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寧宗とはどんな人?南宋4代目皇帝の波乱万丈の生涯

寧宗




「宋」の国旗をバックとした兵士

 

南宋(なんそう)(1127年~1279年)は初代皇帝高宗(こうそう)が実子を早く亡くして、その後、子宝(こだから)に恵まれませんでした。やむを得ず、高宗は一族から養子をとってその子が皇帝になりました。

 

第2代皇帝孝宗(こうそう)です。以降、孝宗の血筋が南宋王朝を引き継ぎます。孝宗は南宋最盛期を築いた名君として知られています。

 

やがて、孝宗の後を継いだのが第3代皇帝光宗(こうそう)です。

「こうそう」ばかりで、覚えにくいと思うかもしれませんが、仕方ありません。

 

寧宗

 

光宗の後を継いだのが、寧宗(ねいそう)です。

今回は第4代皇帝寧宗の生涯を解説を致します。

 

自称・皇帝
当記事は、
寧宗 生涯」
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関連記事:古代中国の玉器と印鑑の使用用途は?宋代にも玉璽はあった?

関連記事:宋代の文学作品『宋名臣言行録』とは?分かりやすく解説

 

 

複雑な南宋の皇帝

 

寧宗の説明に入る前に南宋の皇帝に関する説明をします。南宋の高宗・孝宗の2人の皇帝は生前退位を行った後に、皇位継承をしていました。生前退位なので、退位後の身分は皇帝ではなく「太上皇帝」というものになります。

 

もちろん政治的発言権はあり、皇帝に対しても介入していました。このように南宋は2つの皇帝権力が存在する異質な時代でした。専門家はこの権力構造を「双重皇権」(そうじゅうこうけん)と呼んでいます。

 

日本の平安時代の「院政」に近いものです。

ちなみに高宗が太上皇帝の時は、皇帝の孝宗は金(1115年~1234年)を滅ぼすことを計画していたので高宗が抑えるのに苦労しました。

孝宗が太上皇帝の時は、息子の光宗に政治力が無いので政治は、引き続き孝宗が行っていました。

 

 

突然皇帝即位

 

さて、話を寧宗に戻します。

寧宗は南宋の乾道4年(1168年)に光宗の第2子として誕生します。

 

本名は趙拡(ちょうかく)と言います。光宗の第1子は早死にしており、他に弟もいなかったので寧宗は自然と皇位継承者になっていました。待っていれば、普通に皇帝になれるのですが、その日は突然やって来ました。

 

紹熙5年(1194年)に太上皇帝の孝宗が亡くなりました。葬式を行うはずなのですが、光宗は病気だと言って喪主ができないし、挙句の果てに次のような発言をしたのです。

 

「体力の限界・・・気力も無くなり、引退することになりました」

 

スミマセン・・・・・・これは横綱・千代の富士の引退会見のセリフでした。

 

しかし似たようなことを言って突然、皇帝を退位したのは事実です。また、これを目の前で聞かされた宰相の留正(りゅうせい)も職務を放棄して逃げました。

 

仕方ないので残った人たちは、寧宗に即位してもらいました。こうして、寧宗は思いもかけない即位をすることになったのです。一方、上皇になった光宗は2度と政治の場に姿を現すことなく生涯を終えました。

 

ここに、南宋の双重皇権は完全に崩壊しました。

 

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金と戦争に・・・・・・

「金」の国旗をバックとした兵士

 

即位から間もなくして、趙汝愚(ちょうじょぐ)韓侂冑(かんたくちゅう)による権力闘争が1年に渡り行われました。

韓侂冑は寧宗の皇后の一族でした。

 

要するに外戚です。韓侂冑は、趙汝愚に怨恨を抱いている人物を次々と味方に引き込んだので、最後は趙汝愚の追放で韓侂冑の勝利に終わります。

 

これにより、政治は韓侂冑とその党派が握りました。韓侂冑は南宋の「専権宰相」1人であり、秦檜(しんかい)に次ぐ人物です。やがて、韓侂冑は靖康の変で金に奪われた土地を取り戻すことを提案します。

 

当時の金はチンギス・ハン率いるモンゴルにより、弱体化させられていました。その提案に乗り気になった寧宗は早速、軍を編成して金に攻め込みました。

だが、結果は連戦連敗。

 

挙句の果てに、四川で反乱が起きて大混乱。敗戦の責任を追及された韓侂冑は、政敵の史弥遠(しびえん)により殺されました。

韓侂冑が死んだ時、寧宗は彼の死を全く信用しませんでした。

 

しかし韓侂冑の死が分かると急に態度がコロリと変わります。

 

「みんな、すまない。私は悪い奴(韓侂冑)にだまされていたようだ」

 

調子が良すぎですね・・・・・・

 

朱子学者の優遇

 

史弥遠は3番目の「専権宰相」です。

彼が最初に行ったことは朱子学の優遇でした。

 

韓侂冑は朱子学の創始者の朱熹(しゅき)や学問を弾圧していたので、史弥遠は逆の政策を行いました。この政策により一時は衰退していた朱子学が復興しました。

 

しかし逆効果にもなりました。今度は朱子学系の人物が金に対して、強硬的な態度をとりはじめました。史弥遠は戦争の再燃を恐れました。また、寧宗も韓侂冑の時の失敗で懲りていました。だが、それでも戦争が回避されることはありませんでした。

 

嘉定10年(1217年)に再び金との戦争が勃発しました。残念ながら、すぐに南宋の敗北に終わりました。

 

「またかよ!」と思うかもしれませんが、これが事実です。

 

この戦争により史弥遠は朱子学系の人物と対立を始めます。

 

養子を後継者にする

 

寧宗には皇太子がいましたが、早死にしていました。そこで一族の趙竑(ちょうこう)を皇太子に立てました。

しかし趙竑は史弥遠と対立したので廃嫡されました。

 

嘉定17年(1224年)、危篤に陥った寧宗は一族の趙昀(ちょういん)を皇太子に立てました。間もなくして寧宗は亡くなりました。

57歳でした。寧宗の死後に趙昀が皇帝になりました。

 

これが南宋第5代皇帝理宗(りそう)です。

 

宋代史ライター 晃の独り言

晃(あきら)akira

 

寧宗は評価は「普通」です。祖父の孝宗のように有能でもなく、父の光宗のようにキャラが濃ゆい人物でもありません。

しかしそのような人物だからこそ、専権宰相の韓侂冑や史弥遠と対立することもなく生涯を終えれたのでしょう。

ある意味大物です。

 

寧宗は一説によると、言語に障害があったと言われています。

『癸辛雑識』という史料にそのことが記されており、宦官を介して話していたとされています。

 

残念ながら、真偽は不明です。

筆者はあまり信じてない説です。

 

 

※参考文献

・奥田裕樹「南宋士大夫考 魁憸」(『歴史研究』59-1・2 2017年)

・衣川強「『開禧用兵』をめぐって」(初出1977年 後に『宋代官僚社会史研究』汲古書院 2006年所収)

・小林晃「南宋中期における韓侂冑専権の確立過程―寧宗即位(1195)直後の政治抗争を中心としてー」(『史学雑誌』115―8 2006年)

・小林晃「南宋寧宗朝における史彌遠政権の成立とその意義」(『東洋学報』91-1 2009年)

・小林晃「南宋寧宗朝後期における史彌遠政権の変質過程―対外危機下の強権政治―」(『史朋』50 2018年)

・千葉熙「韓侂冑 宋代姦臣伝 その2」(『山崎先生退官記念東洋史学論集』 太安書房 1967年所収)

・寺地遵「南宋中期政治史の試み」(公開講演要旨)(『日本歴史学協会年報』18 2003年)

・寺地遵「韓侂冑専権の成立」(『史学研究』247 2005年)

 

関連記事:貨幣や紙幣は宋代に誕生したの?宋代の経済生活を分かりやすく解説

関連記事:【岳飛の墓事情】死後における岳飛と秦檜の評価をめぐって

 

【滅亡から読み解く宋王朝】
北宋・南宋

 

 




晃(あきら)

晃(あきら)

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横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
        
好きな歴史人物:

秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、
史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう)

※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。

何か一言:

なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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