滅ぼされた側の蜀のファンからすれば、せめてこの二人にはカタキながらもオオモノであってほしいと思うところがありますが、いろいろと足を引っ張り合い自滅していってしまった「終わりの悪さ」が印象としてつきまといます。
特に問題となるのが鍾会の最期。
鄧艾のことを「謀反の疑いがあり」とチクッて刑死に追い込んでおきながら、その直後にとつぜん、姜維とつるんで反乱を起こし、しかし実際にはほとんど何もできないうちに誅殺されてしまいます。
いったいこの人は誰の味方だったでしょうか。
もし本気で天下を狙う野心があったとするならば、それはどの程度、本人の実力に裏打ちされたものだったのでしょうか?
「鍾会 最期」
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この記事の目次
いろいろとスッキリしない「鍾会の乱」前後の経緯!
まずは蜀漢平定から「鍾会の乱」に至る前後の展開をおさらいしてみましょう。
・鄧艾と鍾会が蜀平定のために出動する
・それぞれに順調に戦績を上げるが、実際に蜀を降伏させたのは鄧艾
・成都に入った鄧艾は兵力を整え、そのまま呉に攻め込む準備を始める
・独断で呉への侵攻準備を進める鄧艾に対して、魏の本国では不信感が募っていく
・これはよい機会とばかりに、鍾会が「鄧艾には謀反の疑いがある」とチクリを入れる
・鄧艾の逮捕勾留につながる
・鄧艾がいなくなった成都で独裁者状態となった鍾会のところに、姜維が接近してくる
・姜維が鍾会に「あなたはこんなところでくすぶっている人材ではない、天下も狙える人材だ」といろいろとヨイショを入れる
・すっかりその気になった鍾会は姜維と組んで決起する覚悟を固める
・このとき、「蜀をこのままオレがいただいて割拠すれば天下も十分狙える。失敗したとしても、蜀の中に閉じこもって独立国家の君主として立てば、最低でもかつての劉備くらいの地位にはなれるんじゃね?」という、よくよく考えると蜀漢の遺臣を取り込むには反感を買いすぎる発言をしていた
・反乱のために幽閉していた部下が決起し、殺害される
・つまり、ほとんど何もできないうちに「鍾会の乱」は終わった
やはり気になって仕方ないのは鍾会の「反乱準備のずさんさ」
どうにも気になるのは、その行動について首尾一貫性という点で「?」がつくことではないでしょうか。
蜀の平定を推し進めたところまではよかったものの、どう考えても鄧艾に先を越されたことへの焦りから鄧艾を追い落とし、そのあとで姜維にヨイショされるとすぐその気になって後先を考えずに反乱軍を立ち上げ、案の定、準備ができていなかったためにすぐに自滅してしまったあたり。
・魏の本国とうまくいっていなかった鄧艾をむしろ仲間に引き込んだほうが、反乱の成功率は上がったのではないか、とか、
・鍾会が反乱をして「成功する」と踏んだ根拠は、ほとんど接近してきた姜維の「あんたならできるよ!」というヨイショのコトバだけだったのではないか、とか、
・少なくとも、もう少し仲間を増やしたり、蜀の遺臣をしっかりと抱きこんだり、いろいろ地盤固めをやってから反乱決起をしたほうがよかったのではないか、とか、
素人ながらにもこの「鍾会の乱」の準備の悪さにはいろいろと言いたいことがでてきます。ぶっちゃけ、その場その場の空気に押されて、深い考えもなく動いているようなところを感じてしまいます。
まとめ:司馬昭には読みに読まれていた?鍾会の反乱
鍾会は当時の魏において随一の策謀家とされていました。当然、魏の事実上の実権者であった司馬昭からも高い評価を受けての、平定軍司令官への抜擢だったのでしょう。
それにしては、前評判と、実際に蜀に入ってからの「ずさんさ」とのギャップに、後世の我々は戸惑ってしまいます。
ところがこの経緯について、「正史三国志」の「鍾会伝」には、意外なエピソードが含まれています。
鍾会が蜀に向けて出撃したあと、魏の重臣の一人が司馬昭に向かって、
「鍾会を野放しにしておくと、蜀を平定したあとに裏切るのではないでしょうか?あの男は信用できません」
と助言をしたことがあったそうです。
そのとき司馬昭がとんでもないことを言っています。
「その通りだろう。
うまく蜀を平定したら、きっと鍾会は野心を抱くだろう。
でも、そうなったらそうなったで好都合ではないか。
鍾会には疲れた兵隊の人心を掌握できるわけもないし、蜀の遺臣を従えることもできないだろうし、みすみす自滅してくれるだろうから」
つまり司馬昭は最初から鍾会を「蜀の平定という功績をあげたあとには自滅するだろう捨て駒」と計算して使っていた可能性があるのです。
三国志ライター YASHIROの独り言
だとすれば、司馬一族こそ、けっきょくのところはおそるべし策謀家一族、という結論になってしまいますし、しょせん鍾会などは司馬一族の掌の上で踊っていただけ、ともとれるのでした。
三国時代の政治の世界は、本当におそろしい。
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