戦国時代の合戦は現地集合!結構アバウトな連絡網、陣触


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画像:応仁の乱Wikipedia

 

戦国時代の見せ場と言えば、何といっても合戦のシーンです。

数千、数万という人間が鎧兜(よろいかぶと)に身を固め、旗幟も鮮やかに騎馬で進軍するのを見ると戦国時代ファンでなくとも胸が躍るのではないでしょうか?

しかし、ドラマや映画で出てくるのは、行軍やこれから合戦!というシーンばかりで合戦がどのように決まるかは中々出てきませんよね?

そこで、はじめての三国志では、合戦がどうやって始まるのかを調べてみました。

 

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戦国時代の合戦は現地集合?

画像:耳川の戦いWikipedia

 

映画やドラマなどでは、軍隊が行進していくシーンがある事から、私達は何となく、合戦は、本拠地に集合してから全軍で押し出すイメージですが

実際には、現地集合であったようです。

 

戦国時代には城下町が形成され、そこに武家屋敷もあったのですが、すべての武士がそこに住んでいるのではなく、自分の領地を持ち

地方で自活する武士も大勢いた事から、一々、本拠地に集めるより、現地に向かってもらう方が合理的でした。

そこで、合戦が決定すると早馬が大名の領国の各地に飛ばされて、合戦の日時と場所を知らせます、これを陣触(じんぶれ)と呼んでいました。

陣触は基本的には書面で、「○○月〇日に××川の付近に陣を敷け」というような簡単な内容だったそうです。

 

それも日時と場所が最初から分かる事は(まれ)で、大体は、「そろそろ合戦があるから準備を怠るな」と陣触が来て、

それからおいおい、日時と出陣場所が決まるというのが普通だったとか、それも一度決まってから、変更になる事もザラであり、

一度でビシッと決まる事はあまり無かったようです。

お家存亡の危機なのに、なんだかアバウトですね。

 


 

やる気あるのか?陣触が届かないケースも

画像:毛利元就Wikipedia

 

また、この陣触、出したからと言って、領内の全ての武士に届くとは限らず、結構、連絡網から漏れる武士も出ていたそうです。

なんだか日本人らしくないTHEアバウトな連絡網です。

実例としては、1557年、中国の覇者、毛利元就(もうりもとなり)は、

 

「陣触については、惣家(そうか)(ちゅう)にもれなく触れるように注意せよ、毎年、触れ落としがあるように聞いている。

いつぞやも入江(いりえ)福原善五郎(ふくはらぜんごろう)等には、一向に触れなかったと言うではないか」

このような書状を出して、陣触の徹底を部下に呼び掛けています。

 

この福原善五郎という武士は、主家の戦なのに知らされず、すべて終わってからダチョウ倶楽部ばりに

「聞いてないよォーー」になってたんでしょうね。

こんな凡ミスで兵力不足で負けたら、洒落にならないですけど・・

 

【蒙古が海からやってきた】
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陣触に遅れると大変な事に・・

 

陣触が届かなかった場合はやむを得ないですが、陣触が届いていながら、約束の刻限に遅れると御陣不参(ごじんふさん)という厳しい罪になりました。

なにしろ、大名にとっては、この一戦に家の命運が懸かるのですから、それに間に合わない部下など洒落になりません。

年代は定かではありませんが、後北条氏の配下にあった、井田因幡守(いだいなばのかみ)という下級武士が御陣不参の罪を犯した時には

家督を氏直に譲り大御所になっていた北条氏政(ほうじょううじまさ)がカンカンになっていました。

 

事態の深刻さを知った井田が重臣の山角紀伊守定勝(やまずみきいのかみさだかつ)を通して()びを入れるも氏政は一切取りつくシマもなく、

困り果てた山角は、同じく重臣の遠山直景(とおやまなおかげ)に連絡、遠山は井田に書状を出し、

「まだ勘気(かんき)は解けていないが、明日も参府して山角と相談するので連絡を待つように」

として、引き続き弁明に当たっています。

 

この話がどうなったか分かりませんが、陣触は色々緩いわりには日時に遅れると大変な事になる、なかなか緊張感のあるものだったようです。

 

参考文献:日本軍事史 高橋典幸、山田邦明、保谷徹、一ノ瀬俊也


  

 

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

 

合戦は現地集合、知らせは陣触という文書で到達し、日時は二転三転する事がザラおまけに連絡網から外れて、

陣触を知らない武士がいるアバウトぶりなのに、その割には、遅れると厳しい処分があったのが戦国時代の合戦の前段階でした。

このアバウトさとルーズさは時間に正確な現代日本人らしくありませんが、実は、時間に正確な日本人というのは明治に入って時間厳守の風潮が

生まれてからの事で、それ以前の日本人は、特別、時間厳守する民族ではなかったようですよ。

 

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