中華統一を目指す秦の前に立ち塞がり、当時最強とされた秦を1度ではあったものの退けた趙。
趙には柔軟な思考の持ち主が多く、優秀な人材が集まっていたといいます。
そんな趙ではどんな遊説家たちが活躍していたのでしょうか?
今回は『戦国策』の趙策を覗いてみましょう。
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復讐の鬼・予譲の物語
豫譲
その昔、まだ趙・魏・韓が晋という1つの国だったとき、予譲(豫譲)という人物がいました。
晋には六卿と呼ばれる国政の中心を担う6つの家系があり、予譲はそのうち范氏や中行氏に仕えてみたのですが、
あまり取り立ててもらえませんでした。
そこで今度は智氏の智伯に仕えることにします。
こうして転職を繰り返した予譲は智伯のもとでようやく満足のいく待遇を得たのでした。
しかし、その幸せは続きませんでした。
智氏と趙氏との間で権力争いが勃発し、智伯は趙襄子との権力争いに敗れてしまったのです。
趙襄子に敗れた智伯は趙襄子から激しい恨みを買っていたため、処刑された上に頭蓋骨を杯にされて晒されてしまいます。
このとき予譲は山に隠れていたのですが、智伯への恩を思って甚だしい復讐心を覚えました。
智伯はすぐに姓名を変えて囚人として趙襄子の館に入り込み、便所の壁塗りをしながら復讐の機会を待つことに。
いよいよ趙襄子が便所に入ってきたので、「チャンス!」と思ったのもつかの間、胸騒ぎを覚えた趙襄子によって捕まり、
コテに刃物を仕込んでいることがバレた挙句予譲であることもバレてしまいます。
しかし、趙襄子は「義士だ」と言って予譲を称賛し、罪を許して釈放してやることに。
ところが、予譲は復讐を諦めません。
予譲は自分の体に漆を塗って髭や眉を剃り、癩病の乞食に変装。
さらに炭を飲んで喉を潰して再び趙襄子の暗殺に向かいました。
予譲が機会を窺っていたところ、趙襄子が橋を渡るところに出くわし、好機ととらえた予譲は橋の下に隠れました。
ところが、趙襄子が乗っていた馬が驚いたために気づかれてしまい、尋問を受けて再び予譲であることがバレてしまいます。
趙襄子は、
「君が智伯のために尽くす姿に誰もが感銘を受けずにはいられないが、もう流石に君を許すことはできない」
と予譲に覚悟を決めるように言いました。
すると予譲は次のように趙襄子に頼みました。
「最期にせめてあなたの着物を斬らせて智伯様の恩に報いさせてください。」
趙襄子はそれを快く受け、予譲に着物を譲りました。
すると予譲は剣を抜いて着物を切り裂き、自刃。
趙国の人々は皆予譲の死に涙を流したのでした。
趙国を治めるなら趙人を讃えよ!
趙の国の政治を取り仕切ることになった張相国が政治について悩んでいました。
実は張相国は魏でもうまくその手腕をふるうことができず、趙に流れてきた人物。
そんな彼にある人が次のようにアドバイスをしました。
「あなたの政治がうまくいかないのは、あなたが趙人を蔑み、憎んでいるからです。
膠や漆はネバネバしていますが、遠くにあるものをくっつけることはできませんし、
鴻の羽は軽いですが、ひとりで舞い上がることはできません。
しかし、清らかな風に乗れば世界中を気ままに漂うことができます。
このように、楽々ことを成し遂げるように見えるものは、実は他のものの力を借りているものです。
趙は万乗の国で、かつては秦を抑えたこともあります。
そんな趙の力を見くびっていながらこれならまだ魏の方が良かったなんて思っていらっしゃる。
私はそんなあなた様を正直いかがなものかと思っています。」
この言葉を聞いた張相国は心を入れ替え、人々の前では趙人を讃えないことは無く、趙の習俗の美点を褒めそやさないことは無くなったのでした。
三国志ライターchopsticksの独り言
いかがでしたか?
いずれも趙人の人となりがよくわかるエピソードですよね。
趙策には他にも面白いエピソードがたくさんあるのですが、紙幅の都合上2つだけのご紹介となりました。
気になった方は是非『戦国策』を手にとってみてくださいね。
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