皆さんは1月11日は何の日かご存知でしょうか?
実は歴史界隈では1月11日は「塩の日」と呼ばれています。
なぜ1月11日は「塩の日」と呼ばれるのか。
「敵に塩を送った」から塩の日ができたから?
今回は「塩の日」の由来と雑学について分かりやすく紹介したいと思います。
武田家に塩が入ってこない!?
塩の日はどうしてできたのでしょうか。
それは現在からさかのぼる事、数百年も昔の戦国時代。
甲州を領有していた甲斐の虎・武田信玄と越後の龍・上杉謙信が関係してきます。
武田信玄は今川義元・北条氏康の三者と同盟をしていました。
しかし武田信玄は今川義元が亡くなると、長年同盟していた今川家との関係を破棄。
今川義元の跡を継いだ今川氏真は武田家からの一方的な同盟破棄の通告に激怒し、北条氏康と相談して武田家に塩を流通させる事を中止してしまいます。
武田信玄は今川家・北条家から塩の流通を止められると非常に困ってしまいます。
どうして武田家は塩が無いと困るの??
どうして武田家は塩が無いと困るのでしょうか。
だってたかが塩の流通が無くなるくらいどうってことないでしょ。と思っているそこのあなた!!
それは大きな間違えです。
塩は人間が生きていくうえで非常に大切なもので、塩が無いとミネラル不足で神経が侵され大変なことになります。
また戦国時代には冷蔵庫など食料を保存する所がなかったため、長期の戦場へ赴いた際、塩を使って食料を保存していました。
このため、塩が無いと非常に困ってしまうのです。
でも今川家と北条家から塩が送られてこなかったら、武田家が自分で塩を生産すればよくないと思う方もいるでしょう。しかし武田家では塩を生産することができませんでした。
その理由は武田信玄の領土にあります。
武田信玄の領土は山国に囲まれている甲斐の国で、塩を自らの国で生産することができませんでした。
そのため、武田家は塩を輸入することに頼りきっていたのです。そんな中いきなり塩の流通を止められてしまったので、武田家は上から下まで大慌てになってしまいます。
上杉謙信の助け
上杉謙信は隣国の武田信玄が塩の流通を止められてしまっている事を知ります。
すると上杉謙信は「俺は武田信玄と戦で勝負しとるんじゃ!!塩の流通を止めて勝つんは卑怯じゃ!!」と言って、武田家へ塩をプレゼント。
このため武田家は今川・北条の塩止めにあってもなんとか生き延びることが出来たのです。でも塩の日とあんまりこれらの紹介って意味ないと思っているそこのあなた!!
そんなことはありませんよ。非常にこのエピソードは大事な事なのですから。
1月11日に塩を送ったから塩の日
上杉謙信は武田信玄に塩を送った事で、何とか生き延びることになります。
上杉謙信が武田信玄へ塩を送った日は、1月11日だとされています。
そのため1月11日が塩の記念日と設定されたことで、塩の日が誕生することになったのです。
戦国史ライター黒田レンの独り言
塩の日は上杉謙信が1月11日に武田信玄へ塩を送った事で誕生した記念日なのです。
戦国時代の出来事が記念日にも関係しているとなるとちょっと感慨深いですね。
そして武田信玄を苦しめる提案をした今川氏真の知略の凄さにも驚きです。
皆様は今川氏真にどのようなイメージを持っていますか。
多分今川氏真は蹴鞠や和歌ばっかりしていてダメ大名としてのイメージが強いと思います。しかし今川氏真は皆さんが思っているようなダメ大名ではなく、武田信玄を苦しめるような策略を閃くことができる大名でした。
今回の記事を読んでダメ大名・今川氏真ではなく、できる大名今川氏真として、評価を改めてみてはいかがでしょうか。
■参考 新人物文庫・上杉謙信謎解き散歩など
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