あー、お久しぶりです、kawauso編集長です。
最近、サービス疲れって言葉を聴きますよね。
最近、北京に出張した編集長が北京で感じたサービスを考えますよ。
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サービスの概念がない北京
北京には、一流ホテルを除くとサービスという考えは浸透してないです。
ファストフードチェーン店とおぼしき場所で鍋料理を注文しても取り皿やレンゲを添える事はありません。
必要なら給仕の人を呼んで「持ってきて」と言うと不愉快そうに嫌々持ってきます。
日本だと普通にあるコップの水が減ると注いでくれるサービスもないです。
水のサーバーがどこかにあって「ご自由にどうぞ」でおしまいでした。
料理を持ってくると、サービスは終わりというのが北京の普通なのです。
初日に、王府井の夜市で屋台的な店で夕食をとりましたが、中国語が分からないので、カウンターで適当に注文し黙って座っていると、
「早く料理を取りに来い(意訳)」的に怒鳴られました。
そこはセルフだったという事ですが、怒鳴らんでもいいでしょうに
それが不快か?というとそうでもないです。
だって、北京ではそれが普通で、中国語も分からないで、ぼーっと座っている外国人の私が悪いからです。
もちろん、それで腹を立てるお客もいません。
懐かしい、昔の日本もそうだった
サービス概念がないのに、あまり腹が立たないのは、北京の人々に何の悪気もないからでしょう。
こちらが過剰にサービスを求めているからなんかサービス悪いなと思うだけなのです。
編集長が子供の頃は、沖縄でもサービスなんぞない店は普通に存在していました。
客とため口は当たり前で、水を頼むとピッチャーごと持ってきて置く。
日によって料理の味が変わる。
同じ料理でも時々具材が変わる。
テーブルの拭き方が適当、器やコップが欠けている。
もちろん、そんな風でも文句をいう客なんていなかったです。
そんなもんだと思っていましたからね。
サービスが劇的に良くなったのは、編集長が大人になってからだと思います。
ここ20年くらいの風潮じゃないですかね?
最近の飲食店のサービスは良すぎて、昔の人であるkawausoは、かえって恐縮するくらいです。
kawausoは飯を食えば早々に出て行く人間なので、親しい友人を迎えるようなサービスは余計です。
次に来るかどうかも分からないのに不特定多数のお客に、質の高いサービスを強いられるサービス業の人は大変でしょう。
kawausoは特にサービスを必要とはしません。
料理が美味しければ、それが最高のサービスです。
北京にはチップの習慣はない
そういえば、北京ではチップというものはありませんでした。
チップの習慣がある国では、チップを貰えるからサービスを良くするという打算が働く側面があります。
逆に言うと世界標準では、「サービスは個別有料ですよ」という概念が一般的なのでしょう。
そう考えると、北京でサービスらしきものがないのはチップもないので理に適います。
日本の過剰サービスは無料です、それが一円にもならないなら、よほど親切心がある人以外には、業務を煩雑にする面倒な付帯業務です。
日本には水と安全とサービスは無料みたいな概念がありますが、相手に通常業務以上の事をさせるのですから、
サービス料が発生しても無理からぬと思います。
客として居丈高に振る舞う人は、食事料に10%上乗せして支払いし質の高いサービスを受ける。
そうでない人は、それなりサービスで文句を言わない。
そういう色分けをしないとサービス疲れという問題は解消しないでしょうね。
※kawauso編集長のぼやきは、今回で終了です。
本日まで、読んで頂き有難う御座いました kawauso
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