2週間ぶりに発売されたキングダム621話を読んで、多くの読者は思った事でしょう。いやマジで龐煖ってゲスくない?kawausoもそれは感じました。ええ、確かに龐煖は勝ちました。羌瘣をメタくそにブチ壊し、その強さを見せつけました。しかし、今回ほど龐煖のゲスさが際立った回は無かったんではないでしょうか?今回はネットで、もはやランカイレベルとさえ言われた龐煖の心理状態について考えてみます。
キングダムファン向け:キングダムに関する全記事一覧
関連記事:キングダム最新621話ネタバレ「堕落する者」レビュー考察
関連記事:キングダム最新621話休載スペシャルvol4「怖い時には膝歩き!飛信隊のリアルな戦い方」
この記事の目次
ガッカリ、権威主義者だった龐煖
Kawausoは、龐煖について誤解をしていました。
確かに龐煖は傲岸不遜であり、自らを武神と名乗る狂えるバーサーカーですが、武に対してだけは真摯であり弱者は見下す一方で強者は尊敬する側面もあるのではないかと・・・しかし、それもキングダム621話で崩れ去ってしまいました。
それが羌瘣に対する
「吠えるな神堕としの分際で、貴様こそ所詮は器、宿すものではない今の貴様の場所など、とうに踏みしだいたわ」
このセリフです。
いえね、圧倒的に羌瘣をあしらって、恐怖と絶望を与えながら、このセリフなら龐煖おっかねェべともなりますが、羌瘣に翻弄されて翻弄されて、いら立ちから口走ったセリフですから、そのダサさが半端ないんですよ。
つまりは、俺の方が偏差値高い高校に通っているから、お前より上等な人間だと言っているようなもんでしょ?しかも試験で負けておいて、肩書だけに縋り無意味に威圧する幼さは、チャイルドか貴様は?ってなもんです。
悲報!昔より幼稚になった龐煖
そんな龐煖、羌瘣との初見であるキングダム十四巻ではこんな事言ってます。
「さあ、荒ぶる神、宿す者と堕とす者、どちらが天に選ばれし強者か存分に示そうぞ」
このセリフは、まあカッコいいですよ、どっちが強いか決めようぜですから、神を宿した方が堕とすよりも上なんだぜという変な偏差値主義も臭ってきません。それから数年、確かに強くはなったけど、精神レベルはチャイルドにまで退化した龐煖、哀れすぎて何も言えねえって感じです。
これでは、信も怒りを示す以前に、王騎を殺したほどの終生の宿敵の落ちぶれた姿にむしろ哀れみを見せるのではないでしょうか?摎や王騎や麃公を殺した頃は、無茶苦茶な性格でも、こんなに落ちぶれてはいなかったでしょう。
まるでランカイ!武人の矜持も捨てた龐煖
そして、何よりもあいたたたと思ったのが、羌瘣を捕まえられないので苛立ち、足を掴んで地面に叩きつけた、あのランカイ化のシーンです。あれだけ長大な矛を持っていながら、捕らえられないと分かれば足を掴んでプロレスのように地面に叩きつける。
それも全身武器PRと言うよりは、自分を部分的に超えた羌瘣に対する憎しみを抑えきれず、鬼のような形相で何度も地面に叩きつけて留飲を下げています。純粋に武と武で撃ち合う精神、傲岸不遜であっても孤高の強者であった筈の龐煖はどこへやらで、弱者とみなしていた相手が、己を超えた事に我慢ができないで、ひたすらに八つ当たりするまるで子供の駄々っ子です。
「なんで、僕ちんの思う通りに矛が当たらない!なんで攻撃をよけるんだ、ふざけるなお前なんか地面に叩きつけて壊してやるぅ」
なんだか、王弟反乱編の頃の成蟜のようでもあります。己の血の高貴さだけに縋り、自分は一切成長しようとせずに、財力だけで反対者を抹殺してしまおうとした成蟜。最強の武を自分の専売特許のように感じて、それを脅かす存在に狂気の憎しみを向ける龐煖は、甘ったれの頃の成蟜に重なります。
信に力で敗れ生まれ変われるか?
しかし、龐煖が醜いほどに荒れているのは、自分が信じてきた価値観が崩壊しようとしている事を恐れて、葛藤し苦しみもがいているからでもあります。誰だって、それまで信じてきたものが偽りかも知れないと思えば、心穏やかでは居られないでしょう。
スケールは全然違いますが、私たちだって社会人として生活している中で、他人が信じられなくなり、ヤケ酒を飲んだり、同僚と喧嘩した過去だってあるはずです。
でも、人生最悪の時は、再びゲインする出発点でもあったと思います。龐煖はまさに自分が信じた武の極みに疑問を感じ、私たちが酒に当たるように、羌瘣を木っ端みじんに砕いて現実逃避しているのだと考えられないでしょうか?kawausoは考えられないです(嘘)
考えてみると、俺は頭がいいと錯覚しているヤツが、その幻想から覚めるのは、もっと頭が良いヤツに遭遇した時です。俺はモテるというヤツが、本当は大した事ないと気づくのは女に振られた時です。何が言いたいのかと言えば、人は得意だと思っている事で敗北した時に、一皮むけて謙虚になるという事です。
ならば、龐煖は神を堕とした者よりも遥かに劣る信に全力で立ち向かって敗れた時に、自らを縛り続けた武の極みの呪縛から解き放たれ、自由になるのかも知れません。
【次のページに続きます】