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劉備の福耳こそが名君の証?武力よりも知力よりも人徳よりも「幸運度」こそが乱世に求められる

2019年11月6日


 

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夷陵の戦いで負ける劉備

 

残念ながら、劉備(りゅうび)はどこか「戦争には弱い」イメージ。

 

土いじりをする劉備

 

諸葛亮(しょかつりょう)に出会ってからは連戦連勝が始まりますが、それ以前の時代の彼には、とにかく逃げてばかりという印象です。負けて逃げて、しかしいつも、どういうわけか生き延びている人という感じ。

 

麋竺と劉備

 

袁紹(えんしょう)袁術(えんじゅつ)呂布(りょふ)も続々と倒れていく『三国志』前半の展開の中で、こんなに負けているのに命だけは奪られずに済んでいる劉備は、なんだか不思議な経歴の人です。そのためか、劉備にはラッキーマンなイメージもつきまとっています。

 

張飛と劉備

 

それを象徴するのが、彼の「福耳」。『正史』にも記述があることなのですが、劉備は「耳が非常に大きく自分の耳を見ることができるほどだった」とか!

 

自称・皇帝
当記事は、
「劉備 福耳」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備の福耳がどれだけ凄かったのかみんなで実験してみましょう!

酔いつぶれる劉備玄徳

 

それって、どんだけ大きいのか?

実験することが可能です。

 

・自分の耳たぶに、ガムテープを貼り付けてぶらさげてみてください

・そして適当な長さで切ります

・そのガムテーブに手を添えて、前方に「びろん」と持ち上げてみて、「自分の目で見える」ところにマークをつけます

・そのマークの部分でガムテープを切り、鏡の前に立ちましょう!

・そのガムテープの長さが、劉備の耳たぶに関する記述、「自分で見ることができる耳」の大きさとなります

 

どうでしょう?

かなり長いですよね?

率直に、ちょっと気持ち悪いくらいじゃないでしょうか?

 

これだけの福耳ならば的盧の不吉すら相殺できたハズ!

法正と劉備

 

いったい「福耳」というものにおいて、「耳の長さと福の大きさが比例するのか」はわかりませんが、あえて仮説として、「劉備の異常な福耳は、劉備の異常な幸運の源泉になっていた」としてみましょう。

 

曹操から逃げ回る劉備

 

だとすると、前半生における「負けても死なない」強運についても、なんだか説明ができそうです。

 

蜀の劉備

 

負けても負けても「どういうわけだか毎回、俺って無事に済んじゃうんだよねー」と平然としている大将というのは、それはそれで部下には多大な安心を与えたのではないでしょうか?

 

三国志の主人公の劉備

 

「うちの大将についていると、戦では負けるけど、一緒に逃げ回っていると必ず生き残ることができる。そんなら、ヘタに曹操軍とかに雇われて恐怖政治の下で辛い思いをするより、ここにいたほうがいいや!」と、居心地の良さを覚えてしまう兵士もたくさんいたのではないでしょうか?

 

的蘆に乗って逃げる劉備

 

もうひとつ、思い出すことができるエピソードがあります。劉表(りゅうひょう)のところに身を寄せていた際に、「不吉」とされる馬、的盧(てきろ
)
を贈られた話ですね。

 

魔のトリオ攻撃が劉備を追いつめる

 

周囲が「的盧というのは不吉な馬だから乗るのはやめなさい」と助言したのに、「ダイジョウブだよ!」と意に介さなかった劉備。

 

魔のトリオ攻撃が劉備を追いつめる!07 蔡瑁、劉備

 

実際に的盧はむしろ劉備を暗殺の危機から救い出してくれるのですが、これもひょっとしたら劉備の異常な福耳の「幸運度」パワーが、的盧の「不吉度」を相殺して、むしろ余りがあったということではないでしょうか?

 

陳登と劉備

 

「他の人を乗せると不幸な目にばかり合わせてしまうオイラだけど、劉備様を載せるとどういうわけかラッキーが重なって、オイラでも名馬として活躍できちゃう!」と、劉備を載せていた的盧も大喜びだったのではないでしょうか?

 

まとめ:ひょっとしたら「運」こそが乱世の最高のリーダーの資質かもしれない

劉備 危機一髪

 

こうして整理してみると、劉備の異常な幸運は、バカにしたものではありません。不吉の象徴とされる馬に乗ってもなおラッキーを繰り出せるほどの幸運度は、じゅうぶんにひとつの才能と言えるのではないでしょうか?

 

朝まで三国志 劉備

 

マジメに考察してみても、近現代の「名将」と言われるような人たちは、本人の能力だけでなく、「幸運の星がついていた」としか言いようのない偶然に助けられていたりします。有名な経営者にも、そういうタイプの人がいますよね。

 

「細かく見ると実は失敗続きの経歴なのに、なぜか最後にはすべてがうまく行ってしまうリーダー」という人が。

古代の戦乱の時代には、なおさら、「あの殿様はとにかくツイている人らしい」というウワサは民衆や一般兵卒には尊ばれたことでしょう。

 

二刀流の劉備

 

「武勇に優れている」とか「策略に長けている」とかいう評判よりも、「どういうわけだかいつもツイている」という評判のほうが、戦乱に疲れた人々にとっては好ましいリーダー資質とみられていたことでしょう。

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

そうだとすると、一般の劉備の武器であったとされる「人徳」すらも、実は劉備の幸運度に支えられてこそのことだったかもしれません。

「あの人は人柄がいいから」というよりも、「あの人は人柄がいい上に、そもそも異常に運がいいから」と評判の君主のほうが、部下や兵士たちは寄ってきますしね。

 

劉備の「異常な福耳」こそが、彼を蜀の皇帝にまで押し上げてくれた功労者だったのでは、などとすら思ってしまいます。

 

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