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【織田信長の噂】信長の遺体が見つからない理由と天皇に就任しようとしていた説

2019年4月2日


 

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麒麟にまたがる織田信長

 

天下統一目前にして明智光秀(あけちみつひで)に討たれてしまった戦国時代の天才・織田信長(おだのぶなが)。そんな織田信長ですが、彼にまつわるいろいろな噂があるのをご存知でしょうか。

 

今回は織田信長にまつわる噂をかき集めてみましたので、紹介してみたいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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今回紹介する織田信長の噂はこの二つ

燃える本能寺

 

今回紹介する織田信長の噂はこの二つです。

 

一つ目は本能寺の変が起きた時、どうして織田信長の遺体が見つからなかったのか。そして二つ目は織田信長が天皇の位に就任しようとしていたの。

上記二つの噂です。

 

まずは一つ目の噂から紹介していきたいと思います。

 

 

 

織田信長の噂その1:どうして織田信長の遺体が見つからなかったのか??

 

織田信長の噂その1はどうして織田信長の遺体が見つからなかったのかです。

 

裏切りそうな悪い顔をしている明智光秀

 

明智光秀は織田信長に謀反を起こして、織田信長が宿泊している本能寺(ほんのうじ)を包囲。明智光秀は本能寺を包囲し、織田信長の側近・森蘭丸(もりらんまる)などを討ち取ることに成功しますが、織田信長の殺害に成功したのかどうかわかりませんでした。

 

嫉妬している明智光秀

 

そのため明智光秀は本能寺の変が終わった後、織田信長の遺体を必死こいて探しますが、見つけることができませんでした。明智光秀はどうして必死こいて織田信長の遺体をみつけようとしたのでしょうか。その理由は織田信長の遺体が見つける事で、彼が生きている可能性を無くすためです。

 

もし織田信長が生きていたならば、謀反人として討伐されて、明智光秀の謀反が無駄になってしまうからです。そのため明智光秀は必死こいて織田信長の遺体を探すよう家臣に命令していたのですが、織田信長の遺体は一体どこに消えたのでしょうか。

 

織田信長スペシャル

 

 

織田信長の遺体を持ち帰った清玉上人

 

織田信長の遺体は噂によれば、清玉上人が信長の遺体を持ち帰って供養したとされています。また豊臣秀吉は織田信長の葬儀を行う際、清玉上人に信長の遺体を引き渡すように詰め寄ったとか。

 

さてこのことから清玉上人が織田信長の遺体を埋葬したと噂されていますが、みなさんはこの噂を信じますか。それとも信じませんか。それはあなた次第です。

 

 

織田信長の噂その2:天皇に就任しようとしていた

足利義昭

 

織田信長の噂その2は天皇に就任しようとしていたかもしれないのです。織田信長は足利将軍家の頭領・足利義昭(あしかがよしあき
)
を京都から追放した後、朝廷に対して「天皇の位を譲って違う人を天皇にしたほうがいいんじゃないか」と提案。

 

朝廷は織田信長が提案した天皇譲位の提案に反対します。しかし織田信長は天皇譲位案を捨てることができずに再度朝廷へ「今上天皇の位を譲って差し上げたほうがいいのではないのか」と提案するのでした。

 

朝廷は織田信長の再び提案してきた天皇譲位案も拒否。どうして織田信長は天皇を譲位させようとしていたのか。それは自らが天皇になりたいからと考えられるのではないのでしょうか。

 

その理由としては織田信長が何度もしつこく天皇譲位案を朝廷へ持ちかけたのかことにあると思います。普通に考えれば朝廷へ提案した天皇譲位案が一度拒否されているので諦めるはずです。

 

ですが織田信長は諦めきれずに二度目の天皇譲位案を提案。この二度目の提案の時、天皇・朝廷サイドと織田信長の間になにかの駆け引きがあったのではないのでしょうか。

 

その駆け引きの内容はわかりませんが、この駆け引きの中に織田信長が自ら天皇へ就任することももりこまれていたのではないのでしょうか。そして天皇・朝廷サイドには信長が天皇に就任する代わりに大きなメリットが提案されていたのかもしれません。

 

さてこれもあくまで噂もしくは推測の範疇を超えませんが、あなたはこの噂を信じますか。それとも信じませんか。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回上記で紹介させていただいた噂はあくまで黒田レンが色々と資料を調べて自分の推測を述べただけに過ぎません。

 

しかしレンの推測論として捨てるのは容易ですが、あながち捨てるもの如何なものでしょうか。火のないところには煙は立たないといいますし、みなさんは今回紹介した噂をどのように思いますか。

 

関連記事:どうして明智光秀は織田信長を討てたのか?

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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