今日のkawauso65「益州からの投降者」

2020年11月16日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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甘寧 裏切る ゆるキャラ

 

益州からの投降者と言うと、呉では甘寧がいるけれど、前後関係が不明な襲粛(しゅうしゅく)という人物もいる。

 

以下は、正史三国志呂蒙伝

 

周瑜とkawauso

 

西暦208年、また周瑜・程普らと西に烏林で曹操を撃破し、曹仁を南郡に包囲した。益州の督将の襲粛が軍を率いて帰順すると、周瑜が襲粛の兵を呂蒙に与えるよう上書した。

 

しかし、呂蒙は「襲粛は胆力があって有能だし、おまけに辺境から呉の徳を慕って遠来したのだから、義の上でも兵を増しても奪うのは妥当ではない」と進言した。

 

孫権は呂蒙の言を入れて兵を襲粛に還した。

指揮を取る呂蒙

 

時期的に、益州から投降者が出るのは早すぎるように思うけどもしかしたら、荊州が曹操の手に落ちた時に、劉璋が曹操に派遣した300名の蜀兵の隊長かも知れない。周瑜が冷たく、呂蒙が襲粛に好意的なのは何故なのか?

 

興味深い所ではあります。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき