もはやキングダム最大の嫌われ者になってしまった龐煖。その登場の仕方からして、飛信隊が疲れ果てている時や、信が満身創痍の時に突然に出現して、飛信隊メンバーを無差別に殺戮したり、王騎や麃公を殺してしまったりと、登場する都度、読者の神経を逆なでしゴキブリのように毛嫌いされています。でも、どんなキャラクターでも、出てくる以上は何らかのコンセプトがあったハズです。
そこで、今回は原泰久がどうして龐煖を登場させたのかを考えてみます。
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この記事の目次
覇道列紀によると
そもそも、作者原泰久は、どのような意図から龐煖を登場させたのでしょうか?2016年の1月に発売された、キングダム公式ガイドブック英雄列紀では、原泰久自身が龐煖について、以下のように説明しています。
担当さんと話していたんですよ、王騎を倒すキャラクターなので、まずは僕自身の手が届かない所に投げてみて、とりあえず物語の中でそれを拾いに行ってみましょうと、で本当に遠くに投げ過ぎた(笑)
最初は、とにかくコイツ何考えているんだろう・・・みたいな感じでした。
これは、中々意外ですね、当初は王騎を倒すほどのキャラクターだからイッちゃってる怪物キャラクターを出して、手の届かない場所に放り投げすぎて、龐煖についての理解が追い付かなかったと言っています。読者と同じように、なんだこいつとザワザワしていた原先生ですが、
その後描いていくうちに一つ龐煖の進むべき方向は見えてきたので、意外と今後は上手く動かせるようになりそうです。麃公と戦った時に、彼の置き土産として「ゴールに立っているけど気が付いていないバカだ」みたいな意味合いの台詞があるんですが、実際にその通りです。僕はそんなに嫌いではないですが、まァ不人気です(笑)
このように結論付けています。
龐煖は本来脳筋バカ設定
覇道列紀は4年位前の作者の見解ですが、今現在の龐煖の状況とほぼドンピシャですね。龐煖は、個人として武の頂点を極めてしまい、個人としては最強にはなったけど、一向に神に認められて、全人類がレベルアップする様子はない。
そればかりか、17年前に王騎に一太刀浴びせられた為に、まだ自分は未熟なんだと早合点してしまい、レベル99になってこれ以上、あがらない個人の武を極めるため、その後も山に籠って修行を続け、人生をドブに捨て続けたアレな人という認識です。冷静に考えてみると、これ以上ない程に悲惨な人生ですね。
求道者設定は後付けではあるまいか?
ですが、勝手に究極の武を目指し勝手に個人としては最大の武を有していながら、個人の武では、沢山の人間の思いを集めた集の武には敵わないという真理を突きつけられ、右往左往するんでは、あまりにも龐煖の立つ瀬がありません。
それで、熱烈なファンがいるのならまだ慰めにもなりますが、キングダムでもダントツの嫌われ者キャラでは、誰一人同情してくれず、ザマアミロで終ってしまいます。
いくらなんでも、それは可哀想という事で原先生が追加したのが求道者設定ではないでしょうか?確か龐煖の初期設定では、武神は自分の後継者を攫ってきて仕込むみたいな話だったと思います。その流れだと龐煖は、先代の武神に攫われた人という事になり、自らの意思で人類救済の為に超人になろうとした求道者設定から外れてしまいます。
そうなると、龐煖には最初は求道者設定はなく嫌われ者の龐煖にも龐煖なりに独善的な人類救済の思想があり、それが、長い歳月の間に歪んだだけという後付けで付け加えられたものではないでしょうか?
あまり受けない求道者設定
しかし、龐煖を独善から救う求道者設定はあまり功を奏しなかったようです。李牧の龐煖についての解説も麃公のセリフをかみ砕いただけに過ぎず、新鮮味があるものではなく、ただ、間延びした印象を与えただけでした。龐煖の個vs信の集という両極端な力の対立も、これまでの戦いぶりをみていれば、大体想像がつくものであり、李牧の説明は余計であるというコメントもありました。kawausoもそう思います。
あと、趙の人々が、龐煖が人類救済の為に戦っているという事実を知った時に、その不器用というより破綻した生き様に左目のみから涙を流すという設定も、悪くするとギャグとして受け取られるので要らなかったかなと・・
トータルすると、龐煖は最初に王騎を殺した男というぶっ飛んだ違和感が強すぎて、なんだか自分勝手なキャラが自爆しているという見方しかされていない気がします。
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