西涼の錦馬超という渾名で有名な蜀の五虎将軍馬超ですが、彼のもう一つの特徴と言えば、あの噛みつかれているとしか思えない獅子頭の兜ですね。コーエー三國志でも横山三国志でも馬超と言えば一貫して獅子頭に噛みつかれているイメージしかありません。
しかし、三国志演義はフィクションも多い事ですし、あんな面白兜、本当に三国志の時代にあったのでしょうか?
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この記事の目次
びっくり!殷の時代には存在した獅子頭兜
いかにも映画や舞台で映えそうなだけに、虚構の産物のように見える獅子頭の兜ですが、実は嘘でもなんでもなく、殷の時代の遺跡である安陽殷墟から出土しています。本来なら写真でお見せしたいのですが、色々権利関係があるのでkawausoのイラストでご勘弁下さい。
御覧の通り獅子ではありませんが、紀元前1500年頃に造られたにしては精巧な猛獣の顔を象った青銅兜で、なんとなく妖怪ウォッチの狛次郎に似ていて、むしろカワイイ感じですね。
もうひとつは、今から2600年ほど前の中国春秋時代の青銅の兜で、こちらも獣の顔のようなフォルムをしています。目が大きい分、仮面ライダーアマゾンに似てます。このように三国志の時代ではありませんが、獣面兜は中国に存在していたようです。
獣面兜は実は動物ではなかった
さて、馬超の特徴である獅子頭の兜は実際に存在したという事で話を終わらせたい所ですが、これ本当に獣の顔だろうか?と疑いを持った読者の方もいそうですね。あなたがたは鋭い!そういう事です、人がそうだと言ったからとて素直に信じない。そういう可愛くない態度こそが、社会の罠から自分を守るのです!
実は、猛獣のように見えるのは、獅子や虎のような実際にいる動物ではありません。これは饕餮と言い、中国神話に出てくる怪物で体は牛か羊、曲がった角、虎の牙に人の顔のキメラです。饕は財産を貪る、餮は食物を貪るという何でも食べる猛獣ですが、それが転じて魔を喰らうという考えが出てきて、それが魔除けとなり青銅器や玉器の修飾に使われました。
殷墟から出土してきた兜も春秋時代の兜も、渦のような部分が饕餮の角で顔が人間と見ればよく似ています。つまり獣面兜とは動物をデザインしたのではなく、饕餮をデザインした、青銅器や玉器のデザインがそのまま兜にも反映されたと考えるのが自然のようです。
■古代中国の暮らしぶりがよくわかる■
馬超の獅子頭の兜はどこから出て来たのか?
振り出しに戻ってしまいましたが、そもそも馬超が獅子頭の兜を被っているという描写はどこから来たのでしょうか?最初に正史三国志の馬超伝を読んでみましたが、馬超の兜はおろか顔形の描写すらありませんでした。そこで三国志演義を調べてみると、第六十五回 馬超 大いに葭萌関に戦い、劉備自ら益州の牧を領すに、馬超の兜についての描写がありました。場面は有名な葭萌関での戦いにおける張飛と馬超の一騎打ちです。
翌る日、夜の引き明けと共に関の下に太鼓が轟き馬超軍が押し寄せる。獅子頭の兜に獣面模様の帯、白銀の鎧、白い袍、威風辺りを払い人品群を抜く。玄徳思わず「錦馬超と人が言う通りじゃ」と嘆息する。
はい、出ました!確かにここに馬超の兜が獅子頭の兜である事が出て来ました。ああ終わった、やっとこれで解決だ、馬超の兜は三国志演義の創作だったわけですね。ん?でも、オカシイぞ三国志演義の挿絵の馬超の兜は獅子頭ではない普通の鳳凰型の兜じゃないか、、どうして、これが獅子頭なんだ?
元々、馬超は獅子に咬まれていなかった
三国志演義の挿絵の馬超が被っている兜は、獅子金具鳳形兜というもので、明の時代にはポピュラーになっていた普通の兜です。そして、この兜には魔除けと装飾の意味合いで丸い獅子の形の金具がついていました。つまり三国志演義の初期の馬超は獅子に頭を嚙まれているような事はなく、普通の鳳形の兜に、獅子の金具の装飾がついている兜を被っていただけだったようです。
文章だけでは中々分かりませんが、挿絵の馬超は明らかに鳳形の兜を被っていて獅子に咬まれてはいません。
横山三国志の馬超の兜は獅嚙み兜と言う
私達が横山三国志で見る完全に馬超が嚙まれている兜は正式には獅嚙み兜と言います。兜の間庇の下に歯を剥いた獅子がデザインされたもので、こちらは兜だけではなく、肩当やバックルの文様にも使われていました。ここからは推測ですが馬超の兜はある時点までは、鳳形の兜に獅子の装飾金具がついた地味なものだったものが時代を経るに従い段々と派手になり、ついには獅嚙み兜に変化したのではないでしょうか?
そう思って色々調べてみましたが、出てくるのは日本の獅嚙み兜だけで中国の獅嚙み兜は出てきませんでした。なので100%断定はしませんが、馬超の兜はある段階で獅嚙み兜に変化したのは間違いないと思います。
三国志ライターkawausoの独り言
馬超と言えば、獅嚙み兜以外にも頭頂部のゴッドサイダーに出て来たパズスみたいな四角い兜飾りも気になりますね。あれはどこから出てきたのでしょうか?我々は三国志をよく知っているように思っていますが、実はほとんど知らないのかも知れませんよ。
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