三国志の英雄が未来の人間からパクるという怪現象


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武田信玄

 

今から二千何百年も前に成立したと言われている兵法書『孫子の兵法』に、次のような一節があります。

「其の(はや)きこと風の如く、其の(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、

動くこと雷霆(らいてい)の如く……」これ、武田信玄(たけだしんげん)の軍旗の風林火山の精神そのまんまですよね。

ここで、孫子は信玄からパクっていたのか! と思うのは間違いです。

孫子のほうが昔の人ですので、ふつうに考えて、信玄が孫子を参考にして軍旗を作ったに決まっています。

ところが、三国志の世界では、英雄たちが未来の人間からパクって行動するという怪現象が起こっているのです!

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:「十万本の矢」孫権・周瑜・張巡の変遷とパクリ歴史を紹介

関連記事:呉の諸葛恪が目指した政治は孔明のパクリだった!?

 


 

タイムリープじゃないよ

kawauso編集長

 

三国志の英雄たちはどうやって未来人からパクったのでしょうか。

タイムリープものの二次創作でしょうか。

いいえ、タイムリープではございません。

三国志の人物が三国時代の中でそれをやります。

ただし、それは正史三国志ではなく、三国志演義の中での話です。

 

三国時代は今から1800ほど前ですが、史実が語り継がれるうちに様々な三国志エピソードが生れていきました。

今から400年ほど前に、様々な三国志エピソードと歴史書を融合させて生れた歴史物語小説が三国志演義です。

三国志演義はあまり極端に荒唐無稽(こうとうむけい)なエピソードは採らず、歴史書を参考にしながら時代考証を加えたうえで成立した読み物です。

しかし、いかんせん三国時代から1300年ほども経ってしまっているので、これは三国時代には既にあったんだっけか?

ということが分かりにくくなっていたのでしょう。

三国時代にはまだなかった言葉が混入していることがあります。

また、三国時代より後の時代の人物が行ったことで、これカッコイイんじゃない? と思うものを、三国時代の人物をかっこよく描くために

パクったというケースもございます。

 


 

周瑜のあのせりふはパクり!

周瑜と陸遜

 

三国志演義第49回、赤壁の戦いの場面に具体例があります。

魏から大軍が攻め寄せてきて、それを長江で防ごうとしている呉の周瑜(しゅうゆ)

緒戦の首尾はまずまず。水上船に必要な矢の準備もととのっていましたが、周瑜は突然寝込んでしまいました。

諸葛亮がお見舞いに来ると、周瑜はこう言いました。

 

「『人に旦夕(たんせき)の禍福あり』といいますね。思う通りにはいかないものです」

 

すると諸葛亮はこう応じました。

 

「『天に不測の風雲あり』といいますね。思う通りにできるものでしょうか」

 

周瑜が寝込んだ原因は、魏との合戦を考えた場合に風向きが呉軍にとって不利であることを思い煩ったことによる心労です。

周瑜はそのことを誰にも言っていませんでした。

 

諸葛亮が来た時には、体調が急変することは予測できないものですねという意味で「人に旦夕の禍福あり」と言っただけです。

諸葛亮は周瑜の悩みを見抜いていたため「天に不測の風雲あり」と言って、あんた風向きを心配しているだろう、俺が相談に乗ってやる、

と言ったわけです。

 

「天に不測の風雲あり 人に旦夕の禍福あり」は中国ではことわざとしてよく知られている対句です。

これの出典は、宋の宰相・呂蒙正(りょもうせい)の「破窯賦(はようふ)」です。

周瑜のせりふはこれのパクりですね。(名句を引用しただけですが)

呂蒙正は10世紀~11世紀の人、周瑜は2世紀~3世紀の人。

未来人からのパクりです!

 

赤壁の戦いを斬る!赤壁の戦いの真実
赤壁の戦い

 

諸葛亮のあの計略もパクり!

諸葛亮のあの計略もパクり

 

三国志演義第46回、同じく赤壁の戦いの場面で、諸葛亮にも未来からのパクりがあります。

長江で魏と戦おうとすれば、水上戦で大量の矢が必要になると考えた周瑜。

諸葛亮に十万本の矢を製造してくれるように依頼します。

 

諸葛亮は矢の製造にとりかからず、ある晩、草束を立て並べた小舟を漕ぎ出して魏の陣営に近づき、目の前を往来します。

その晩は濃霧がたちこめ、魏軍は舟の正体が分からぬままに、敵襲とみなして矢を射かけてきます。

草束にたっぷりと矢が突き刺さると、諸葛亮は引き返しました。

こうして矢の調達に成功したという、諸葛亮の鬼謀神算(きぼうしんさん)エピソードです。

 

唐代のことを記した正史の「新唐書」では、張巡(ちょうじゅん)という人物が夜陰に乗じてわら人形を敵前にさらし、それに矢を射かけさせることで

数十万本の矢を得ています。

諸葛亮が視界の悪さを利用して草束で矢を得たことは、「新唐書」張巡伝のパクりです。

張巡は8世紀の人、諸葛亮は2世紀~3世紀の人。

未来人からのパクりです!

※諸葛亮が矢を得た話にはいろんなパクりがあります。詳しくはこちらの過去記事をご覧下さい↓

 

「十万本の矢」孫権・周瑜・張巡の変遷とパクリ歴史を紹介


 

パクり発生の背景とは?

タイムトラベル

 

このように未来人からのパクりが発生しているのは何故でしょうか。

三国志演義は三国時代から1300年ほども経ってから成立している読み物なので、書いた人は三国志以降の出来事も知っています。

このため、三国時代の人が知るはずもないことが書かれているのです。

周瑜のせりふは、おそらく出典とかなんにも気にせずに、よく聞くことわざをせりふの中に使ってみただけでしょう。

諸葛亮の十万本の矢は意図的なパクりであろうと思います。

 

張巡は、安史の乱で唐王朝が危なかった時に、極限の籠城戦を行い王朝に忠義を尽くした人です。

このため、国家主義を推進していた宋の時代に編纂された「新唐書」では、張巡は忠臣のお手本としてめちゃくちゃかっこよすぎる

スーパーヒーローとして描かれています。

 

三国志演義も宋代の国家主義の流れを汲む価値観によって書かれており、忠臣の諸葛亮はスーパーヒーローでなくてはなりませんでした。

三国志演義は諸葛亮をよりかっこよく描くために、スーパーヒーロー張巡のエピソードをパクってきて、諸葛亮を盛ったのです。


  

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンの独り言

 

いかがでしょうか。

三国志演義は荒唐無稽(こうとうむけい)な話だな、とお思いになりましたか。

現代でも、歴史小説やら時代小説やらで、現代人の情報や価値観をそこに込めながら書かれている作品は、ちらほらありますよね。

それはそれで、そういうものだと分かったうえで楽しむんだったら、まぁいいんじゃないかなぁと、個人的には思います。

エンタテインメントですからね……。

 

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