三国志演義で司馬懿に贈られた女物の衣服は喪服だった!

2019年12月27日


 

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司馬懿

 

日本で流布している三国志演義(さんごくしえんぎ)は、ベースが吉川三国志(よしかわさんごくし)であり、さらに吉川三国志を元にした横山三国志(よこやまさんごくし)です。ところが、吉川三国志は三国志演義を参考にしつつ、日本の国情に合わせて少しずつ内容を変えています。

 

司馬懿と諸葛亮孔明のトランプ勝負

 

例えば有名な五丈原(ごじょうげん)諸葛亮(しょかつりょう)司馬懿(しばい)に女物の衣服を送って挑発するという逸話も、本場の演義と吉川三国志では微妙に違うのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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吉川三国志の名場面を見てみよう

吉川英治三国志

 

では、横山三国志の下敷きにもなった吉川三国志での孔明からの司馬懿への贈物の場面を見てみましょう。

 

ー省略ー魏の将士はあやしみつつ陣門へ通し、やがて、使者の()うまま司馬懿仲達に取り次いだ。司馬懿はまず(はこ)を開いてみた。――と、匣の中からは、艶やかな巾幗(きんかく)縞衣(こうい)が出てきた。

「……何じゃ、これは?」

仲達の唇をつつんでいる疎々(そそ)たる白髯(はくぜん)はふるえていた。あきらかに彼は赫怒(かくど)していた。――がなお、それを手にしたままじっと見ていた。

巾幗というのは、まだ(かんざし)(かざ)す妙齢にもならない少女が髪を飾る布であって、蜀の人はこれを曇籠蓋(どんりゅうがい)ともいう。

また縞衣は女服である。――との謎を解くならば、挑めども応ぜず、ただ塁壁を堅くして、少しも出て来ない仲達は、あたかも羞恥(しゅうち)を深く蔵して、ひたすら外気を恐れ、家の内でばかり(きょう)を誇っている婦人のごときものであると揶揄(やゆ)しているものとしか考えられない。

「…………」

彼は次に書簡をひらいていた。

彼が心のうちで解いた謎はやはりあたっている。孔明の文辞は、老仲達の灰の如き感情をも烈火となすに充分であった。いわく、

――史上(まれ)なる大軍をかかえながら、足下の態度は、腐った婦人のように女々しいのはどうしたものか。武門の名を惜しみ、身も男子たるを知るならば、出でていさぎよく決戦せずや。

 

司馬懿と孔明

 

吉川三国志では、孔明が贈った衣服は、女は女でも少女の頭を覆う頭巾と衣服であり、仲達よ、いつまでも引っ込んでいるとは、世間を知らずで家の中でばかり(なま)めかしく咲き誇っている乙女か貴様は!と挑発しています。

 

三国志演義の名場面を見てみる

 

では、問題の三国志演義の同じ場面を見てみましょう。

 

ー省略ーここに孔明は一隊を率い五丈原に駐屯し、しきりに挑戦させたが魏の軍は出撃しないそこで女のかぶり物と喪服の白装束を箱に入れ、一通の正面をそえて魏の陣営に届けさせた。大将たちは隠さず、使いの者を司馬懿の元へ連れていった。

司馬懿は皆の前で箱を開いてみると、女の頭巾と白装束があり手紙もあった。封を切って読んでみると、
漢の武郷侯諸葛亮敬白(ぶごうこうしょかつりょうつつしみてもうす)管子(かんし)の言葉に礼儀廉恥(れいぎれんち)は国の四つの綱なり。

四綱張らざれば、国(すなわ)ち滅亡すとこれありと(たまわ)り及び(そうろう)。ひそかに思うに司馬仲達は大将軍として中原の大軍を統べ率いながら堅き鎧を着て、()き(武器)を執り、以て雌雄を決せんとはせず、ただ甘んじて土の穴に身を潜め刀を恐れ矢を避けたまうこと、寡婦(かふ)の仕業に何か異なるべき。ここに人を以て頭巾と白衣を参らせ申し候。出で戦わずとならば再拝して収めたまえ-以下略-

孔明 悲しい表情

 

三国志演義においても、孔明が司馬懿に贈ったのは、女物の頭巾と服に違いはありません。

しかし、それは少女に向けた衣服ではなく、夫を失い喪に服している女性に向けた喪服です。喪に服せば、決まった期間外に出ませんから、孔明は仲達は未亡人と揶揄し、いつまでも穴倉に籠っているつもりだと挑発したのです。

 

民間伝承の三国志

 

高祖宣帝懿紀では髪飾りだけ

司馬懿

 

オマケですが、この女物の頭巾と服の元ネタになった逸話を紹介しましょう。実はこの話は正史三国志にはなく、晋書高祖宣帝懿紀(しんしょこうそせんていいき)に登場します。高祖宣帝とは司馬懿の死後に贈られた諡号(しごう)であり、皇帝になった司馬懿の伝は三国志にはなく晋書にあるのです。

では、そこには何と書いてあるのかと言うと

 

亮數挑戰(りょうたびたびいくさをいどむ) 帝不出(みかどでず) 因遺帝巾幗婦人之飾(こうめいはふじんのかみかざりをおくりつけた)

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

この(かく)とは髪飾りを意味しているそうで、女性用の髪飾りを贈って挑発したと書いています。つまり、元々の話は喪服うんぬんは載ってなく、ただ女の髪飾りを送りつけて、貴様は女のようなヤツだ悔しかったら攻撃してこいと言っただけなんですね。

それだけだと、むしろ吉川三国志に近いような気がします。三国志演義の作者がどうして、髪飾りを没にして頭巾と喪服にしたのか、その理由は謎です。

 

なんで吉川英治は喪服を少女の服に変えたのか?

 

 

では、どうして吉川英治は孔明が司馬懿に贈った女物の衣服を喪服から普通の女物の衣服に変化させたのでしょうか?その方が、司馬懿の臆病さを際立たせられるという考えもあったのかも知れません。しかし、kawausoが思うに、これは吉川三国志が1939年から1943年という戦時中に新聞に連載された作品である事が関係していると思います。五丈原の戦いは小説の終盤であり、1943年9月という戦争末期に連載は終結しています。

 

当時は、大陸に渡っていた、或いは太平洋上で戦っていた日本の将兵が、白木の箱に入り続々と無言の帰還をしていた時代であり、日本中に未亡人が多く出現しました。三国志演義で孔明は司馬懿に対して、戦を恐れて穴に籠りおって、お前は未亡人かと挑発し罵倒(ばとう)しているわけですが、それを読者の未亡人が読んだらどう思うでしょう。当時は銃後の守りと言って、戦争は総動員体制で行っていました。

 

未亡人も哀しみを堪えながら戦争遂行の為に働いていたわけですから、「私達は未亡人でも臆病者ではない」という反発も当然予想できたと思います。だからこそ、吉川は、哀しみを堪えて銃後を支えている未亡人に対し、あなたたちは臆病者ではないという無言のメッセージを込めて、未亡人の喪服を女の衣服に変えたのではないかとkawausoは考えます。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

吉川三国志は日本人の道徳観に沿う形で、物語に注釈が行われており、有名な猟師(りょうし)劉安が同じ劉姓の劉備を持て成す為に、自分の妻を殺して、その肉をふるまった話では、その後に読者へと異例の語りかけが始まり、劉安が妻を殺して煮て劉備に振る舞ったというのは、日本人の道徳観からは美談どころか嫌悪感しか感じないが、古き中国においては、これは美談として載せられているので、削除する事なく彼我の文化の違いを比較する為に敢えて記したと書いています。

 

こんな吉川英治ですから、未亡人が着る喪服を少女の服に変えた事も意味があると思いますが、そこには人肉話と違い、小説に前書きも後書きもありません。本当の所はなんだったのか、ちょっと興味があります。

 

参考文献:完訳三国志演義 吉川英治三国志

 

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李傕・郭汜祭り

 

 

 

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