馬超がかっこいい!入蜀後の功績が少ない理由は血筋の良さが五虎将軍随一だから?

2019年6月12日


 

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はじめてのプロ野球 関羽

 

 

関羽(かんう)張飛(ちょうひ)趙雲(ちょううん)黄忠(こうちゅう)馬超(ばちょう)が並ぶ称号「五虎将軍(ごこしょうぐん)」。

 

五虎大将軍の馬超

 

ぶっちゃけたところ出自は低めのメンバーの中で、馬超(ばちょう)の血筋の良さは群を抜いていますよね。単に武勇に秀でているというだけでなく「貴公子」然としたその風格が、特別な印象を与えています。

 

ボロボロになった馬超

 

そのわりに、活躍する時期があまりに短いのが残念なところ。そこで今回は、馬超が「かっこいい」場面、「蜀入り実行中の劉備軍の前に強敵として現れつつも、頼もしい仲間となってくれる」展開のところを整理し、馬超の魅力に迫っていきましょう!

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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馬超は歴史の展開しだいでは帝位も狙えた?!家柄は劉備陣営の中でも別格!

馬騰

 

彼が生まれた馬氏というのが、そもそも後漢帝国(ごかんていこく)の名門中の名門。父の馬騰(ばとう)西涼(せいりょう
)
の事実上の支配者。

 

馬騰

 

中央の戦いにはほとんど登場しませんが、董卓(とうたく)時代も、反董卓連合軍時代も、李傕(りかく)郭汜(かくし)の時代も、なにかと天下の中心が動く際には、新しい支配者が「北西の馬騰は敵と味方のどちらにつくだろうか?」とドキドキしている様子で、読者にインパクトを与えます。

 

馬騰と曹操

 

三国志演義』の展開に従うと、その馬騰が曹操(そうそう)に殺された後、地盤を引き継いだ馬超が反曹操軍を立ちあげた途端、20万人の軍勢を招集しています。

 

海上での戦いの孫権

 

これだけの大軍を集められるというのは、ひょっとしたら孫権(そんけん)劉備(りゅうび)も匹敵する影響力の持ち主だったのではないかと推測されます。戦い方次第では、長安(ちょうあん)を制圧し、天下を狙うことも夢ではなかった人物といえるかもしれません。

 

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

ただし、この曹操との戦いについては、少なくとも『三国志演義』での説明では、馬超の挙兵は諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)の遠交近攻策によるもので、結果として馬超は劉備・孔明に「牽制役」として踊らされた形になっています。

 

馬超と韓遂

 

また離間の計に見事にハマって、内部分裂を起こして敗退したり、「20万の大軍を連れて現れた名門の世継ぎ」というわりには、あまりにも尻切れトンボな退場となっているのが残念です。

 

 

 



馬超の活躍はむしろこちらでは!?劉備軍の前に強敵として登場!

蜀の馬超

 

引き続き『三国志演義』を見ていくと、むしろ馬超が愛着を持てるキャラクターとしてかっこいい姿を見せるのはこの後からです。

 

劉備

 

しばらく登場がないまま物語が進み、劉備軍が益州(えきしゅう)を攻撃している最中。

 

張魯

 

漢中の張魯(ちょうろ)が「はたして益州に援軍を送って劉備と戦うべきかどうしようか」と迷っていたところ、「そういうことなら、流浪の境遇の私を拾っていただいた恩返しに、私が兵をひきいて出かけましょう」とやおら声を張り上げる人物がいます。

 

「いったい張魯の前に進み出た、この男は何者か? 次回をお楽しみに!」と、三国志演義では「次章への盛り上げ役」として扱われているほどの、かっこよさです。

 

馬超の仲間入り

 

そして章をめくると、「その男は、実は張魯の元に身を寄せていた馬超でした。こんな男が敵軍に加わってしまった劉備軍の運命はいかに!?」という講談調の展開となり、武装した馬超が手勢の軍勢を率いて劉備軍に襲いかかる場面へと向かっていきます。

 

張飛VS馬超

 

ここでの馬超の強さは強烈で、戦場で勇猛そのものの暴れっぷりを見せる上に、張飛と一騎打ちをして互角という実力発揮ぶりです。たいていの勇将なら張飛に討ち取られる「演義」の世界観の中で、何度も何度も繰り返し張飛と戦っても、決着がつかない馬超の強さは、読者の心に大きなインパクトを残します。

 

 

 

馬超が劉備と和解したことで、劉璋が降伏!劉備の蜀入りの決着をつけたのは馬超でした!

挑発する諸葛亮孔明

馬超を攻めあぐねているところに、諸葛亮孔明が戦場に到着。

「あれほどの武勇の者を倒すのは難しい、いっそ仲間に誘いましょう!」というのが孔明の提案。

 

孔明

 

そして例によって(!)いささか汚い手も使い、張魯陣営の中に内部分裂を起こさせ、馬超のやる気をそいだところで投降を呼びかけます。これに馬超が応じたことで、「あれほど強力な敵が仲間になってくれた!」という少年漫画のようなアツい展開を読者に見せてくれるのでした。

 

馬超と羊

 

何よりもこの馬超と劉備の和解は、ニュースとして伝わっただけで、益州の太守劉璋(りゅうしょう
)
が「劉備の部下に馬超が加わってしまったとなっては、もはや勝ち目がない!」と抗戦をあきらめ、降伏するきっかけとなりました。

 

蜀 武運を誇る馬超

 

演義の記述に従えば、劉備が蜀の攻略に成功した、そのトドメとなったのが、「馬超すらも劉備の配下になった」というニュースだったということになり、ある意味、劉備の蜀入りを完成させてくれたのは馬超、ということにもなります。

 

 

 

まとめ:その後に描かれなくなってしまうのがつくづく残念な馬超

馬超

 

これだけ活躍した馬超ですが、惜しむらくは蜀成立後はほとんど登場しなくなります。『正史』のほうを見ても、益州攻略成功後、馬超の出てくるエピソードというものはほとんどありません。

 

馬超の兜にフォーカス

 

おそらくは家柄のよさも手伝って、劉備軍の中では大事な扱いを受け、本人もその境遇に満足して最前線で汗をかかなくなったのではないか、などと個人的には推測しています。そしていつのまにか、病気で亡くなっている。

 

三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

あれだけインパクトの強い登場をしたキャラクターなのですから、その後の夷陵の戦い(いりょうのたたかい)とか南蛮攻略とか、蜀の苦しい時に登場してもっと活躍してほしかった、とはどうしても思ってしまうのですが。

 

馬岱

 

ただし蜀への貢献という意味では、馬超が一緒に連れてきた馬岱のほうが孔明の下で大活躍をするわけですから、「馬超の最大の成果は孔明に馬岱(ばたい)を紹介したこと」と言えるのかもしれませんね!

 

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とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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