今回は織田信長の精神状態に注目します。織田信長といえば、戦いや政治では大胆なやり方を実行したことで有名です。一方で、織田信長は気性が荒い性格だったことから何かしらの精神疾患があったのではという指摘もあります。この記事では、織田信長の才能を発揮した場面と精神疾患が見られる事例をそれぞれ紹介します。
織田信長の天才的なひらめき
織田信長は父・織田信秀が病死したことにより家督を継ぎました。信長は今川義元の寄親・寄子制を手本にしようとしますが、尾張は小国であることから諦めました。代わりに武士の二男・三男以下の仕事のない若者と交流し、家臣として取り立て、戦う集団にします。このやり方によって繁忙期に農民を兵士として集められないという弱点を克服することができました。
後に、豊臣秀吉の兵農分離へとつながります。
織田信長といえばポルトガル人宣教師にキリスト教の布教を許したことで南蛮文化を積極的に取り入れました。
例えば、ルイスフロイスが信長に地球儀や世界地図を見せて地球の構造を説明しました。信長は地球の構造を一瞬で理解したといわれています。1992年の大河ドラマ『信長 King of Zipang』など多くのドラマでは、ガリレオ・ガリレイの地球は丸いという学説の説明を受け、すぐに理解したシーンを見ることができます。
なお、織田信長が説明を受けていたとき、ヨーロッパでは、ガリレオ・ガリレイの地球は丸いという議論について確定していなかったようです。織田信長はヨーロッパの政治体制にも関心がありました。織田信長はルイスフロイスから当時のヨーロッパの政治体制の説明を受け、一瞬で理解したといわれています。
精神疾患があった織田信長
織田信長の性格について取り上げます。信長はいい人として評価される一方で、気性が荒いことでも有名です。
例えば、織田信長は家督争いで弟の信勝(信行)を殺害しました。尾張国を平定した際、敵方の弟についた林道勝や佐久間信盛らを許し、家臣に取り立てます。また、信長は失敗した家臣に再チャレンジの機会を与えています。しかし、成果を出せなくなると過去の裏切りや失敗を理由に追放しました。追放された家臣として林道勝や佐久間信盛が当てはまります。
信長には残酷な一面も見られました。比叡山延暦寺の焼き討ちや伊勢長島の一向一揆における虐殺が挙げられます。これらの出来事について、戦っていた兵士だけでなく、女性や子供も虐殺しました。
このような家臣の追放や虐殺について、信長は感情をコントロールできなかったという説があります。精神科医によれば、情性欠如型人格障害があったのかもしれないということです。前頭葉で感情をコントロールしますが、前頭葉でコントロールできなかったのかもしれません。
戦国時代ライターオフィス樋口の独り言
今回は織田信長の才能を発揮した場面と精神疾患の症状が見られた事例を比較する形で注目しました。具体例として、宣教師から説明を受けた地球の構造やヨーロッパの政治体制を一瞬で理解したことを取り上げ、天才的な一面があることが分かりました。
一方で、織田信長については残酷な一面があることでも有名です。残酷な事例として、譜代からの家臣だった林道勝や佐久間信盛を追放したことを挙げました。他に、比叡山延暦寺の焼き討ちや伊勢長島の一向一揆で女性や子供を虐殺したことも取り上げました。
近年の研究において、信長には感情をコントロールできなかった人格障害があったという指摘がされています。テレビ番組などで偉人たちの健康状態や精神状態が分析されていることから新しい発見があるかもしれません。今後の研究に期待したいと思います。
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