【春秋左氏伝】兄弟思いの衛の二公子の切なすぎる顛末


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関羽に無視される孫権

 

三国志の関羽(かんう)が暗記するほど愛読していたという『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』。
関羽に近づいてみようと思って読んでいるのですが、なんだかわけのわからない切なすぎる話がありました。
父の言いつけをはたすために自ら死地に赴こうとする兄を死なせないために弟が兄の身代わりになったら、兄も死んじゃったという……

なんでそんなことに。わけがわかりません。

よくわからないけど春秋時代の人の行動様式ってこんなんなの!? というのを読者様と共有したくて記事にしてみました。

 

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簡潔すぎて何が起こってるんだか分からない『春秋』

簡潔すぎて何が起こってるんだか分からない『春秋』

 

その出来事は、『春秋』の桓公十六年の記述の注釈部分に記されています

『春秋』は魯の年代記ですので、「桓公十六年」は魯の桓公の治世の十六年、紀元前696年だそうです。

『春秋』の本文にはこう書いてあります。

 

十有一月衛侯朔出奔斉

(十有一月、衛侯朔(えいこうさく)(せい)に出奔す)

 

『春秋』の本文(「経(けい)」と言う)に書かれているのは

「十有一月衛侯朔出奔斉」の十文字だけです。

原文はきっと私にはちんぷんかんぷんな魯国の古代文字で書かれていたことでしょう。

 

この十文字だけでは何が起こっているのやらさっぱり分からないので、

注釈書である『春秋左氏伝』には「経」のあとに「伝(注釈)」が付いています。

(というか『春秋』の「経」に左氏の「伝」が付いたものを『春秋左氏伝』という。

左氏は左丘明(さきゅうめい)という人だと言われていますが真相は不明)

 


 

衛の宣公のご乱行

 

左氏の伝によれば、これは衛国の後継者争いの話のようです

ことの発端は、衛の宣公(せんこう)のご乱行です。

要約してみます↓

 

むかし、衛の宣公には急子(きゅうし)という息子がいました。

急子が大きくなったので、宣公は息子のためにお嫁さんを見つけてあげました。

急子の妻として迎えられたのは宣姜(せんきょう)という女性。

ところが、宣公はこの息子の嫁が美人だったため、横取りして自分のものにしてしまいました。

宣公と宣姜の間には朔と寿という二人の子供が生まれました。

急子の母親は首をくくって死んでしまいました。

 

 

急子くんは、美人の奥さんが来たと思って喜んでいたらパパに取られちゃったんですね。

それで、自分と親子ほども年のちがう異母弟が二人できたわけです。

急子の母親がなぜ首をくくったかについては、左氏伝には明記されていません。

 

三国志の呉を滅ぼしに行ったメンバーの一人で左伝マニアの杜預(どよ)

春秋経伝集解(しゅんじゅうけいでんしっかい)』では

「失寵而自経死(寵を失いて(みずか)経死(けいし)す:寵愛を失ったから首をくくった)」

と説明されています。

ちなみに、「解」とは「伝」の注釈(つまり注釈の注釈)です。

 

はじ三ユーチューバー目指すってよ
袁術祭り

 

急子暗殺計画

陳平

 

急子は兄弟の中では年長ですが、実母が亡くなっているので衛国の後継者候補としての立場は微妙です。

朔と寿を産んだ宣姜にとっては、急子は目の上のたんこぶです。

左氏伝の続きを要約してみます↓

 

宣姜は息子の朔とともに急子を陥れにかかりました。

宣公が斉国への使者として急子を派遣することにした際、

宣姜と朔は秘密裏に(しん)という土地に伏兵を置き、

急子を待ち伏せて殺そうとしました。

朔の同母弟の寿はこの陰謀を急子に知らせ、急子を逃がそうとしましたが、

急子はこう言って寿の忠告をしりぞけました。

「父の命令を廃するようでは子たりえようか。

父という概念のない国であればそれでもいいのだろうが(我が国はそうではない)」

 

え~、ここはひとまず逃げておいて、あとからゆっくり言い訳考えましょうよ兄さん……。


 

最悪の結末

 

急子がどうしても行くらしいので、しかたなく送別の宴となったもようです。

 

急子が出発するに臨み、酒を飲んで酔っている隙に寿は急子の旗を自分の車に付けて先に出発しました。

伏兵はそれを急子だと思い、寿を殺しました。

後から現場に到着した急子はこう言いました。

「私がこの目に遭うべきなのだ。寿に何の罪があるというのだ。私を殺してくれ」

そこで伏兵は急子のことも殺しました。

 

ええぇ~。

二人とも死んじゃった……。


  

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンの独り言

 

ひどい話ですよねぇ。

急子、危ない目に遭うって分かっていれば、ぽんぽんが痛いとでも言っておつかいやめるわけにはいかなかったんでしょうか。

父の命令に背いたら村八分みたいな世界だったんですかね?

弟が命がけで助けてくれようとしたのに結局自分も死んでしまうというのも、なんとも切ないです。

おまけに、この件で急子と寿に同情する人たちから恨みを買った朔は、衛公の位についたあと急子の守り役だった人たちから位を追われ

国外に亡命しています。

誰も得していません。トホホです。

 

このお話は、どう受け取ればいいのでしょうか。

急子の親孝行さとか、急子と寿の兄弟愛を褒め称えればいいんでしょうかね??

それとも、息子の嫁を横取りするなんて宣公わるいやつ、って思っとけばいいんでしょうか。

儒教社会では、目下の人が目上の人に逆らえないから、目上の人に徳がなければ全てが破綻しますな。トホホ……。

 

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