土安とはどんな人?兀突骨の右腕としても愛された烏戈国の精鋭

2019年5月19日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

土安(南蛮族)

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)の南蛮編で登場する土安(どあん)。そもそも南蛮編自体の知名度が低いため、土安(どあん)の知名度も自然と低くなります。

 

孔明君のジャングル探検

 

ファンタジー溢れる世界観で描かれる南蛮編は、三国志演義(さんごくしえんぎ)の作中でも斬新奇抜な展開となっています。それでは土安(どあん)の育った国やストーリーを紹介していきます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



烏戈国で育った土安

孔明君のジャングル探検

 

烏戈国(うかこく)。名前からして中国らしくない漢字が使われています。いわゆる当て字です。場所は現在のミャンマー北西部。もはや中国ではありません。三国志の蜀にスポットライトを当てた南蛮編で登場する国です。そんな少数民族の多い土地で土安は育ちました。

 

海上での戦いの孫権

 

温暖な気候なので、日本人の感覚で行くとハワイや沖縄のようなイメージが近いでしょう。

 

 

 

国王・兀突骨の右腕

兀突骨

 

土安は、烏戈国(うかこく)の王様である兀突骨(ごつとつこつ
)
の右腕でした。国兀突骨(ごつとつこつ
)
の身の丈は二丈、メートル法に換算すると2.77メートルあったそうです。

ヒグマが二本足で立ち上がったときとほぼ同じ高さです。大型のヒグマのような人物が国王として君臨しているとなれば、鬼に金棒ですね。

 

土安(南蛮族)

 

土安の身長についての記載はありませんが、一般的な鎧や兜をまとっている絵柄が多いことから、当時の漢民族と似通った体型であると推測されます。

 

魏延特集

 

 

土安は何をした人?

朶思大王、孟獲

 

土安は国王の兀突骨(ごつとつこつ
)
、部隊長の奚泥とともに侵攻してきた蜀軍を撃退しに行きました。

土安は刀を通さないと言われる藤の鎧をまとった部隊、藤甲軍3万を引き連れて蜀に対抗します。

 

このとき孟獲はすでに6回も諸葛亮に捕まっています。例のごとく、6回目も釈放され、故郷に還されます。そんな万策尽きたかに思われた孟獲(もうかく)が頼った戦力が烏戈国(うかこく)でした。

 

白い象に乗っている木鹿大王(南蛮族)

 

ついに南蛮軍が本領を発揮するシーン。土安、満を持しての登場です。

 

 

蟠蛇谷の戦いと土安

蜀軍を追い詰める土安(南蛮族)

 

部隊長の土安と奚泥(けいでい)は藤甲軍を引き連れて、順調に蜀軍を追い詰めます。魏延とは15回ほど戦闘を交え、すべて勝利。戦局は藤甲軍サイドに傾きます。

どんどん進軍する土安率いる藤甲軍。やがて、蟠蛇谷に差し掛かります

 

魏延

 

魏延がまたしても逃亡したので、藤甲軍は追撃。蟠蛇谷の出口へと差し掛かります。

しかし、魏延が見えなくなったと思うと出口は大量のわらで塞がれ、先が見えません。

 

さらに諸葛亮の伏兵が谷の上から大木を転がし、国王・兀突骨(ごつとつこつ
)
を慌てさせます。

急いで退却を命じる兀突骨(ごつとつこつ
)
。逃げられる道を探すよう兵に言いつけます。

 

すると、前方から火のついたわらが車にのって突進してきます。実は、前方を塞いでいたわらの山はすぐに移動できるように車の上に載せられていたのです。火のついた車は硫黄の匂いを漂わせ、藤甲軍の中央部までくると導火線につながれた火薬に引火。

 

大爆発を起こします。火花は兵士たちの顔に当たり、兵は壊滅状態に……。

国王の兀突骨は、ここで死に絶えます。

土安はその後の生死もわかっていません。

 

孔明 悲しい表情

 

あまりに悲惨な戦場であったため、諸葛亮(しょかつりょう)も顔を曇らせ、涙したそうです。

 

土安率いる藤甲軍の敗因は?

蜀の魏延

 

藤甲軍の連戦連勝に見えた魏延(ぎえん)との戦い。

実は魏延(ぎえん)は負けたように見せかけて、蟠蛇谷まで藤甲軍を誘い込むのが諸葛亮(しょかつりょう)の狙いでした。

 

魏延と孔明

 

魏延は真剣に戦うフリをして、ギリギリのところで撤退し、相手を誘い込みます。

勝利の美酒に酔った藤甲軍は、まんまと蟠蛇谷まで誘い込まれてしまうのです。

いわゆる逃走詐欺です。

 

不満が溜まる魏延

 

この策に魏延は勝利するものの諸葛亮の戦い方に不満を抱くようになります。

もし、部隊長の土安(どあん)か奚泥が諸葛亮の罠に気付いていれば、敗北は免れたかもしれません。

 

三国志ライター上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

南蛮の地は諸葛亮にとって未知の場所でした。

そのため、すべての戦において地の利は南蛮軍にあり、勝機も南蛮軍にありました。

 

7回捕まり孔明にボコボコにされる孟獲

 

そのため、諸葛亮は懐柔策によって孟獲らを捕まえては放すという対曹操戦では見せなかったような策謀をめぐらします。

そして、読者は違和感を覚えながらも奇妙な展開に引き込まれていきます。

 

孔明

 

当時の武器は剣や矛でしたから、藤甲軍のような無双の鎧を持つ軍隊は脅威だったに違いありません。

諸葛亮も頭をひねったことでしょう。

 

関連記事:インテリ朶思大王が蜀軍を苦しめる?ワシが南蛮一の軍師ダシ!

関連記事:祝融とはどんな人?赤兎馬を乗りこなす女戦士は夫よりも強かった?

 

南蛮征伐特集

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
上海くじら

上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

-三国志の雑学
-, , ,