劉備に生涯忠誠をささげてきた五虎将軍の趙雲。そして孫策に忠誠をささげてきた孫呉の名将・太史慈。彼ら二人に共通しているのは忠誠心ですが、どちらの方が忠誠心を持って君主に仕えていたのでしょうか。今夜は二人の忠誠心を比べてみました。
劉備を支えた忠誠心はここから始まる
趙雲の忠誠心の高さを伺う事の出来るエピソードと言えば長坂での戦いが有名だと思います。この話ははじめての三国志でも幾度も紹介しており、読者の方もこのエピソードをよくご存じでしょう。そのため今回は趙雲が劉備へ忠誠を誓うことになったお話をここで紹介しましょう。
趙雲ははじめ劉備の学友・公孫瓚に仕え、この時はじめて劉備と知り合いになります。劉備は趙雲を高く評価しており、いつも彼を気遣いながら付き合っていましたが、趙雲の兄貴が亡くなり、兄貴を弔うために公孫瓚の元を離れることになります。
この時趙雲は「私はあなたの徳に感銘を受けました。あなたを裏切ることは絶対にしません」と言って別れます。その後趙雲は劉備が袁紹を頼ってきた時、劉備の元を訪れて再会を果たします。劉備は趙雲と再会したことがうれしく、自分の部屋に招いて一緒に寝るほどの親密さをもって接します。趙雲は劉備の親密さに感激し彼に忠誠心をもって仕える事を心の中で誓ったのでしょう。趙雲は劉備が行くところに常につき従っていき、生涯忠誠心を忘れなかったそうです。
趙雲の忠誠心の高さは公孫瓚との出会いから始まり、その後劉備を裏切らず、忠誠心をもってずっと支えていきますが、太史慈はどれくらいの忠誠心を持っていたのでしょうか。
孫策の信頼に信義と忠誠心をもって報いる
太史慈は孫策に敗北すると彼から絶大な信頼をかけられ、配下になったばかりにもかかわらず兵士を預けられ、官職を与えられます。太史慈は孫策から信頼されたことに感激し、孫策へ
「劉繇の軍勢は敗北したばかりでバラバラになって日がたっていません。もしこのまま日が経過すれば、兵士たちを再度集めるのが困難になりましょう。そこで私が今から劉繇の元兵士達を説得して集めてきましょう」と進言。
孫策は太史慈の進言を聞いて集合する日時を決めて、彼を解き放つことにします。孫策の配下は「太史慈はこのまま戻ってきませんぞ」と孫策に苦言を呈しますが、孫策は彼らの言葉を信じず、無視していました。太史慈は元劉繇軍の兵士を集めて、孫策との日時通りに戻ってきます。
孫策は太史慈が自分を裏切らずに戻ってきてくれたことを大いに喜んで彼のために宴会を開いてもてなすのでした。太史慈も孫策にしっかりと忠誠心を見せつけているのが、上記のエピソードでお分かりになったと思います。
どちらの忠誠心が上なのか結果発表!!
さて太史慈と趙雲どちらの忠誠心が上なのでしょうか。黒田レンの独断と偏見による結果発表の時間です。結果は・・・・趙雲の方が太史慈よりも忠誠心が高いと言えると思います。
趙雲の忠誠心の高さは三国志の中でも一番であり、今回のエピソードのほかにも長坂で劉禅を単騎で救ったことや劉備に殺されるかもしれない場面でも劉備の事を思って臆することなく注意したエピソードもあります。しかし太史慈には忠誠心をもって孫策に仕えていたエピソードが趙雲に比べてちょっと少なかったです。そのため趙雲の忠誠心の方が太史慈よりも高いと判断させていただきました。
三国志ライター黒田レンの独り言
太史慈と趙雲の忠誠心の高さを今夜勝手に比べてみました。
武勇においてはたぶん甲乙つけがたい所がありますが、忠誠心においては頭一つだけ趙雲の方が勝っていると思いますが、
皆様はどのように思いますか。
■参考 正史三国志蜀書・呉書など
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