広告

蒙恬(もうてん)とはどんな人?秦・中華統一後に一族が滅びる悲しい将軍

2015年7月26日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

蒙恬

 

蒙恬(もうてん)の父は蒙武(もうぶ)祖父は蒙驁(もうごう)です。元々からの秦の人ではなく、祖父の代に斉から移住しました。キングダムでは同じく武官貴族でエリート意識が強い王賁(おうほん)と違い、飄々とした風貌で信とも気軽に口をきく蒙恬ですが、彼の人生とは、その後どうなるのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



最初は文官から出発した蒙恬

 

実は蒙恬は、猛将のイメージがある父の蒙武とは違い、線が細い人物で当初は文官として活躍して訴訟・裁判などを担当していました。成程、それでキングダムでは、いがみあう信と王賁の仲裁に入るのか、、というのは冗談ですが、漫画でもおよそ武将らしくない風貌は、史実に基づいているのかも知れません。

 

蒙恬、武将に転身して信と組んで楚を攻める

嬴政(始皇帝)

 

紀元前224年、秦王政は、楚を攻めるべく軍を起します。ここで、老将王翦(おうせん)は60万の軍を要求、一方の信は、

 

「20万でやってやるぜ」

 

と威勢のよい事を言ったので政は、信に20万の大軍を与えて、蒙恬を副官にします。ここまでには、信はかなり出世したのでしょう、貴族の蒙恬を副官にしているわけですからね。

 

信と蒙恬、楚で快進撃を続ける!!

行軍する兵士達b(モブ)

 

信と蒙恬のコンビは楚に入ると軍を二手に分けて連戦連勝しました。蒙恬も寝(しん)で大勝利して気を良くし、城父(じょうほ)で信と合流します。

 

信「なんだよ、楚は勇猛だと聴いていたが大した事ねえな」

蒙恬「全くだ、いや、俺達が強いだけなんだろう、

ざまあみろ、楚の連中め!ファヤヤヤーン」

 

※ファヤヤヤーンに意味はありません。

 

項燕

 

連戦連勝に気を良くした両者は、もう楚を滅ぼしたようなつもりになって、完全に油断していました。しかし、これまでの勝利は、楚の大将軍となった項燕(こうえん)の計略だったのです。

 

楚の項燕軍に背後を突かれ秦軍は壊滅する

突撃する項燕

 

項燕の楚軍は、油断している秦軍の背後を三日三晩追い続けて、ついに城父に到着、これまでの恨みをブチまけて攻めこみます。油断していた秦軍は、殆ど抵抗できず、20万の兵士の大半が殺されます。

 

飛信隊の信をボッコボコにする項燕

 

信と蒙恬は、その場から逃げるのが精一杯でした。この項燕将軍は楚漢の戦いで劉邦のライバルになる楚の項羽(こうう)の祖父です。二人して、大敗北を演じてしまった信と蒙恬ですが、秦王政に処分されるような事もなく、紀元前221年には蒙恬は家柄で将軍に任命されます。どうやら、この二人特別に厚く、政の信頼を得ていたようです。

 

関連記事:項羽はあれだけ最強だったのに何故、天下を取れなかったのか?

関連記事:これぞ戦争の極意!!兵家の思想ってどんな思想?

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-春秋戦国時代
-, , ,