こんにちは。拙著「三国夢幻演義」のロケハンと称し、仕事の傍ら中国各地を旅する旅人作家・光月ユリシです。
ロケハンは得られた情報からイメージを膨らませ、それを活字化して小説に取り入れることを目的としています。ここでは、小説の解説とは別にその様子を随時紹介していきたいと思います。
孔明から遅れに遅れること1800年ちょい。私が荊州入りしたのは2015年のことです。ちょうどこの頃、「龍の少年」を執筆中でして、その関係もあり、次の目的地を長沙に定めました。そして、長沙に滞在しながら周囲の観光スポットを巡ることにしました。
この記事の目次
何で「長沙」なのか?
湖南省の省都・長沙市は三国時代の長沙郡の郡都・臨湘に相当します。昔から長沙という地名があったのです。その理由は何でしょうか。地図を買ってみたら、すぐにピンときました。そして、それは間もなく確信へ変わります。
臨湘はその名からわかる通り、湘水(現在の湘江)に面していました。写真の高層ビルがある辺りが後漢・三国時代に臨湘城があった場所です。湘江の中央に長く大きな砂洲が見え、橘子洲(きっししゅう)と呼ばれています。荊州を呉と蜀が争った時、この湘水を境に国境が設定されて、手前側が蜀、対岸側が呉の領地となりました。
湘江と橘子洲内陸にある砂洲では世界最大級というこの砂洲が形成され始めたのは晋代とのことですが、私はもっと早い時代からあったのだと思います。現在ほど大きくなくとも、漢代の臨湘城からは長く伸びた砂洲が見えたのではないでしょうか。
知られざるロスト&ファウンド
長沙攻めを控えたある日、見事な髯をたくわえた赤顔の将軍が川を渡ろうとしました。ところが、髯の将軍は大切な武器を川に落としてしまいます。途方に暮れる髯の将軍・・・しかし、神的な素質が元来備わっていたのでしょうか、吉報がもたらされます。
河口付近で奇跡的に武器が見つかったとのことでした。めでたし、めでたし。これってあまり知られていないエピソードじゃないでしょうか。私も長沙に来てから知りました。それなら、現地に行けば何かモニュメントがあるかも・・・と思い立ち、地図を片手に長沙郊外のその川に行ってみました。
ここは湘江の支流・撈刀河(ろうとうが)が湘江と合流する地点です。「撈」は“すくいあげる”という意味。エピソード自体が川の名前になっていて期待が高まります。川沿いを歩いていたら、何やら金色に輝く大きなものが・・・
予想的中です。団地の敷地内に川を眺めるようにそびえ立つこのエピソードの主人公を見つけました。ご存知、美髯公・関羽です。黄金に輝く姿で神々しくポーズを決めていらっしゃいます。その手には戻ってきた青龍偃月刀が。思わずイソップ物語の金の斧・銀の斧の童話が頭をよぎりました。どんな形であれ、このような小さなエピソードも小説に取り入れていきたいな~と思いながら、帰路に就きました。
三国志的には肩透かし
ところで、三国志の長沙太守といえば、孫堅・張仲景・韓玄などが挙げられますが、長沙には孫堅関連の遺跡はなし、張仲景の祠廟はすでに取り壊されていて、韓玄墓は残っているものの、中学の敷地内にあって見学できないといった有様。黄忠・魏延関連のものもなく、三国志ファンとしては何とも寂しい限りです。
単刀赴会の地・益陽
長沙がそんな具合なので、長沙を離れて近場を旅してみました。まず行ってみたのが益陽です。長沙から電車で西へ1時間、高速道路を利用すると、途中、関羽のテーマパーク「関山古鎮」の関羽像が見えます。そんな感じで、益陽も関羽押しです。その理由は呉と蜀による荊州の領土交渉である単刀赴会(たんとうふかい)があったところだから。関羽が青龍刀一本で魯粛の待つ会場に乗り込む単刀赴会はフィクションのようですが、関羽の見せ場の一つですね。
単刀赴会ではやられ役の魯粛さん。でも、この領土交渉を呉に有益な形でまとめたのが魯粛です。彼のために弁護しておきますが、史実での魯粛は非常に有能な人でした。その後、蜀の武陵郡と国境線を接することになった益陽に駐屯して堤を整備したようです。
魯粛の庭・巴丘
次に向かったのは洞庭湖畔の都市・岳陽です。岳陽は江南三大名楼の一つに数えられる岳陽楼があり、観光名所となっています。高速電車がある現在では、長沙から約30分ほどで到着します。駅から洞庭湖湖畔まではバスでしばらく移動が必要です。岳陽は三国時代でいう巴丘です。巴丘は三国志における戦略上の要地であるだけではなく、「三国夢幻演義」の物語的にも非常に重要な場所となります。
ここで最も有名な三国志関連人物といえば、そうです、魯粛です。周瑜の死後、魯粛はこの地に駐屯して洞庭湖で水軍の訓練を重ねました。その時に建造した閲兵台が岳陽楼の起源です。そのため、岳陽楼景区内でも魯粛が紹介されています。
唐代には杜甫が訪れて、「岳陽楼に登る」という有名な詩を残しました。同じ体験をしようと岳陽楼は観光客でごった返します。上層からは洞庭湖の雄大な景色を臨むことができますが、登楼待ちの行列ができて、時間がかかってしまうのが難点です。
魯粛墓は岳陽楼景区から少し離れた路地裏にあり、ここまで来る観光客は稀です。彼の死後、蜀と呉の関係が悪化することから、両国にとっていかに影響力があったかがうかがえます。
ちなみに景区内の最奥部には、小喬(周瑜の妻)の墓も存在します。
伝説が眠る島・君山
現在でも海を見たことがない中国人はいます。三国時代はほとんどの人が海を見たことがなかったでしょう。ですが、広大な大地には広大な湖がありました。それが洞庭湖です。現在では面積が随分と縮小してしまったようですが、それでも、その圧倒的景観を眼前にした時は私も感嘆しました。岳陽を訪れたついでに観光したいと思っていたのが湖の対岸にある君山です。
君山は三国時代は湘山と呼ばれていました。洞庭湖は夏季の増水期には琵琶湖の四倍の面積にもなったそうです。ダムなどによって水量がコントロールされている今では完全に陸続きですが、昔は増えた水によって分断され、島のようになりました。船でもバスでも行くことができます(せっかくですから、船がお勧めです)。
私がこの君山を訪れたいと思った理由が二湘(湘夫人)の伝説です。君山には二湘の霊廟・湘妃祠があるのです。その伝説とは・・・
堯(ぎょう)の娘に娥皇(がこう)・女英(じょえい)という二人の娘がいて、ともに舜(しゅん)の妃となりました。堯も舜も五帝(伝説の五人の帝王)の一人です。舜が崩御すると、二人の妃は悲しみのあまり、湘水に身を投げて自殺してしまいました。湘水を流れ下り、彼女たちの魂が流れ着いた先が湘山です。
三国志ははるか昔の歴史ですが、それ以前にも歴史が積み重ねられてきました。三国志の登場人物たちも先人たちが遺した作品や言い伝えられてきた伝承・伝説と接しながら人生を歩んだのは言うまでもありません。ですから、「三国夢幻演義」の作中にも、それらを巧く絡めながら、適宜取り入れていこうと思います。
記録には残っていないとはいえ、孔明や魯粛が湘山を訪れていたとしても不思議じゃありませんよね。この二湘の伝説がどう物語に絡んでくるのかは、その時のお楽しみということで・・・。
龐統赴任の地・耒陽
最後にちょっと遠出をして、長沙から高速電車で南へ3時間ほどの耒陽(らいよう)へ。三国志でいうところの桂陽郡です。有名でもない田舎の耒陽を訪れる日本人観光客はほぼ皆無。ただ三国志(後漢)的にはいくつか見どころがあります。
まずは杜甫公園前の勇壮な張飛像。劉備の荊南支配が確立した後、張飛は巡察で耒陽を訪れています。その理由は見出しにもあるように、劉備に投じたばかりの龐統が耒陽県長になったにもかかわらず仕事をしていないという嫌疑を確かめるためでした。
その場面を再現した史跡があるとネットで知り、行ってみたところ・・・。がっくり。すでに閉鎖されていました。せっかくやって来たのに・・・と落胆すること小一時間。
何ということでしょう。偶然にも史跡内に資材を運び入れる人たちが現れ、私はそれに紛れて内部に入り込むことができたのでした。古県廷(こけんてい)の史跡は写真を見てのとおり、ボロボロ。埃まみれ。草もぼうぼうで、とうの昔に完全閉鎖の様相です。
・・・と、いうことで、恐らく私が最後の観光客となりました。
ところで、耒陽は製紙法を改良した宦官・蔡倫の故郷でもあります。耒陽には彼の功績を称えた蔡倫記念館があります。
光月ユリシの独り言
以上、旅行した当時を思い出しながら書いてみましたが、いかがだったでしょうか?
当然と言えば当然ですが、三国時代の遺跡がそのまま残っているのは稀で、大概は後年になって再築されたり、新設されたりしたものです。しかし、そこには後世の人々の思いが込められていて、一見の価値はあります。また、当時とあまり変わらないであろう自然風景を見ては昔日に思いを馳せる。これもまた旅行の醍醐味だと思います。
作品に臨場感を持たせるためにも、実際に現地を訪れて自分の目で確かめ、肌で感じることは私にとって大切な作業で、それによっては思いがけない発見と新しい着想、想定していなかった展開が生じたりします。
これからも三国志と拙著「三国夢幻演義」に関わる場所を旅行して、それをご紹介できたらいいなと思います。それでは、また。
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第1話:三国夢幻演義 龍の少年「命の山」
【あらすじ】
時は中国後漢末期。父の死と激しさを増す戦乱を避けて、
故郷を離れることを余儀なくされた少年がいた。
生と死の狭間で、数々の出会いと別れを経験しながら、少年は成長し、次第に龍才の片鱗を見せる・・・。
【龍の少年のご感想について】
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