大人気春秋戦国時代漫画キングダム、第590話では河了貂の発案による肉を切らせて骨を断つ作戦が進行中ですがそれがどうなるかは、前回予想で書いたので今回はキングダム恒例、リアルなキングダム雑学を紹介します。王翦と王賁、蒙恬と蒙武など、キングダムには様々な親子関係が出てきますが、秦の時代のリアルな家族構成とは、一体、どんなものだったのでしょうか?
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秦の官吏喜の記録
秦の時代については、戸籍などがあまり分かっていなかったのですが、1975年に中華人民共和国湖北省孝感市雲夢県睡虎地にて1150点余りの竹簡が出土しました。その埋葬者が喜という名前の秦の官吏だった事から、謎に包まれていた秦の時代の法律や社会の事が解明される貴重な大発見になりました。この喜は紀元前262年に生まれ、紀元前217年に死去しているそうで、ほぼ完全にキングダムの時代の役人である事が分かるのです。秦王政が紀元前259年生まれなので、それより僅か3歳くらい年上でしかありません。つまり、喜の作成した竹簡に書いてあることは、キングダムの時代のリアルな記録なのです。
当時の差し押さえ文書で家族が分かる
睡虎地秦簡には、封診式という文書があります。これは事情聴取の為に作成された文書なのですが、ここには何らかの理由で、財産の差し押さえにあったある人物の家と家族の状況が書かれているのです。
封守 郷某爰書 以某県丞某書 封有鞠者某里士五甲家室
妻・子・臣妾・衣器・畜産 甲室.人、一宇二内 各有戸 内室皆瓦蓋
木大具(棋)門桑十木 妻曰某、亡、不会封 子大女子某 末有夫
子小男子某、高六尺五寸 臣某・妾小女子某 牡犬一
もちろん、全文が漢字なので訳してみると以下のような意味になります。
差し押さえ案件 郷の某氏の書いた爰書(判決書)、某県の某丞の書により審理を終えた某里の士、五甲の家屋、妻、子、奴隷、家畜、
所持品を差し押さえる。甲の家屋と家人は以下の通り、二部屋の家屋で各部屋に戸がある。家の屋根は全て瓦葺き、玄圃梨の大木があり門前には桑の木が十本ある。家族構成、甲の妻逃亡し家にいないので会えず仕舞い、成人した娘あり未婚、六尺五寸の身長の少年あり、男の成人奴隷1名、少女奴隷が1名ある。
核家族だった秦の世帯
この何らかの理由により財産及び、家族や家畜を差し押さえられた甲という人は二部屋から構成される別々に扉がある瓦葺きの家に住み、男女の奴隷を抱え犬がいます。当時としては、平均的な生活をしていた人であるようです。
家族構成では①逃亡してしまった妻②未婚の娘、それに③未成年男子の3名家族で現代の日本と同じ典型的な核家族である事が分かります。これは、このケースばかりではなく、多くの秦漢に共通する家族構成でした。私達の考える中国人イメージは三世帯同居の大家族ですが、少なくとも秦の時代は、そうではなかったのです。これには、ちゃんと理由が存在します。
当時の秦は法家思想に基づく富国強兵の真っ最中で年中戦争して領土を拡大していました。その為に兵力は常に不足気味であり、秦はそれまで兵役を担っていた貴族だけでなく戦争とは無縁だった一般の農民にまで兵役を拡大します。つまりは国民皆兵という事ですが、効率よく兵力を増やすには家で誕生した男女に結婚適齢に達したら、さっさと家を出て結婚して所帯を持ってもらい領域内の人口を増やす必要がありました。
この為に秦は成人に達していながら実家を出ない男女に重税を課していて、税金を払うのが嫌な人々は、成人し次第、どんどん家を出て行き、その結果、核家族化が急激に進んだという事のようです。
斉は大家族制だった?
秦では国策として核家族を奨励していたのですが、他の国ではどうだったのでしょうか?当時の戸籍がよく分からないのは、秦のみではありませんが、キングダムより、百年程前に活躍した縦横家の蘇秦の言葉に以下のものがあります。
蘇秦は斉の宣王に説いて言った。臨淄の城中には七万戸が集まっています。
私が推し量りますに一戸につき最低3人の男性がいるとして三×七、二十一で二十一万人は男子がいるという事になります。
遠隔地の県からの徴発を待つまでもなく、臨淄には元々、二十一万人の率がいる事になります。
史記 蘇秦列伝
一戸の家庭に成人男子3名という事は、兄弟が同じ敷地で同居していたり、三世帯家族が同居している事を推測できます。しかも、最低3人という言い方は、親、兄弟が最低限同居している事を匂わせるような発言だと言えます。つまり、秦とは違い斉では核家族を促進するような政策は取られていないというような事になるかも知れません。或いは、核家族化秦に特有で他の六国はそうではなかったかも・・
独立心旺盛な人が多かった秦
核家族化が進行すると、人間は速く大人になろうとし独立心が旺盛になります。秦の兵士が勇猛果敢だったというのも、恩賞が手厚いという事もありますが手っ取り早い立身出世の近道が兵士になって手柄を立てる事であり一刻も早く自立して一家を構えようという意識から来ているかもです。
そのような人が多ければ、必然的に国には活力が生じ経済も発展しますから秦の採用した核家族化は、色々な点で影響を及ぼしたと言えます。漫画でも、信や漂は一刻も早く下僕の身分を抜け出して天下の大将軍になると大志を語っていましたが、これは信や漂だけの特徴ではなく、核家族化が徹底した秦の若者の一般的な傾向だったのでしょう。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
今回はリアルな秦の時代の家族構成について考えてみました。秦は信賞必罰によって人民を統制していましたから、まさか庶民には核家族を押し付けておいて、貴族は例外とはしなかったでしょう。そうなると、蒙恬や、王賁は、どう見ても成人しているので、すでに本家から独立して家を建てているかも知れません。
しかし、早く家から出たそうな蒙恬は兎も角、王賁の父親への強いコンプレックスを見る限り、まだ独立して家を構えているとはちょっと思えないですね。キングダムファンの皆さんはどう思いますか?
参考文献:中国古代の家族
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