三國無双のイケメン武将・魏の鍾会にまつわるエピソードがすごい

2017年7月16日


 

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三國無双に登場しイケメン武将としてその名を知られることになった鍾会(しょうかい)

史実でも蜀討伐戦で勲功を挙げる活躍をしていますが、

それ以外で鍾会が一体何をして、

どのように活躍した人物なのかいまいちピンと来ない人が、

はじめての三国志の読者の中でも多いのではないのでしょうか。

そこで今回はイケメン武将・鍾会にまつわるエピソードをいくつか

厳選してお届けしたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魏のイケメン武将・鍾会のエピソードその1:たった5文字で側近へ

 

イケメン武将・鍾会にまつわる最初のエピソードは鍾会の出世にまつわる話です。

司馬昭(しばしょう)は中書令(ちゅうしょれい)・虞松(ぐしょう)に命じて、

皇帝に提出する上奏文を書くように命令。

虞松は司馬師の命令を受けて上奏文を書き記して提出します。

しかし司馬師は虞松の上奏文を読んで「これじゃ話ならん。もう一度書き直して来い」と

上奏文の再提出を命令。

虞松は上奏文をボツにされてしまったため再び知恵を働かせて上奏文を書き記して、

提出することにしました。

だが司馬師は虞松から再提出された上奏文を読み「話ならんな!!もう一度やってこい」と

再びボツを食らってしまうのでした。

虞松は一生懸命自分が書いた上奏文のどこが悪かったのか考えますが、

どれだけ考えても自らの上奏文の悪いところが見つからずに力尽きてしまいます。

鍾会は力尽きて死にしそうになっている虞松を発見すると「どうしたのですか。

私でよければ相談に乗りますよ」と接してきます。

虞松は鍾会へ上奏文を見せて「司馬師様に二回もボツを食らってしまったのですが、

一体どこが悪かったのか全然わからないのです。

鍾会殿はこの上奏文の一体どこが悪いのかお気づきになられますか。」と質問。

すると鍾会はこの上奏文に5文字を付け加えて「これで大丈夫です。

もう一度提出してきてください」と自信満々に答えます。

虞松は鍾会の言葉を信じて上奏文を司馬師へ提出すると

「上奏文はこうでなくてはならない。だが修正したのはお前ではないであろう。

いったい誰がこの上奏文に手を付け加えたのだ」と問いただします。

すると虞松は「私の文章に修正してくれたのは鍾会です。」と素直に答えるのでした。

司馬師は「ほう。鍾会が上奏文の修正を加えたのか。

これほどの文章を書く事のできる人物であれば、

かなり大きな仕事を任せられそうだ。ところで鍾会はどのような人物であるか」と再度質問。

虞松は「深い知識が有り、賢明な判断力を持った人物であります。」と鍾会についての

評価を下します。

司馬師は「よし。すぐに連れて参れ」とすぐに虞松へ命じて、

鍾会を連れてくるように言いつけます。

司馬師は鍾会がやってくるとかなり長い時間二人だけで語り合った後、

鍾会は部屋を出ていきます。

その後司馬師は側近へ「奴には帝王を補佐する才能がある」と語るのでした。

たった5文字を修正しただけで、

鍾会がただならぬ人物であることを見抜いた司馬師もさる事ながら、

鍾会もたった5文字を付け加えただけで、

司馬師に自らの才能を見せつけたことに驚きです。

その後鍾会は司馬師の側近に引き立てられることになり、

活躍していくことになるのです。

 

魏のイケメン武将・鍾会のエピソードその2:張良クラスの智謀を見せる

 

司馬師の側近に取り立てられた鍾会

しかし司馬師は毌丘倹(かんきゅうけん)文欽(ぶんきん)の反乱を鎮定した後、

亡くなってしまいます。

その後鍾会は司馬師の弟・司馬昭(しばしょう)の側近として仕えることになります。

司馬昭の側近として仕えた時淮南の地で諸葛誕(しょかつたん)が司馬家打倒を訴えて、

反乱を起こします。

この時諸葛誕は孫呉からの援軍を自らの本拠・寿春(じゅしゅん)城へ入城させます。

孫呉からの援軍は孫権と婚姻関係にあった全琮の息子・全懌(ぜんえき)、

従兄の全端(ぜんたん)達が諸葛誕の援軍としてやってきておりました。

こうして諸葛誕は孫呉の援軍と自ら率いる軍勢の連合軍で寿春城に篭城し、

司馬昭の軍勢と対峙することになります。

そんな中、孫呉の首都・建業(けんぎょう)に残っていた全一族の全輝(ぜんき)・

全儀(ぜんぎ)が司馬昭に降伏してくることに。

鍾会は彼らが司馬昭に降伏してきたことである計略を

ニュータイプ達の共鳴のように「ピキーン」と閃くことになります。

鍾会は全輝・全儀を使って城内に篭城している全氏に

「孫呉では全懌らが魏の軍勢を撃退できないことに怒り、

彼らの一族すべてを処刑されてしまった。

この仕打ちを恐れた我らは孫呉から亡命して司馬昭様に降伏したのだ。

このような仕打ちをする孫呉に忠誠を尽くすのではなく、

司馬昭様に忠誠を尽くす方がいいのではないのか。」と手紙を送ります。

この手紙を読んだ全懌らは孫呉の皇帝に恐れおののき、

寿春城の城門を開いて司馬昭へ降伏することになり、

鍾会の計略は大成功することになります。

この鍾会の計略を知った諸将は鍾会のことを「前漢の高祖・劉邦(りゅうほう)に

天下を取らせた天才軍師・張良クラスの智謀を持っている」と褒め称えたそうです。

こうして鍾会は自らの智謀を天下に示すことになるのです。

 

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魏のイケメン武将・鍾会のエピソードその3:幼少期から英才教育を施される

 

鍾会は司馬師・司馬昭兄弟の側近として活躍することになります。

しかし鍾会がここまで優秀であったのは、幼い頃からの英才教育があったからです。

鍾会は4歳から「孝経(こうきょう=孔子先生の言論が記してある書物」を読まされており、

7歳で論語(ろんご)、8歳で詩経(しきょう)を叩き込まれていたそうです。

また12歳の時には「春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)」と言うめちゃくちゃ難しい書物を

読破して、15歳の時に太学へ入学。

鍾会が幼少期からとんでもない秀才であったことがこのエピソードから伺えるのではないのでしょうか。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

いかがでしたでしょうか。

今回は魏のイケメン武将・鍾会のエピソードをご紹介させていただきました。

蜀討伐戦での活躍以外にも上記のようなエピソードがあった事を

皆さんご存知でしたでしょうか。

幼い頃からこれだけ優秀であったのであれば、

司馬師・司馬昭兄弟の側近になることは運命づけられていたと言っても、

過言ではないでしょう。

鍾会のエピソードに上記以外に一つ付け加えるとすれば、

蒋済(しょうさい)から高い評価を受けたエピソードがあります。

鍾会の父・鍾繇(しょうよう)は5歳になっていた鍾会を連れて、

「瞳を見ればその人物の大体がわかる」として有名な蒋済に

鍾会の人物鑑定をお願いします。

蒋済は鍾繇と一緒に来た鍾会を一目見てびっくりしてしまい、

鍾繇へ「あなたの子供はとんでもない才能を秘めているでしょう」と述べたそうです。

鍾会は5歳の頃から魏の重臣であった蒋済から上記のような高評価を得るほどの

人物であり、このエピソードだけでも鍾会がとんでもない才能を秘めていることが、

伺えるのではないのでしょうか。

さらに三國無双ではイケメン武将として登場しておりますが、

ひとつだけ大きな欠点がありました。

それは鍾会が大きな野望を持っていたことでした。

この鍾会が持っていた野望のせいで彼は破滅への道を突き進んでいくことになりますが、

このお話はここでは趣旨にそれてしまうため割愛させていただきます。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書4 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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