出雲王国崩壊後のオオクニヌシの行方は?出雲王国の復活を目指した戦略


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コーノヒロ(はじめての三国志ライター)

 

こんにちは。コーノヒロです。

今回は、少し視点を変えて、お話ししたいと思います。

 

それは、邪馬台国VS狗奴国の戦の時、

つまり、アマテラス(卑弥呼)VSスサノオ(卑弥弓呼)の戦の時、

 

出雲に隠居させられたオオクニヌシ(大国主)はどうしていたのか?という疑問が浮かびましたので、今回は、この辺りの話を再考していきます。しばしお付き合いください。

 

日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門

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出雲王国のラストエンペラーのオオクニヌシは卑弥呼に完全に恭順したの?

オオクニヌシ(日本神話)

 

以前の話では、 オオクニヌシは、渋々、出雲王国の王位を、邪馬台国の卑弥呼に譲り渡しまたということでした。

しかし、進んで譲った訳ではなさそうでした。

 

おそらく、幽閉されていたと考えられないでしょうか?

 

幽閉されたオオクニヌシを助け出すために、義父の スサノオが、狗奴国王として、邪馬台国の卑弥呼に対し宣戦布告をしたという見方もできるのではないでしょうか?

 


 

オオクニヌシの娘婿は、ニギハヤヒ? !

ニギハヤヒ(日本神話)

 

しかし、当のオオクニヌシは、幽閉されながら、スサノオとは別の考えで対抗策を講じていた可能性があります。

 

その根拠として、

以下のような事実が分かったのです!

 

オオクニヌシの娘婿はニギハヤヒだった!

ということなのです。

 

オオクニヌシの正妻はスセリヒメ(須勢理毘売命)ですが、側室も幾人もいました。

その中にタギツノヒメ(多岐都比売命)[カムヤタテヒメ(神屋楯比売命)とも言う]という人物がいました。

 

その間に娘が生まれたのですが、それが、アメノミチヒメノミコト(天道日女命)[ヤオトメミコト(屋乎止女命)、高光日女命とも言う]です。

 

そして、そのアメノミチヒメノミコト(天道日女命)は、邪馬台国のラストエンペラーである、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)に嫁いでいるのです。

二人の間に生まれたのが、天香語山命(あまのかごやまのみこと)です。

それは海部氏 (あまべ)へと繋がるというのです。

海部氏は、丹後国、現在の京都府宮津にある「籠神社」の神職を代々務めている一族です。

 

この京都府宮津の 籠神社と言えば、天橋立で有名な地域です。

 

元伊勢とも呼ばれ、伊勢神宮の故郷と言われています。アマテラスが伊勢神宮に落ち着くまでに、一時的に滞在したと伝わっています。

 

アマテラス=卑弥呼との説を取って話を展開するとすれば、

ここは、邪馬台国とも縁深く、邪馬台国の領域と考えても不思議ではありません。

 

 

そして、神職の海部氏は、物部氏とも同族とも言われています。

また、古代の尾張国を治めたとされる、尾張氏も同系の一族ということです。

 

尾張氏は、元は、大和地域の豪族・葛城氏との説もあります。

葛城氏は、邪馬台国がカムヤマト(神武天皇)により、滅亡に追い込まれるまで、徹底抗戦したとも伝わっています。

その後、尾張国に移り、尾張氏と名乗るようになったようです。

 

つまり、出雲王国の王族の血縁が、邪馬台国のラストエンペラー・ニギハヤヒから物部氏へ、そして、海部氏、尾張氏に受け継がれといたということです。

 

 

さらに、判明したことは、邪馬台国王・ニギハヤヒは、出雲王・オオクニヌシの直系ではないということです。

ただ、出雲に縁のある豪族の出ということになるのかもしれませんね。

 


 

オオクニヌシの血縁戦略?

 

出雲を 乗っ取られて幽閉された、オオクニヌシは、色々手を打っていたようです。

大和、日本海、東海へと 同系の一族を

分散させ、根拠地とさせたということでしょうか?

 

つまり、

娘婿のニギハヤヒを大和地域へ送り込むこと。

葛城氏勢力の維持。

そして、後に、ニギハヤヒの子孫の海部、物部の一族が根拠とすることになる、日本海や瀬戸内海地域をすでに抑えていたということです。

 

東海にいた、義父スサノオが狗奴国王として、卑弥呼に抗戦するも、魏を後ろ楯とする卑弥呼に正面きっての戦いでは勝てないと、オオクニヌシは初めから予想していたかもしれないのです。

スサノオとは、別のやり方で、挽回を狙ったと考えられるのでは?ということなのです。

 

表向きでは従う振りして、虎視眈々と、あるいは、臥薪嘗胆の気持ちで再起を狙っていたとも言えるでょうか。

老年期の卑弥呼が死ぬのを待つ作戦だったとも言えるでしょうか?


  

 

出雲王国崩壊後のオオクニヌシの行方のまとめ

 

鳴かぬなら鳴くまで待とう!

がオオクニヌシ流で、

 

鳴かぬなら鳴かせてみせよう!

がスサノオ流だったと言えるでしょうか。

 

(了)

 

【参考資料】

 

◆東国尾張とヤマト王権

― 考古学から見た狗奴と尾張連氏 ―

(大阪府立近つ飛鳥博物館)

◆『古代史疑』 松本清張 著(中公文庫)

 

◆『出雲と大和 ― 古代国家の原像をたずねて ―』村井康彦著(岩波新書)

◆『伊勢と出雲 韓神と鉄』 岡谷公二著(平凡社)

◆『魏志倭人伝』 石原道博 編訳 (岩波文庫)

 

◆『東アジア民族史1

正史東夷伝 』

井上秀雄 ほか訳注

(平凡社)

 

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