三国志演義の南蛮編で登場する土安。そもそも南蛮編自体の知名度が低いため、土安の知名度も自然と低くなります。
ファンタジー溢れる世界観で描かれる南蛮編は、三国志演義の作中でも斬新奇抜な展開となっています。それでは土安の育った国やストーリーを紹介していきます。
烏戈国で育った土安
烏戈国。名前からして中国らしくない漢字が使われています。いわゆる当て字です。場所は現在のミャンマー北西部。もはや中国ではありません。三国志の蜀にスポットライトを当てた南蛮編で登場する国です。そんな少数民族の多い土地で土安は育ちました。
温暖な気候なので、日本人の感覚で行くとハワイや沖縄のようなイメージが近いでしょう。
国王・兀突骨の右腕
土安は、烏戈国の王様である兀突骨の右腕でした。国王・兀突骨の身の丈は二丈、メートル法に換算すると2.77メートルあったそうです。
ヒグマが二本足で立ち上がったときとほぼ同じ高さです。大型のヒグマのような人物が国王として君臨しているとなれば、鬼に金棒ですね。
土安の身長についての記載はありませんが、一般的な鎧や兜をまとっている絵柄が多いことから、当時の漢民族と似通った体型であると推測されます。
土安は何をした人?
土安は国王の兀突骨、部隊長の奚泥とともに侵攻してきた蜀軍を撃退しに行きました。
土安は刀を通さないと言われる藤の鎧をまとった部隊、藤甲軍3万を引き連れて蜀に対抗します。
このとき孟獲はすでに6回も諸葛亮に捕まっています。例のごとく、6回目も釈放され、故郷に還されます。そんな万策尽きたかに思われた孟獲が頼った戦力が烏戈国でした。
ついに南蛮軍が本領を発揮するシーン。土安、満を持しての登場です。
蟠蛇谷の戦いと土安
部隊長の土安と奚泥は藤甲軍を引き連れて、順調に蜀軍を追い詰めます。魏延とは15回ほど戦闘を交え、すべて勝利。戦局は藤甲軍サイドに傾きます。
どんどん進軍する土安率いる藤甲軍。やがて、蟠蛇谷に差し掛かります。
魏延がまたしても逃亡したので、藤甲軍は追撃。蟠蛇谷の出口へと差し掛かります。
しかし、魏延が見えなくなったと思うと出口は大量のわらで塞がれ、先が見えません。
さらに諸葛亮の伏兵が谷の上から大木を転がし、国王・兀突骨を慌てさせます。
急いで退却を命じる兀突骨。逃げられる道を探すよう兵に言いつけます。
すると、前方から火のついたわらが車にのって突進してきます。実は、前方を塞いでいたわらの山はすぐに移動できるように車の上に載せられていたのです。火のついた車は硫黄の匂いを漂わせ、藤甲軍の中央部までくると導火線につながれた火薬に引火。
大爆発を起こします。火花は兵士たちの顔に当たり、兵は壊滅状態に……。
国王の兀突骨は、ここで死に絶えます。
土安はその後の生死もわかっていません。
あまりに悲惨な戦場であったため、諸葛亮も顔を曇らせ、涙したそうです。
土安率いる藤甲軍の敗因は?
藤甲軍の連戦連勝に見えた魏延との戦い。
実は魏延は負けたように見せかけて、蟠蛇谷まで藤甲軍を誘い込むのが諸葛亮の狙いでした。
魏延は真剣に戦うフリをして、ギリギリのところで撤退し、相手を誘い込みます。
勝利の美酒に酔った藤甲軍は、まんまと蟠蛇谷まで誘い込まれてしまうのです。
いわゆる逃走詐欺です。
この策に魏延は勝利するものの諸葛亮の戦い方に不満を抱くようになります。
もし、部隊長の土安か奚泥が諸葛亮の罠に気付いていれば、敗北は免れたかもしれません。
三国志ライター上海くじらの独り言
南蛮の地は諸葛亮にとって未知の場所でした。
そのため、すべての戦において地の利は南蛮軍にあり、勝機も南蛮軍にありました。
そのため、諸葛亮は懐柔策によって孟獲らを捕まえては放すという対曹操戦では見せなかったような策謀をめぐらします。
そして、読者は違和感を覚えながらも奇妙な展開に引き込まれていきます。
当時の武器は剣や矛でしたから、藤甲軍のような無双の鎧を持つ軍隊は脅威だったに違いありません。
諸葛亮も頭をひねったことでしょう。
関連記事:インテリ朶思大王が蜀軍を苦しめる?ワシが南蛮一の軍師ダシ!
関連記事:祝融とはどんな人?赤兎馬を乗りこなす女戦士は夫よりも強かった?