邪馬台国の卑弥呼政権時代は倭国大乱は継続していた? 魏志倭人伝に秘められたプロパガンダー

2019年3月1日


 

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邪馬台国と卑弥呼軍

 

以前の記事で、邪馬台国(やまたいこく)卑弥呼(ひみこ)政権の時代は、倭国は分裂し、倭国大乱は続いていたかもしれないとお話しましたね。今回は、その根拠について、お話していきます。どうぞお付き合いください。邪馬台国の前身の国が、出雲王国(いずもおうこく)で、その領土を丸々受け継いだという話なら、西日本と、東海、北陸から信州までの東日本が、邪馬台国の領土、否、より正確に言えば、邪馬台国広域連合の領土として獲得していたはずです。

 

しかし、

 

邪馬台国VS狗奴国

 

邪馬台国(やまたいこく) 諸国連合 (西軍)

 

VS

 

狗奴国 (くなこく)(東軍)と、他諸勢力の同盟

 

という構図だったのなら、倭国大乱 は継続したのか?!と当然考えられる訳です。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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なぜ、卑弥呼の邪馬台国が中心となって、倭国全域を治めていたか

卑弥呼

 

それでは、なぜ、卑弥呼の邪馬台国が中心となって、倭国全域を治めていたかのように伝わっているのか?という疑問が出てきますね。

 

魏志倭人伝の表紙 書類

 

それは、その記述が初めて登場したとされる、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の成立背景を見るべきでしょう。つまり、それを書いたとされる陳寿(ちんじゅ)の立場を考えると見えてくるのです。ここは、以前も少し邪馬台国の大きさについてお話したことと重なるところもありますが、再考してのお話なので、少しお付き合いください。

 

 

 



「西晋王朝」の 家臣の立場で『魏志倭人伝』を書いた陳寿

陳寿(晋)

 

陳寿は、三国時代を終わらせた「西晋(せいしん)王朝」の 家臣の立場で、『魏志倭人伝』を書いたのです。西晋は「魏王朝」の後継として成立した国家でした。邪馬台国は、魏に臣従の意を示していました。西晋の臣下の陳寿は、西晋の前身の存在の魏を 立てなければならかったでしょう。反乱を起こさせないために。それは、属国であった倭国の邪馬台国も然りということです。倭国の中心国として、邪馬台国を立てる必要があったということです。つまり、倭国の正統な国王は邪馬台国の卑弥呼女王だと、邪馬台国を格上に見せる必要がありました。倭国が分裂しているように見せたくなかったのでしょう。

 

卑弥呼は、朝鮮半島の「三韓」の王族の出身かもしれなかったことは前に話しました。その三韓も魏に臣従の意を示していました。

 

ですから、魏に臣従していた、三韓や邪馬台国は意思統率の取れ、まとまった国家であるように見せたかったということでしょうか。そうすれば、魏の権威が高まるからです。引いては、その後継者たる存在の西晋の権威も高まるということです。これは、陳寿の策略で、西晋が正統な中国大陸の支配者として宣伝するという意図があったということでしょう。プロパガンダとしての『魏志倭人伝』の価値が見えてきます。しかし、倭国は、実際は分裂していたか、内乱状態が再発したというのが、実像ではないかと考えられますね。

 

 

大和朝廷

 

 

邪馬台国VS狗奴国は、魏VS呉の代理戦争だった?

魏の旗をバックに戦争をする郭淮は魏の将軍

 

さらに、邪馬台国に抵抗した、狗奴国は海を通して、大陸の呉と繋がっていたという説もあるくらいです。それに加えて、魏と呉の代理戦争としての要素が、邪馬台国VS狗奴国の戦いにはあったという説も頷けます。ただ、『魏志倭人伝』には、そのように、狗奴国が呉の影響を受けていたかもしれない記述は一切ありません。

 

それは、先ほども話したように、魏を立てるべき立場の陳寿によって書かれた『魏志倭人伝』ですから、狗奴国の存在を小さく書かれ、呉の存在が消し去られるような、プロパガンダとしての作為が見られても当然と言えるでしょうか。

 

 

 

邪馬台国VS狗奴国の代理戦争のまとめ

コーノヒロさん(はじめての三国志ライター)

 

次は狗奴国の勢力がどのくらいだったかを、もう少し深掘りしていく予定です。お楽しみに。

 

【参考資料】

◆東国尾張とヤマト王権― 考古学から見た狗奴と尾張連氏 ―(大阪府立近つ飛鳥博物館)

古代史疑 - 増補新版 (中公文庫)

出雲と大和――古代国家の原像をたずねて (岩波新書)

新書821伊勢と出雲 (平凡社新書)

魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 (1951年) (岩波文庫)

東アジア民族史 1―正史東夷伝 (東洋文庫 264)

 

日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門

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日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門はじめての邪馬台国

 

 

 

 

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コーノ・ヒロ

歴史好きのライターです。 福祉関係の仕事をしつつ、物書きの仕事も色々としています。 小説や詩なども、ときどき書いています。 よろしくお願いします。 好きな歴史人物 墨子、孫子、達磨、千利休、良寛、正岡子規、 モーツァルト、ドストエフスキー など 何か一言 歴史は、不動の物でなく、 時代の潮流に流される物であると思っています。 それと共に、多くの物語が生まれ、楽しませてくれます。

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