キングダム
if三国志




はじめての三国志

menu

戦国時代 (日本)

明智光秀の年齢は信長より若かった!

明智光秀 麒麟がくる




明智光秀 麒麟がくる

 

明智光秀(あけちみつひで)について、よく疑問に上るのは光秀の年齢です。

従来は、明智軍記(あけちぐんき)の光秀の辞世の句から、五十五歳で死んだというのが定説でした。

それだと逆算すると、享禄元年(1528年)生まれになり、信長(のぶなが)より6歳年上、秀吉(ひでよし)より8歳年上という事になります。

しかし、最近、この光秀の年齢に疑問説が出てきて実際は信長どころか、秀吉よりも若かったのではないかと言われているのです。

 

※こちらの記事は、祥伝社新書 明智光秀残虐と暴虐 一級史料で読み解く

を参考にして執筆しています。

 

関連記事:明智光秀の居城だった坂本城とは?本能寺の変後の坂本城も紹介

関連記事:明智光秀が愛用した鎧は鎧紅糸縅品小札二枚胴具足とは?

 

 

従来の光秀年寄説の根拠明智軍記

明智光秀 wikipedia

画像:明智光秀 wikipedia

 

明智光秀年寄説は、明智軍記に記された光秀の辞世の句にあります。

 

順逆二門無し 大道心源に徹す 五十五年の夢

覚め来たり 一元に帰す

 

この遺言をそのまま信じると、数え年で1582年に55歳なのだから、単純に逆算すると、1528年の生まれという事になるわけです。

しかし、この明智軍記、成立が17世紀末から18世紀の中期に成立した軍記物(ぐんきもの)という信憑性が低い史料という事です。

光秀が死んでから、百年以上経過して出来たとなるとその信頼性も薄くなってきますね。

 

明智系図や明智氏一族宮城家相伝系図書のような明智光秀の家系図も享禄元年説を採用していますが、

いずれも後世の編纂で明智軍記の記述を引用した可能性が高いです。

 

 

本能寺の変の時、六十七歳説もある

 

一方、光秀は本能寺の変の時、六十七歳だったという衝撃の説もあります。

こちらは、当代記(とうだいき)に「時に明知(智)歳六十七」と注記があるのが根拠のようです。

しかし、この当代記も徳川家康(とくがわいえやす)の伝記として十七世紀の前半頃に編纂されたもので光秀死後、半世紀を経過したもの。

 

また仮に、これが正しいとすると光秀が最初に出てくる永禄9年(1566年)の田中城籠城の時点で光秀は五十歳を超えている事になります。

明智光秀の出自は守護大名、土岐氏の支流で、没落していたそうですが、しかし五十歳過ぎてからようやく名前が出てくるなんて

太公望じゃあるまいし、幾らなんでも出世が遅すぎないでしょうか?

いかに信長が能力主義でも、当時の常識では隠居(ふりがないんきょ)していても不思議ではない、いえ、下手をすると墓に入っていても

不自然ではない五十歳の老人光秀を引き立てて採用するでしょうか?

いくらなんでもジジイすぎて、現実味に乏しい感じがします。

 

【信長を討った明智光秀の波乱の生涯】
麒麟がくる

 

【新説】明智光秀は、1540年産まれ?

明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

近年、咲村庵(さきむらいおり)氏が「明智光秀の正体」という本の中で明智光秀は1540年生まれ説を取っています。

その根拠は明智光秀の妻、煕子(ひろこ)の没年が天正4年(1576年)であり、享年が三十六歳から四十六歳と諸説ある事。

それに三女のお玉(後のガラシャ)の生年が永禄六年(1563年)である事を考慮し、光秀が子年生まれであるという伝承から

1540年説を出しています。

 

仮に光秀が1516年生まれだとすると、お玉は46歳の時の子供になります。

しかし光秀は側室を持っていない事から、お玉の生母が煕子なら30代後半から40歳にかけて産んだ事になり当時としては高齢出産になります。

しかし、光秀が1540年生まれなら、お玉は23歳の子になり、色々な点で無理が無くなる感じがします。

 

光秀の姉妹、御ツマ木から年齢を考える

画像:吉田兼見wiki

画像:吉田兼見wiki

 

「明智光秀残虐と暴虐」を書いた橋場日月(はしばあきら)氏も、明智光秀は従来考えられているより、ずっと若かったのではないかと持論を展開しています。

その根拠は、明智光秀の姉妹と考えられる御ツマ木に関する文書からです。

この御ツマ木や光秀と親交のあった公家吉田兼見(よしだかねみ)の「兼見卿記」には、天正7年(1579年)四月十八日に以下のようにあるそうです。

 

妻木(惟向州妹)参宮、神事之義以書状尋来、月水之義也

 

これは、明智惟任日向守光秀(あけちこれとうひゅうがのかみみつひで)の妹、御ツマ木が兼見が神主を勤める吉田神社に参詣して祈祷などを依頼したいのだが、

その日は月水、つまり月経に当たるのが、神様に対して(けが)れにならないかを尋ねた文書だそうです。

 

ここから考えると、御ツマ木は1579年の段階で生理があった事になります。

一般に現代より栄養状態が悪い戦国時代には女性の閉経年齢は、もちろん個人差はありますが、30代前半と考えられています。

女性の大厄である三十三歳は、閉経の時期だと考えられ、体に不調が出やすいから、厄年になっているという説もあるそうです。

 

だとすると、御ツマ木は1579年に33歳以下だとして1546年生まれ、もし光秀が兄なら1516年産まれでは30歳も年が離れた兄妹となります。

1528年生誕説でも18歳という年齢差になり、かなり無理が出ますね。

そうなると、1516年生まれはまず有り得ず、1528年としても随分年の離れた兄妹になってきます。

また、御ツマ木が光秀の姉だった場合、光秀の年齢はより下がるという事にもなるのです。

 

明智光秀は織田家でもかなり若い武将だった?

柴田勝家

 

明智光秀が1540年生誕説を取ったとして、当時の織田家重臣の中では光秀の年齢はどうだったのでしょうか?

 

柴田勝家(しばたかついえ)1522年生まれ

滝川一益(たきがわかずます)1525年生まれ

丹羽長秀(にわながひで)1535年生まれ

羽柴秀吉(はしばひでよし)1536年生まれ

前波吉継(まえばよしつぐ)1541年生まれ

織田信長1534年生まれ

 

このように、光秀は前波吉継より一歳年上なだけで、柴田勝家とは18歳違い、滝川一益とは15歳違い、丹羽長秀、羽柴秀吉とは5歳から4歳違いです。

当時は、今より年齢の序列が強烈ですから光秀は年長者に囲まれてさぞや、やりずらかった事でしょう。

しかも、光秀に対する信長の信任はこの5人を超えるものがありました。

「若僧の癖に、出しゃばりおって・・」

そのような面白くない気分を、特に柴田勝家や滝川一益は持ったでしょう。

 

孤立した光秀 ルイス・フロイスの記録

 

明智光秀について、ルイス・フロイスは日本史でこう書いています。

 

殿内(でんない)(織田家中)にあって、彼は余所者(よそもの)であり、外様の身であったので

ほとんどすべての者から快く思われていなかった

 

フロイスは、光秀については狡猾で残忍で計略が多くて忍耐強いとかなり辛口の批評をしていますから、そのような光秀の性格もあるでしょうが

それ以上に、年下の癖に信長に気に入られているというのは古参の織田家の重臣には、よく思われていないのではないでしょうか?

 

戦国時代ライターkawauso編集長の独り言

 

明智光秀は従来考えられているより、ずっと若かったのではないかと思います。

彼は若く才気に溢れていましたが、同時に若さ故に、年長者に気をつかう事が薄く次第に疎まれて立つ瀬がなくなり、

それがさらなる忠誠を信長に誓う事に繋がったのかも知れません。

家中に嫌われようが信長の心を掴んでいれば大丈夫という計算です。

しかし、そんな信長が光秀より秀吉を重んじるようになった時、織田家中における彼の存在意義は絶体絶命の危機に瀕してしまった。

それも、本能寺の変の遠因になるのかも知れません。

 

関連記事:明智光秀が主人公の大河ドラマ「麒麟がくる」の役どころは?

関連記事:明智光秀に死を覚悟させた丹波の赤鬼赤井直正

 

【戦国風雲児の意外な素顔】
織田信長スペシャル




kawauso

kawauso

投稿者の記事一覧

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

関連記事

  1. 信濃守護職就任と武田晴信の出家
  2. 真田丸 武田信玄 【初めての戦国史】武田家を継いだ晴信に新たな試練が訪れる
  3. 徳川家康 明智光秀は天海となって徳川幕府に参加していた!その理由とは?
  4. はてなマークな劉備と袁術 榊原康政の墓はどこにある?徳川四天王の墓がある善導寺へのアクセス…
  5. 明智光秀 wikipedia 【センゴク】想定外!織田信長を討った明智光秀の誤算ってなに?
  6. 燃える本能寺 本能寺の変に黒幕はいなかった!衝撃の明智光秀単独犯説
  7. 北条早雲の逸話を紹介、戦国のパイオニアは魅力的な男?
  8. 南蛮胴を身に着けた織田信長 【織田信長の噂】信長の遺体が見つからない理由と天皇に就任しようと…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

  1. 劉禅
  2. 于禁を虐める曹丕
  3. 陸遜
  4. 徐庶をゲットする曹操
  5. 張飛、劉備、関羽の桃園三兄弟
  6. 魏延と孔明
  7. はじめての三国志 画像準備中
  8. 胡亥
  9. 宦官の趙高

おすすめ記事

  1. 董太后、王族ボンビーから一転セレブ 献帝の祖母の波瀾人生
  2. 華夷秩序に砕けた山越はむしろ漢族の被害者? 南蛮
  3. 魏延がいれば陳倉の戦いは勝てた?それとも負けた?史実の北伐を解説 蜀の魏延
  4. 成り上がり?ネズミが李斯の運命を変えた! ネズミで人生を変えた李斯
  5. 呉にもラストサムライが存在した!孫呉の最後を飾った張悌に迫る!
  6. 曹爽討伐に成功後の司馬懿の対応が神ってる 司馬懿と公孫淵

三國志雑学

  1. 曹操と夏侯惇
  2. 曹操と羊
  3. 張飛益徳参上
  4. 于吉と張角
  5. 過労死する諸葛孔明
“はじめての三国志150万PV" “はじめての三国志Youtubeチャンネル" “広告募集"

はじめての三国志 書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

  1. 劉邦
  2. 孫権に諫言する陸瑁
  3. キングダム45
  4. 真田丸
  5. 始皇帝
  6. 曹休

おすすめ記事

はじめての三国志 4コマ劇場 その1 田横(でんおう)ってどんな人?不撓不屈の精神で正義を模索した王の生涯 島津斉彬は辞世の句を残しているの? 【始皇帝失敗】巡遊で天下に顔を売るつもりが命を狙われる羽目に 【9月の見どころ】9月に公開予定:三国志平話の世界 袁術のもと、孫家を守り抜いた孫賁(そんふん)、孫輔(そんほ)兄弟が熱すぎる! 篤姫 小松帯刀は篤姫に好意を持っていた?真相に迫れ! 刎頚の交わりを結んだのに・・・張耳と陳余の数奇な運命

はじさん企画

“if三国志" 英雄の死因 “三国志とお金" “はじめての漢王朝" “はじめての列子" “はじめての諸子百家" “龍の少年" “読者の声" 袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
英雄の武器 編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志" 英雄の墓特集
“邪馬台国"

“三国志人物事典"

PAGE TOP