孫呉の勢力を大きく広げ安定させることに成功した孫権。そして孫呉の同盟者である劉備の義弟・関羽。二人は領土を接するお隣さんとして互いを刺激しないように気を付けていました。しかし孫権は関羽を攻撃して関羽が治めていた荊州を奪い取ってしまいます。どうして孫権は同盟者である関羽が治めていた土地を奪ったのでしょうか。
孫権が関羽を攻撃した理由その1:関羽に怒りを覚えていた
孫権が関羽を攻撃した理由のその1として、関羽に怒りを覚えていたからです。孫権は関羽に何度か使者を送っていますが、その度に怒っていました。孫権はどのような使者を関羽に送ったのでしょうか。
孫権は家臣の勧めで孫家と劉家の結びつきを強めるため、関羽の娘と自分の息子を結婚させようと考え、関羽の元へ使者を派遣します。関羽は孫権の使者がやってくると激怒し「ふざけんな!!どうして俺が娘をやらなくちゃいけなんだ!!」と言って孫権の使者を追い返してしまいます。孫権はこの時の関羽の対応に怒りを覚えました。それが孫権が関羽を攻撃する要因の一つとなったと言えなくはありません。しかしほかにも原因があります。
孫権が関羽を攻撃した理由その2:兵糧窃盗事件
孫権が関羽を攻撃した理由その2としては兵糧の窃盗事件があります。これは関羽に原因がありました。関羽は荊州から軍勢を率いて曹仁が籠城している樊城へ攻撃を仕掛けます。曹操は樊城を救出するため、于禁らを援軍として向かわせますが、関羽に降伏。
関羽は于禁を降伏させることに成功しますが、兵糧が足りなくなってしまいます。そこで関羽は足りなくなった兵糧を孫権の領土から盗み取ってしまいます。孫権は関羽が無断で兵糧を奪ったことに怒りを覚えたことでしょう。孫権が関羽を攻撃してもしょうがないと思います。しかし孫権が関羽を攻撃したのは上記二つだけではありませんでした。
孫権が関羽を攻撃した理由その3:荊州を手に入れるため
孫権が関羽を攻撃した理由のその3としては、荊州を手に入れるためでした。孫権は荊州の土地が欲しく、関羽が樊城を攻撃する前に一悶着起こしますが、劉備側が南荊州の領土を割譲した事で何とか収まります。しかし孫権は劉備の領土で関羽が治めている荊州のすべてが欲しかったのです。そんな中、関羽が自ら兵を率いて樊城へ出陣。
関羽が出陣した事で荊州の守備力が低下し、簡単に落とせる状態になります。孫権は長年の関羽に対して溜まっていた怒りと荊州が欲しい欲、劉備との同盟を秤にかけます。そして孫権が天秤にかけて熟慮した結果、劉備との同盟を破棄して荊州を奪うことに決めたのです。これらの原因が相まって孫権は関羽を攻撃する事になるのです。
三国志ライター黒田レンの独り言
かなりざくっとですが孫権が関羽を攻撃した原因を今回は紹介しましたが、孫権が関羽攻撃を行ったのは突発的な出来事ではなく前々からしっかりと計画を行っていたのですその証左として例えば孫権は曹操へ「私達が関羽を攻撃すれば関羽の軍勢も慌てて退却すると思われます。
そこで私達が関羽が治めている荊州へ攻撃をしてあなた様の役に立ちたいと思います。」と手紙を送ってから、関羽へ攻撃を行っています。孫権は関羽へ攻撃を行う前に曹操へ降伏し、自らが曹操へ忠誠をもって仕えるつもりですと曹操へアピールする事を考えて手紙を送っています。
しかし孫権が曹操宛へ送った手紙の狙いとしては、荊州を攻撃している最中に孫呉の領土へ曹操軍が攻撃しないようにするための予防の意味も持っています。このように孫権はかなり計画的に関羽討伐を行うためにしっかりと前もって準備していたので、関羽を取り逃がすことなく、討ち取ることができたのです。孫権のしたたかな一面を垣間見ることのできる出来事ではないのでしょうか。
参考 正史三国志呉書など
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