三国志の乱世では国を継ぐ後継者を決める時、非常に難しい決断を求められることになります。例えば曹操の例を挙げてみましょう。曹操は曹丕と曹植どちらを後継者にするべきか最後の最後まで迷っていたそうです。最終的に曹操の跡を継いだのは曹丕で、一応自分が生きている間に後継者を決めた事で国を保つことができました。
しかし名門・袁紹は、生前に後継者を決めておかなったせいで、彼の死後、彼が治めていた領土が乱れてしまい、滅亡してしまいます。このように後継者問題は非常に繊細かつ決断力が必要な問題で、一歩間違えば国が亡くなってしまうことだってありえるのです。
後継者を決めなかった劉表
三国時代の前半・荊州は非常に平和な土地でした。この土地を治めていたのは、劉表という人で若い頃から優秀な人物でした。劉表は優秀で行政手腕も卓越しており、群雄割拠の時代で各地が戦乱で荒れていた時も荊州だけは平和で豊かな土地でした。そんな劉表には長男の劉琦と劉琮、もう一人息子がいましたが、後継者をはっきりと決めませんでした。どうして劉表は後継者をはっきりと決めなかったのでしょうか。
後継者をはっきりと決めなかった理由とは?
劉表はどうして後継者をはっきりと決めなかったのでしょうか。それは劉琮と蔡氏が原因です。劉表は自分が可愛がっていた側室・蔡氏の産んだ劉琮を非常に可愛がっていました。蔡氏も劉琮を劉表の後継者にしたいと考え、劉表に事あるごとに劉琮を後継者にするようにアドバイス。蔡氏は自分の言葉だけでは劉表を動かすことができないかもしれないと考え、自分の弟で重役となっている蔡瑁や甥っ子である張允に「劉琮を後継者にするように劉表殿へ進言してくれ」とお願いします。二人は蔡氏のお願いを聞いて劉表へ「劉琮を後継者にするように」と何度も進言を重ねます。
その結果、劉表は劉琮を後継者にしてしまおうか迷い始めていた事もあり、長男・劉琦をとりあえず自分の元から離れさせてしまうのでした。しかし劉表は依然として後継者を決めず、月日だけが過ぎていき、後継者を定める前に亡くなってしまうのです。
後継者を決めなかった事で国を失くしてしまう
劉表が後継者を決めなかったせいで、劉表が亡くなると国が大きく混乱してしまいます。劉琦は劉表死後、劉琮に反発している家臣を集めて劉琮から離れ、劉備と手を結んでしまいます。劉琮は劉表死後荊州の主に君臨しますが、大軍を率いて荊州へ向けて進軍してきた曹操軍に対しての方針を決められなかった事が原因で降伏してしまいます。劉琮や劉琦は生まれ故郷であった国を亡くしてしまうのでした。
三国志ライター黒田レンの独り言
劉表がしっかりと後継者を定めなかったせいで、劉琦や劉琮、劉表の大勢の部下達は国を失くしてしまうのです。もし劉表が側室に惑わされることなく、長幼の例に則って劉琦を後継として定めていればだいぶ違った結末を迎えたのではないのでしょうか。例えば劉表が早い時期に劉琦を後継者として定めていれば、
劉琦に実績を付け、家臣達から信頼を得ていれば、自分の死後劉琦が家臣達をしっかりと統率し、国を保つこともできたのではないのでしょうか。ほかにも劉表が劉琦を後継者に定めていれば、曹操軍の大軍に対してどのような方針を取るのがベストなのかしっかりと考える時間を作ることが出来たのではないのでしょうか。このようにもしもを語れば色々と出てくるのですが、劉表がしっかりと後継者を定めていれば、もう少し違った三国志の世界が見えてくるのではと考えてしまうのはレンだけでしょうか。
■参考 三国志武将辞典など
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