【東の本多忠勝と西の立花宗茂】凄いのはどっち?凄さを比較してみた


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豊臣秀吉 戦国時代2

 

今回は豊臣秀吉(とよとみひでよし)が「東に本多忠勝(ほんだただかつ)という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂(たちばなむねしげ)という天下無双の大将がいる」と評価した立花宗茂と本多忠勝の2人の武将についてそれぞれ取り上げます。

 

この記事の前半では、立花宗茂について取り上げるとともに立花宗茂の凄さを紹介します。

後半では、東の本多忠勝について同様にして取り上げます。

 

自称・皇帝
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立花宗茂とはどんな人?

立花宗茂

 

立花宗茂は吉弘鎮種(よしひろしげたね)高橋紹運(たかはしじょううん))の子として1567年に生まれました

1586年に島津(しまづ)の軍勢が筑前に攻めた際、父の鎮種が岩屋城、立花宗茂が立花城に籠城しました。

 

この戦いで、父の鎮種は自害しましたが、宗茂は立花城の死守に成功しました。立花宗茂は豊臣秀吉の九州征伐で島津の軍勢を追撃したことで武功を挙げ、

秀吉から評価されました。宗茂の石高は13万石となり、筑後の柳河城主に抜擢されました。

 

これまで大友(おおとも)の家臣でしたが、柳河城主になると大友から離れて独立しました

 

1592年からの朝鮮出兵でも活躍しています。1600年の関ヶ原の戦いでは西軍として大津城攻めに加わりましたが、西軍が敗れると改易の処分を受けました。

 

その後、加藤清正(かとうきよまさ)の庇護を受けて江戸幕府の旗本となり、1620年に柳河城主に返り咲きました。10万8000石の大名となり、以後柳川城主として江戸時代が終わるまで続きました

 


 

本多忠勝とはどんな人?

本多忠勝

 

本多忠勝は1548年に三河国で生まれました

 

忠勝の初陣は1560年の桶狭間の戦いです。桶狭間の戦いでは父とともに今川義元(いまがわよしもと)の家臣として戦っていました。初陣の大高城の戦いでは、自ら敵陣に向かい、敵の首を挙げたといわれています。

 

徳川家康

 

今川義元が桶狭間の戦いで討ち死にすると、徳川家康(とくがわいえやす)は独立し、徳川家康の家臣となりました。

後に井伊直政(いいなおまさ)榊原康政(さかきばらやすまさ)らとともに徳川四天王の一人と呼ばれるようになります

 

徳川四天王と呼ばれるようになった忠勝の戦いについて取り上げます。1570年の姉川の戦いでは、朝倉(あさくら)の1万の軍勢を切り崩すことに成功しました。その後、1573年の長篠合戦や1580年の高天神城の奪還に成功しました。

 

三方ヶ原の戦いについては徳川家康の敗退が強調されていますが、本多忠勝は山県昌景(やまがたまさかげ)の軍を撃退したり、夜襲で武田軍を混乱させたりしています。

 

1584年の小牧・長久手の戦いでは、16万の豊臣軍の前に、忠勝は500の兵で駆けつけ、豊臣方の軍を撃退しました。

 

忠勝は数多くの戦を経験していますが、最前線で戦っているにもかかわらず、かすり傷を一切負わなかったといわれています

 

本多忠勝は1610年に63歳で病気により死亡しました。

忠勝が負った唯一の傷は小刀で名前を彫っていたときに手元が狂ってできたものでした


 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

幕末ライター オフィス樋口

 

今回は西の立花宗茂と東の本多忠勝についてそれぞれの武将について取り上げました。

立花宗茂について、豊臣秀吉から評価され、一目置かれていたので一大名の家臣から独立することになりました。

 

立花宗茂は柳河城主として独立を果たしていますが、豊臣秀吉から評価され独立することを勧められた武将がいるかもしれません。

関ヶ原の戦いでは西軍についたので改易の処分を受けましたが、1620年に柳河藩主として筑後国の柳河に復帰しました。立花宗茂は徳川幕府からも評価されていたのかもしれません。

 

一方で、東では本多忠勝が注目されていました。本多忠勝は最前線で戦っているにもかかわらずかすり傷一つ負わなかったことや武田の騎馬軍団を夜襲で混乱させたことで、最強の戦国武将として注目されています。

 

戦国最強の武将として戦では西の立花宗茂や東の本多忠勝が有名であるといえるのかもしれません。

 

今後、戦で立花宗茂や本多忠勝以外で最強の武将について考えたいと思います。

また、戦いだけでなく策略家として最強の戦国武将にも注目したいと思います。

 

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