

名将である関羽は、いまこそ荊州を完全に飲みこむチャンスと見て息子、関平(かんぺい)や配下の趙累(ちょうるい)と共に樊城に向かって進撃を開始します。当時、樊城は曹仁、襄陽は呂常(りょじょう)が守っていました、曹操は于禁(うきん)と龐徳(ほうとく)を援軍として派遣しますが、ここで思わぬ事が発生します。

 

折からの長雨で漢水が氾濫し、于禁の七軍は水没、于禁は3万の兵と共に捕虜になり、龐徳は捕えられて斬首されます。関羽は幸運にも船を用意していたので、軍を水没させずに済んだのです。曹操の援軍を撃破した関羽は、余裕で樊城と襄陽を包囲して食糧を断ちました。

 

この敗戦は魏軍に衝撃を与えます、鄴の魏諷(ぎふう)は、この隙を突いて曹操に謀反を起そうとして計画がバレて捕えられ、曹操は関羽の進撃を恐れ、一時は本当に都を移そうと考える程であったと言われています。

 

徐晃、優勢な関羽に挑み、これを撃破する

関羽 激怒

 

曹操は、司馬懿(しばい)と蒋済(しょうさい)に説得されて遷都を思いとどまると、関羽と対立している呉の孫権(そんけん)に密書を送って背後から関羽を突くように持ち掛けます。孫権は、関羽を倒して荊州を奪い返すチャンスと見て、これを承認して呂蒙(りょもう)を送り込み、一方で曹操は、徐晃と趙儼(ちょうげん)を樊城に派遣して関羽と対決させようとします。

 

しかし、曹操が与えた軍勢は僅かでした、趙儼は、今は積極的に動かず、樊城の曹仁と連携を取りながら増援が来るのを待つように進言、単体で関羽と当たる不利を熟知している徐晃は、この意見を採用しました。

 

徐晃は地下道を通じて曹仁と連絡を取りながら、魏軍の状態を報告しつつ曹操の援軍が来るのを待ちます、徐商(じょしょう)と呂健(りょけん)が援軍を引きつれて合流すると徐晃は攻勢に転じ、塹壕を掘り、エン城を奪取すると見せかけると、大軍を恐れたエン城の守備軍は城を捨てて逃げ出します。

 

曹操はさらに5万の兵力を援軍として徐晃に送り、さらに合計12の屯営の兵力が送り込まれます。徐晃は、関羽との対決の準備は整ったとして、いよいよ樊城の包囲を解きに向かいます。

 

徐晃、孫子のお手本のような戦いで関羽を破り樊城の包囲を解く

呂蒙

 

その時、関羽は、囲頭(いとう)と四家(しか)に陣を築いていました、徐晃は囲頭を攻撃すると見せ掛け四家を攻撃します、これは孫子(そんし)の兵法の虚実偏にある「敵の守らない所を攻めよ」というお手本のような戦い方でした。虚を突かれた関羽は、5000騎を率いて徐晃に向かってきますが徐晃はこれを撃ち破り、火のように攻めて、攻めて攻めまくったので関羽は軍を立て直す余裕もなく樊城の包囲を解いて壊走せざるを得ませんでした。

 

関羽は、それでも襄陽の包囲は解きませんでしたが、呉軍に兵糧を奪われた事を知ると敗走、麦城に立て籠り、呂蒙の手で最後を迎える事になります。

曹操、魏のピンチを救った徐晃を褒めまくる

黄忠VS夏侯淵

 

この勝利を喜んだのは曹操でした、定軍山で夏候淵(かこうえん)を失い、漢中争奪戦では劉備に敗れた魏が久しぶりに何とか手にした大勝利であり、とても価値がある一勝だったからです。曹操は、手柄を立てた徐晃を褒めちぎりヨイショが止まりません。

 

「予は30年以上も兵を用いているが、これほどに長い距離を行軍して敵を破る将を他に知らない、ましてや樊城の状況は、燕が斉の即墨(そくぼく)、莒(きょ)を包囲した時よりも遥かに困難であった、将軍の功績は孫武(そんぶ)や司馬穰苴(しばじょうしょ)にも勝るであろう」

 

即墨と莒を包囲した燕の将は諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が尊敬した名将、楽毅(がくき)ですし孫武は孫子の編者、司馬穰苴は春秋時代の斉の名将軍でした、そのような伝説の名将より徐晃は偉大だと曹操はヨイショしたのです。

 

これは「労徐晃令」(徐晃をねぎらう令)という正式な布令によって魏の国内に出された文書です、曹操がいかに喜んだか分かりますね。

 

徐晃が凱旋すると曹操は自ら迎えに行く

抜き出た曹操

 

徐晃が凱旋すると、曹操は摩陂(まは)という本陣から七里も離れた所まで出向いて徐晃が帰還するのを待っていたと言います、2・8キロです、相当待ちかねたのでしょう。

 

曹操は徐晃が帰還すると自ら酒を注いで勧めました、戦勝で無礼講になる曹操軍ですが、一番の功労者である徐晃の軍勢は一人も浮かれる事なく落ち着いて持ち場を守っていたと言われています。

 

もちろん徐晃も終始、控えめであり、少しも浮かれませんでした。それを見た曹操は、ますます感心して「徐晃には周亜夫の風があるのう」とまたヨイショしました。

 

※周亜夫(しゅうあふ)、前漢の文帝、景帝に仕えた人物、丞相、剛直で勇気がありよく諫言した。

 

沈着冷静、万事に控えめで少しも奢らなかった徐晃

 

徐晃は曹叡(そうえい)の時代まで生き、西暦227年に病死します。彼は万事に控えめで星の数程の手柄を立てましたがそれを誇らずいつも謙虚であり部下にも親身になって接したので絶大な人気がありました。

 

曹操という名君に出会えた事を生涯の幸運とし、自分の栄達など気にする様子もなく、いつまでも一兵卒のような気持ちで仕えたので徐晃を嫌う人は皆無だったようです。戦争においては情報を重視、常に最悪の事態を考えるという堅実な将軍であり、バクチを打たず無理をせず、勝機と見たら火のように攻めかかり多くの勝利を手にしました。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

徐晃のような将軍は、情報を重視するので窮地にも陥らず、無理をしないので困難にも遭わないので、一見、危なくない場所ばかりで戦っている平凡な将軍に見えます。張遼のような800対、10万のような無茶な戦法は取らないので、イマイチ人気が出ないというような事にもなるのでしょう。

 

しかし、個人としては無敗の将軍で、もっとも安全パイな将軍ですから、kawausoが魏兵なら是非徐晃将軍に仕えたいです、間違っても張遼とかは嫌です。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

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