結婚は墓場!?陸遜の姪の陸鬱生を没落させた曁豔事件とは?


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陸遜

 

陸遜(りくそん)は呉(222年~280年)の丞相です。 呉郡の四姓(陸・顧・朱・張)の1つ陸氏の出身でした。孫策(そんさく)の娘を娶っているので、陸遜は外戚(=皇帝の親族)に当たります。

 

孫策、陸遜、顧邵、他

 

陸遜は孫策の娘と結婚することで栄光をつかみました。しかし、陸遜の姪の陸鬱生は呉郡の四姓の1つ張家と婚姻関係を結んだことで没落することになります。

それはなぜでしょうか?

そこで今回は陸遜の姪の陸鬱生の没落の原因となった曁豔(きえん)事件を解説します。

 

自称・皇帝
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孫家との婚姻

袁術

 

興平元年(194年)に袁術(えんじゅつ)は廬江太守の陸康に兵糧提供を求めますが陸康(りくこう
)
からは拒否されます。この一件で仲の良かった袁術と陸康の間に亀裂が生じました。怒った袁術は孫策を討伐に赴かせます。孫策はかつて陸康の屋敷に行った時に、陸康から直接応対してもらえずに恨んでいました。

 

呉の勢力を率いる孫策

 

興平2(195年)に孫策からの攻撃を受けた陸家は壊滅寸前まで追い込まれます。陸家は陸康を筆頭に死ぬ者が続出。陸遜は叔父の陸績と一緒に攻撃前に逃げたので命は助かりました。

 

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

それから時は流れて建安5年(200年)。孫策は暗殺されて弟の孫権が後を継ぎました。孫権は孫策の死後、すぐに陸績(りくせき
)
と陸遜を呼んで出仕させて、建安21年(216年)には陸遜に今までの功績から孫策の娘と結婚させます。

 

ここに陸家と孫家の関係は回復されました。


曁豔事件 呉郡の四姓 張氏の没落

 

建安24年(219年)に陸績は33歳の若さでこの世を去ったので、陸績の遺児は陸遜の弟である陸瑁が引き取って育てます。

 

その中に陸鬱生という女の子がいました。13歳まで陸瑁のもとで育った彼女は、同郷の張白という人物に嫁ぎました。張白は呉郡の四姓(陸・顧・朱・張)の1つ張氏の出身であり兄は張温。

 

兄の張温は若い時から容姿端麗・品行方正の聖人君子であり呉では大人気!ムダなことは一切しゃべらない顧雍や頑固者の張昭からも支持をもらっているので、張温が将来を嘱望されていると分かります。

 

孫権と三国アヒル

 

黄武元年(222年)に孫権は呉を建国。当時の孫権の年齢は41歳。政治家としてはすでにベテランの領域です。これからは自分の力で色々やっていきたいはずです。そうなると邪魔になってくるのが古参の部下でした。特に張昭やその派閥は孫権にとって鬱陶しい。特に張温の私的名声は孫権の君主権確立に障害となります。

 

遅れて来た孫権 英雄

 

黄武3年(224年)に張温は孫権の命令で蜀(221年~263年)の使者となります。蜀に到着して張温は劉禅や蜀の家臣・政治をほめたので、諸葛亮から絶賛されます。ところが、報告を聞いた孫権はびっくり。敵国を称賛するなんて不愉快極まりない行為である、と思いました。

 

そこで孫権は張温の落ち度の調査を始めました。孫権は張温の部下に曁豔という悪党がいることを突き止めます。この男は人事担当でしたが、やっている人事はデタラメであり、自分の価値基準で昇格・降格を決めていました。

 

真相を突き止めた孫権は曁豔とその仲間の徐彪に自殺を命じます。そして、2人と交流があった張温は弟の張白と一緒に流刑にされました。ここに呉郡の四姓の1つ張家が没落したのです。


陸鬱生の愛

 

さて、張白に嫁いでいた陸鬱生はどうなったのでしょうか?幸いなことに陸鬱生は流刑にはなっていません。彼女は生活が苦しくなった張家の人々に対して必死で世話をしました。

 

その後、夫の張白は流刑地でこの世を去りますが、その時から彼女は再婚をしないことを誓います。周囲の人は積極的に彼女に再婚すすめましたが、陸鬱生は亡くなった夫の義理を立て生涯再婚はしませんでした。


三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

陸鬱生がいつ亡くなったのか史料は何も語っていませんが、おそらく力いっぱい生き抜いたに違いありません。しかし、陸遜が曁豔事件で張温を擁護した話はありません。これは筆者の推測の域ですが、陸遜も張温を助けたい気持ちはあったと思います。

 

だが、当時の陸遜は夷陵で蜀を敗北させてトントン拍子に出世していた時期でした。迂闊な発言で身を滅ぼすわけにはいきません。陸遜の心中は、きっと苦しかったでしょう。ところが、運命とは恐ろしいものです。

 

孫権に煽られて憤死する陸遜

 

陸遜にも災いが降りかかる時が来ます。それが赤烏8年(245年)に孫権の後継者問題で部下の意見が分裂した結果、陸遜が憤死することになった二宮事件だったのです。

 

※参考文献

・渡邉義浩『図解雑学 三国志』(ナツメ社 2000年)

 

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