今回は明智光秀の家紋である桔梗の花について取り上げます。明智光秀といえば桔梗の花の家紋が有名で、大河ドラマなどで桔梗の花の旗を見たことがあると思います。大河ドラマなどでよく見かけることはあると思いますが、史料で実際に桔梗の花が使われていたという記録はありません。この記事の前半では、明智光秀の家紋が桔梗の花として定着した経緯について取り上げます。後半では、桔梗の花を家紋に使った歴史上の人物について取り上げます。
なぜ明智光秀の家紋は桔梗の花になった?桔梗の花で正しい?
家紋に桔梗の花が使われる要因として、青紫色をしていることから日本人にとって爽やかで寂しげな色が受け入れ安いことが挙げられます。明智光秀の家紋も桔梗の花で、大河ドラマやゲームでも見ることが多いと思います。しかし、史料に明智光秀の旗が桔梗の花だったとは書かれていません。なぜ、明智光秀の家紋として桔梗の花が定着したのでしょうか。光秀は1528年に美濃国の明智に生まれました。光秀が生まれた当時、美濃国の戦国大名は土岐氏で、土岐氏の家紋が桔梗の花でした。
土岐氏は200年にわたって岐阜の守護大名でしたが、油売りの商人だった斎藤道三が下剋上で土岐氏を倒すと、光秀は斎藤道三の家臣となりました。明智光秀は土岐氏の一族だったといわれ、道三の家臣になってからも一族として桔梗の花を使うようになったといわれています。水色で桔梗の花の家紋はかなり目立ったことで、明智光秀の家紋が水色の桔梗の花として定着したといわれています。
家紋に桔梗の花を使った歴史上の人物
家紋に桔梗の花を使った歴史上の人物がいます。ここでは、有名な歴史上の人物で何人か取り上げます。
その1人目は坂本龍馬です。坂本龍馬の家紋は桔梗の花で有名です。大政奉還後、33歳という若さで暗殺されていることから縁起が悪いといわれています。
2人目は加藤清正です。加藤清正の家紋には蛇の目紋と桔梗紋の2種類があります。蛇は神聖なもので、お守りの役目を果たていたといわれています。加藤清正は甲冑にも蛇を使っていました。もうひとつ使用していた桔梗の花の家紋は、秀吉から与えられたもので、使っていたといわれています。桔梗紋を使うようになりましたが、加藤清正は死亡しました。清正の死亡については不明な点が残されいて、毒殺されたという説も残されています。
3人目は武田信玄の家臣山県昌景です。山県昌景も桔梗の花を家紋にしていました。山県昌景といえば、武田信玄の家臣で、赤備えの部隊が有名です。赤備えは昌景の兄の飯富虎昌の部隊でしたが、信玄の嫡男の義信が謀反を起こしたことにより、虎昌は自害しました。兄虎昌の死亡により山県昌景が赤備えを引き継ぎました。山県昌景は武田信玄の死後に跡を継いだ武田勝頼の家臣となりますが、長篠の戦いで織田・徳川連合軍の鉄砲を受け死亡しました。
戦国時代ライターオフィス樋口の独り言
今回は明智光秀の家紋について取り上げました。明智光秀の家紋といえば桔梗の花が定着していますが、実際に使っていたという記録がないことから2020年の大河ドラマの放送を契機に今後の研究に注目したいと思います。家紋に桔梗の花が使われる背景として、戦勝を重ねることができることや魔よけの意味があるという言い伝えがあります。このような言い伝えがあったことから多くの戦国武将や歴史上の人物が使ってきました。
しかし、本能寺の変で明智光秀が使用していた家紋であること、33歳の若さで暗殺された坂本龍馬、謎の死を遂げた加藤清正、山県昌景の長篠の戦いでの壮絶な戦死など悲劇の家紋や縁起の悪い家紋としての印象が強く残るようになりました。大河ドラマの放送を通して桔梗の花の家紋に対するイメージが変わるのか注目したいと思います。
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