あの曹操の一生の不覚と言えばやはり宛城の戦いが思い浮かびます。
曹操はこの宛城で嫡男・曹昂、甥の曹安民、部下の典韋を失いますが、名前を並べただけでも曹操の失ったものの大きさが伝わってくるようです。
そこで今回は宛城の戦いのifとして、嫡男・曹昂が生き残っていたら曹魏にどんな影響があったのか、を考えていきたいと思います。
曹操の嫡男・曹昂、本人の重さ
あまり知られていないですが、曹操の嫡男は曹丕ではなく曹昂という人物でした。また曹昂と曹丕間には早世した曹操の息子が一人いるため、実質曹丕は三男です。
さて曹昂は宛城で父・曹操を逃がすために自分の馬を譲って戦死します。嫡男を失うというのは非常に痛手です。
しかも窮地において父親を逃がした父親思いの曹昂は、義母であった丁氏ともとても良好な関係を築いていました。そんな忠孝な息子であった曹昂を失ったというのは曹操にとってかなり痛手だったでしょう。しかし曹昂を失った痛手は、これだけに留まりません。
嫡男を失った以上に重大な損失があった?
さきほど名前が出ましたが、この時の曹操の正室は丁氏、丁夫人です。丁夫人は実の息子でなかった曹昂を非常に可愛がっていて、宛城で討ち死したと聞いた時に曹操に激怒。
離縁して暫く、曹操が迎えに行っても決して許さなかったというエピソードがあります。このことから、曹昂を失った重大な損失が見受けられます。
この頃、親戚関係というのは重要でした。一族が多ければ多いほど味方が増えるだけでなく、さまざまな援助をして貰えるからです。
つまり曹昂を失ったことで丁夫人から離縁された、丁一族からの援助を受けづらくなった…とも考えられる訳です。これこそが曹昂を失ったことに対する、曹操の重大な損失と考えられます。この件に関して、もう少し深く考察していきましょう。
曹昂が生き残っていたら考えられたメリット
ここで少し曹操の家に付いて解説を。曹操の祖父は宦官で、曹操の父親は養子にされて曹家を継ぎました。当然ながら曹家として兄弟は殆どいないので親戚が少なくなります。
史実では曹魏の手助けをした親戚として夏候家がありますが、もし宛城で曹昂が戦死しなければ丁家も親戚として手助けをしてくれた可能性も考えられます。丁夫人が去った後に正室になった卞夫人、嫡男になった曹丕も十分に優秀な人物でしたが、卞夫人は歌妓出身ということでおそらく身分的に手助けが難しかったでしょう。窮地において父親を助けるほどの孝行息子の曹昂が生きていれば、丁夫人は元より丁家からの援助も受けられて曹一族の力は増し、曹魏の天下はもっと長く続いたのではないでしょうか?
曹昂と曹丕の関係性も考慮してみる
さて更にここで考えて見たいのは曹丕と曹昂の関係性について。曹丕と曹昂はどのような関係だったのでしょうか?
曹昂が生きていた頃のエピソードでもあれば分かりやすいのですが、残念ながらこの頃の二人のエピソードはありません。しかし曹昂が亡くなった後の、曹丕のある行動から少しばかり想像できます。
曹丕は皇帝になりました。その後で曹丕は曹昂、そしてもう一人の早世した兄の曹鑠には王位を追贈しています。更に曹昂の養子と曹鑠の実子にも王位を継承させているのです。
曹丕には他にも兄弟がいましたが、彼らに王位を与えても子供までには公位しか与えていません。このことから曹丕は腹違いの兄たちに非常に敬意を払っていると言えると思います。
曹丕は必要以上に親族に権力を持たせませんでした。
それは内乱の要因を少しでも減らすためでしょう。そんな中でも亡くなった義兄たちに敬意を払ったということは、曹丕にとって二人はそうするべき相手だったのではないかと思います。
三国志ライター センの独り言
ここまで言いましたが、一族に力を付けさせるというのは一長一短です。
曹丕は一族にあまり力を与えませんでしたが、それは逆に司馬一門の反乱を招いたとも言えるでしょう。後世になったからこそ色んな「もしも」を仮定して、批判することも肯定することもできます。しかしそんな中でも、もし曹昂が生きていたら…曹魏の運命はどれだけ変わったのか。良い方に変わるのか、悪い方に変わったのか…そちらの運命もまた、見てみたかったかもしれません。
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