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曹仁(そうじん)ってどんな人?熱血と沈着冷静、大人な大将軍の人生

この記事の所要時間: 530




曹仁

 

曹仁(そうじん)は、曹操にとっては、一番古くからの部下です。

この人も演義の影響で孔明(こうめい)にいいようにコテンパンにされていて、

兵法書を勉強して再現した八門金鎖(はちもんきんさ)という陣形を

簡単に破られたりしています。

 

何となく、中途半端な脳筋のイメージが付きまとう

曹仁は本当はどんな人だったのでしょうか?

 

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関連記事:曹仁が繰り出した高度な陣形 八門金鎖の陣を繰り出す。劉備軍はどうやって攻略したのか?

関連記事:正史三国志魏書での最強武将TOP3は呂布・張遼・曹仁じゃない?

 

 

え?曹氏だけど、曹操とは血縁はない?

曹操 詩

 

曹仁は字を子孝(しこう)といい西暦168年に豫(よ)州、沛(はい)国

譙(しょう)県に生まれました。

 

夏侯惇のような夏侯氏ではない事から、

曹操の血縁者のようなイメージですが、実際は曹操(そうそう)の養祖父である

曹騰(そうとう)の兄の曹褒(そうほう)の孫にあたり直接の血縁はありません。

 

ヤンキー曹操

若い頃の曹仁は、「俺も昔は悪かった・・」を地で行く乱暴者でした。

しかし、弓術、馬術、狩猟を好むなど、ただ馬鹿やっている人物ではなかったので

次第に周囲の人望を集め、不良少年などを束ねる存在になります。

 

 

西暦190年、董卓討伐を叫んで若者数千名を集めて蜂起

曹仁 曹操

 

西暦190年、22歳の曹仁は、密かに数千人の若者を集めて、

董卓の旗を掲げて蜂起、淮(わい)水と泗(し)水(徐州周辺)で大暴れをしています。

やがて、曹操が旗揚げした軍に合流し、曹仁の長い曹操軍の武将としての

人生がスタートします。

 

別部司馬・行厲鋒校尉(ぎょうれいほうこうい)に任命された曹仁は

西暦193年、袁術との戦いで多くの敵兵を討ち取ったり、

捕虜にしたりと手柄を立てます。

 

ほどなく陶謙(とうけん)との戦いにおいては騎兵を率いて先鋒となり

別軍を率いて陶謙の部将である呂由(りょゆう)を破り、

彭城において本軍に合流しそこでも大いに功績を挙げました。

 

そうです、肥満していてモサッとしたイメージの曹仁ですが、

実は騎兵を扱いこなせるスマートな用兵が出来る稀有な人材なのです。

 

快進撃を続ける曹操が徐州の費(ひ)・華(か)・即墨(そくぼく)

開陽(かいよう)を攻撃すると、陶謙が援軍を派遣しますが、

曹仁は再び騎兵を率いてこれを破ります。

陶謙にも自慢の丹陽(たんよう)兵がいましたが、曹仁の騎兵には通用せず、

ショックで引きこもりになった陶謙は、やがて病死してしまいます。

 

赤壁の戦いを斬る!赤壁の戦いの真実
赤壁の戦い

 

別府司馬(べっぷしば)とは、別動部隊の事

曹仁

 

ちなみに別府司馬というのは、独自の部隊を率いている武将に与えられる役職で

曹仁が単騎ではなく暴れ回った数千の軍勢と共に曹操に合流した事を意味しています。

 

もちろん主従関係にはありますが、自分でまとめあげた部隊を持って動いている

という点に、曹仁の非凡な統率力が見てとれます。

 

張繍(ちょうしゅう)との戦いでも手柄を立てる曹仁

鄒氏

 

西暦197年、曹操が降伏させた宛の張繍の兄の未亡人鄒氏(すうし)に夢中になって、

張繍に背かれた時にも、曹仁は黙々と戦果を挙げ、低下した曹操軍の士気を

奮い立たせて督戦しました。

 

曹操は、張繍相手の戦いでは、敵の名軍師、賈詡(かく)の計略もあり、

敗戦続きで余り良い事が無かったので、曹仁の働きには深く感謝したと言います。

まさに戦闘職人、曹操がエロ事に興じていようが自身は成すべき事を為す

という曹仁の真骨頂でした。

 

関連記事:鄒氏|その美貌ゆえに破滅した悲劇の女性

関連記事:女好きの英雄曹操、危機一髪の大失敗

関連記事:ある意味、戦乱時代の勝者? 賈詡とはどんな人物だったか?

 

狼狽する曹操に劉備(りゅうび)討伐を進言

逃げる劉備追う曹操

 

西暦200年、官渡の戦いが起きると、曹操が袁紹(えんしょう)との戦いに

掛りきりになっている隙を突いて、劉備が許昌周辺でゲリラ活動を展開し、

多くの県を袁紹側に寝返らせていきます。

 

曹操は、苦戦している袁紹戦で頭が一瞬真空になり、どうすればいいものか

戸惑って狼狽しますが、その時に曹仁は進言しました。

 

曹仁「劉備は、ここに来て日が浅く、まだ諸県の信頼を得ていません。

彼らは日和見しているだけ、今ならば、突き崩す事が出来ましょう」

 

曹操はハッとして、曹仁に騎兵を与えると、曹仁は劉備を撃退、

寝返った諸県は、またオセロのように曹操に服しました。

 

高幹(こうかん)を降伏させた心理戦

曹操 魏王

 

西暦205年、高幹が、曹操が烏桓討伐に出向いた隙に壺関で反乱を起した時、

曹操は、「賊を一人残らず穴埋めにせよ」と命じました。

 

しかし、曹仁は、力攻めは被害を拡大するとして反対します。

 

曹仁「壺関の兵は逃げ場がないので必死に戦い降伏しないのです、

ここは力攻めではなく計略を用いましょう」と進言します。

 

曹操は成程と考えを変え、以前に袁家から曹操に降伏した呂翔(りょしょう)、

呂曠(りょこう)を偽装降伏させて、高幹に曹操軍に夜襲を掛けさせるよう唆します。

事態を打開しようと焦った高幹は計略にかかり、曹操軍に捕えられました。

曹仁は一連の手柄で都亭侯に任命されます。

 

このように曹仁は力攻めばかりではなく、敵の心理状態を読み切り、

的確なワンポイントアドバイスで曹操を助けました。

 

関連記事:曹操、生涯最大の苦戦 白狼山の戦い|烏桓討伐編

関連記事:曹操 生涯最大の苦戦 烏桓討伐|完結編

 

 

曹仁の勇、数十騎で同僚の牛金(ぎゅうきん)を救出する

周瑜 死

 

赤壁の戦いの後、曹仁は呉の周瑜(しゅうゆ)との戦いに入ります。

曹仁は南郡を堅守して、周瑜の数万の軍勢と交戦しますが、

周瑜の先鋒6000名に配下の牛金の兵300を向けました。

 

しかし、戦上手の周瑜は魏に心理的なショックを与えようと、牛金を

いきなり撃破するのではなく大軍で包囲してジワジワ攻め立てます。

 

南郡では、曹仁の副官の陳矯(ちんきょう)がそれを見て顔面蒼白になります。

 

曹仁「おのれ小癪な!周瑜め、牛金をなぶり我が軍の士気を下げるつもりか!」

 

曹仁は周瑜の狙いを悟って憤慨し、数十騎を従えて城を出ようとします。

もちろん、陳矯は、これを止めますが曹仁は聞きません。

 

曹仁「放せ!陳矯、我が軍の武勇を呉の若造に見せてやる!」

 

曹仁は、周瑜の数万の兵に突撃し、何とか牛金を救出して城に帰還します。

これには、周瑜も呉軍も度肝を抜かれ、同時に魏軍の士気は上がります。

 

曹仁は、その後も周瑜に致命傷となる矢傷を与えるなど奮戦しますが、

結局、計略に勝る周瑜により南郡は奪われてしまいました。

 

関連記事:赤壁の戦い後の江陵攻防戦(曹仁VS周瑜)

関連記事:孫策と周瑜の怪しい関係は事実だったの?子不語にある逸話を紹介!

 

 

関羽に樊城を攻められるも、ついに守りきる

関羽 死

 

西暦219年、曹操の漢中攻略戦の敗戦を見越した関羽(かんう)は、

荊州北部を併合しようと、曹仁の守る樊城を攻めます。

 

曹操は、もちろん援軍を出しますが于禁(うきん)龐徳(ほうとく」の7軍は、

折りからの大雨による漢水の決壊で水没し援軍は壊滅します。

 

関羽は、漢水を越えて侵攻するつもりで船を用意していたので、

水没の影響を受けず、曹仁は城内の数千の兵で関羽の数万の包囲を受けるという

苦しい状況に追い込まれます。

 

しかし、曹仁は、樊城の将兵を励まして、軍規を厳しくして頑強に守ります。

やがて、無敗将軍の徐晃(じょこう)が援軍として到着呉からは呂蒙(りょもう)

関羽の背後を脅かし関羽は樊城の包囲を解きました。

 

樊城が陥落すれば、曹操は許都を放棄して北方に遷都しないといけない程に

追い詰められていましたが、曹仁は曹操の期待に見事に応えたのです。

 

関連記事:関羽 傲慢すぎて魏と呉の秘密同盟のきっかけに

関連記事:関羽の死|桃園三兄弟の悲しい別れ

 

位人臣を極めた曹仁の最期

 

曹仁

 

西暦220年、曹操が死に、曹丕が魏を建国して文帝になると、

曹仁は車騎(しゃき)将軍、都督荊揚益州諸軍事、陳侯に昇進します。

 

 

西暦223年、曹仁は56歳で死去、沈着冷静で、果断、一度決心したら

火のような行動力で敵を粉砕する勇気は騎兵を率いるのに最適な特性だった

と言えるかも知れません。

 

関連記事:曹丕が献帝を廃し魏を建国

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

三国志演義では、モサッとした雰囲気で、安定した守将のイメージの曹仁

しかし、実際の曹仁は、機を見るに敏で、守るべきは死守し、攻めると

火のようであり、まさに戦争プロフェッショナルな職人仕事を見せました。

若い頃の軽率な乱暴さも、自分が大軍を率いて責任を持つようになると、

精神修養を積んで薄れていき、常識をわきまえ、軍規を厳しくし、

曹丕は、軍を動かすのには、曹仁を手本にしろと常々言っていたそうです。

 

元ヤンキーで、年を経てから温和な経営者になる人がいますけど、

曹仁もそういうタイプだったのでしょう。

 

今日も、三国志の話題をご馳走様でした。

 

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三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

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