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宦官の始まりは古代中国史ではどの時代からはじまったの?

2019年7月5日


 

宦官たち 

 

どの三国志小説にも必ず出てくる「宦官(かんがん)」と呼ばれる名称。皆さんは「宦官」が一体何をする人かご存じでしょうか。多分知っている人は少数だと思いますので、今回はこの「宦官」始まりと何をしている人なのか紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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つい最近までいた「宦官」!?

宦官の趙高(キングダム)

 

中国最後の王朝・清王朝(しんおうちょう)。この清王朝は女真族の愛新覚羅(あいしんかくら)出身のヌルハチが、バラバラになっていた女真族(じょしんぞく)の統一から始まり、フリンの時代に明を滅亡させた李自成軍を北京から追い出し、李自成を滅亡させ、明の残党軍を撃破し、中国本土を統一。

 

その後清王朝は連綿と王朝を継続させ、1912年宣統帝・溥儀(ふぎ)で幕を閉じることになる超長期王朝です。この初代ヌルハチとホンタイジは政治と軍事を三国志演義を読んで学んでいた事もあり、三国志と無縁ではありません。

 

さてこの清王朝には後漢王朝と同じように宦官と呼ばれる人々が存在していました。清王朝に仕えた最後の宦官は孫耀庭と呼ばれる人物で、1996年に94歳で生涯を終えたそうです。つい最近まで「宦官」が居た事に驚きの読者も多いかと思います。

 

誰が最初に宦官になったの??

宦官VS外威 三国志

 

清王朝までいた宦官ですが、中国のどの時代に生まれたのでしょうか。宦官は十八史略によると春秋時代で初めて、生まれたそうです。初めて生まれた宦官の名前は豎刁と言う人物です。

 

管仲

 

彼は春秋の五覇で有名な斉の桓公(かんこう
)
に仕え「管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)」や諸葛孔明が憧れた・管仲(かんちゅう)と敵対。しかし豎刁は桓公と管仲亡き後、斉の政権を数人で結託して握り、斉の政治を乱した悪者でした。

 

この時から宦官は三国時代の宦官のように政権に取り入った悪者でしたが、彼ら宦官の仕事はどのような業務なのでしょうか。

 

 

 

宦官の仕事内容は??

黄皓

 

宦官は王朝によって異なります。三国時代の宦官は君主の料理を作ったり、清掃などの雑務をメイン業務でしたが、他にも皇帝と宰相の連絡役になったり、色々な仕事をこなしていました。明王朝の宦官は「酌中志」と言う書物によれば、職務の内容によって十二監、四司、八局に分類され、これらすべてをまとめた二十四衙門と呼ばれる役所があったそうです。内官監と呼ばれる部署は国が行うすべての土木工事を監督。

 

また皇帝専用の屏風や調度品、椅子などを作っていた御用監。馬や象の世話をしていた御馬監。華族の爵位授与や公文書、割を保管する仕事を受け持っていた印綬監などがあります。

 

また四司も薪や木炭を集めたり、宮廷の泥さらいをする役職やちり紙を作ったりと大変でした。このように明王朝時代の宦官は役職ごとに仕事が細分化され、かなり多く仕事を請け負っていました。

 

 

春秋戦国時代~三国時代までの代表的な人物とは

宦官の趙高

 

歴史上の宦官にも有名な人物がいるのでしょうか。ここでは初代宦官が登場した春秋戦国時代~三国時代までに登場した有名な宦官を紹介したと思います。まず秦の始皇帝に仕え、キングダムにもちょこっと登場した趙高(ちょうこう)

 

胡亥

 

彼は始皇帝の死後、秦の二代目皇帝胡亥(こがい)を操って、政権を握ってやりたい放題します。その結果、秦の滅亡を早めることになり、最後は秦の最後の子嬰(しえい)によって殺害されます。

 

司馬遷(しばせん)

 

次の有名人は前漢王朝の武帝の時代、李陵(りりょう
)
をただ一人弁護した事がきっかけで、武帝によって宮刑へ処せられた歴史家・司馬遷(しばせん
)
。司馬遷は歴史書「史記(しき)」を書いた事でも知られ、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

 

王族ボンビーから一転セレブ07 董太后、霊帝、王美人

 

最後の有名人は曹操の祖父で知られる曹騰(そうとう
)
。彼は後漢王朝の安帝、順帝、沖帝、質帝に仕え、優れた人物を見いだして、朝廷へ仕えさせるのが趣味だったそうです。他にも有名な宦官には後漢王朝の霊帝(れいてい)へ仕えた十常侍(じゅうじょうじ
)
などがいます。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は宦官について紹介しました。宦官は中国だけではなく、アッシリアやアケメネス朝ペルシャ帝国、古代ギリシャやローマ帝国などの国々でも宦官と呼ばれる人々が存在していたそうです。

 

三国志ライター黒田レン

 

このように宦官は中国や西アジア、地中海地域で広がった制度でした。一応日本には「宦官」と呼ばれる制度は存在していなかったようです。

 

■参考 中公新書 宦官側近政治の構造など

 

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三国志とお金の話

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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