「晃さん、いつ結婚するのですか?」、「実は去年結婚したんだ、晃」と毎年同僚や大学の同期から言われる筆者です。
世間では生涯独身を貫く男を主人公にした「結婚出来ない男」というドラマが流行っています。筆者も毎週楽しみにしており、録画して見ています。
さて今回は結婚話を持ちかけられても、あっさりと断った趙雲について『趙雲別伝』という史料をもとに解説します。
※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています
「趙雲 万能」
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趙雲結婚をすすめられる
建安13年(208年)に劉備は孫権と一緒に赤壁で曹操を破って大勝利をおさめました。劉備の次の目標は荊州を得ることです。
建安14年(209年)に劉備は孫権・周瑜の許可を得ることもなく、軍を進めて零陵・桂陽・武陵・長沙を陥落させます。この時に降伏した桂陽の太守は趙範という人物でした。正史『三国志』に注を付けた裴松之が持ってきた『趙雲別伝』という史料によるとと次のような話が残されています。
趙範は降伏すると趙雲と名字が一緒だったので早速、接近しました。中国人は割と単純であり同じ名字の人がいたら、「先祖は一緒」という認識があったのでした。話を戻します。趙範には兄がいましたが、すでに亡くなっており、美人の兄嫁の樊氏だけが残されていました。要するに未亡人です。趙範は彼女を趙雲に差し出して、縁続きになろうと企みます。
しかし趙雲は趙範の下心は最初から分かっていました。だからといって、「嫌だね」と断るわけにもいきません。その後、趙雲は「私とあなたは名字が一緒です。あなたの兄さんなら、私の兄でもあります」と言って断ります。
正直な感想を言うと筆者は初めてこの話を読んだ時に意味が分かりませんでした。おそらく趙雲は昔の中国の法律に定められていた「同姓不婚」に引っ掛けて断っていると考えられます。
昔の中国では互いに同じ名字の男女は結婚出来ない決まりが法律で定められていました。面倒くさいですね・・・・・・
研究者によると趙雲は未亡人と結婚したくないから、同姓不婚のネタを使ってオブラートに断ったのだと考えられています。ただし普通に考えたら、趙雲と樊氏が結婚することは同姓不婚にはなりません。こういう矛盾も生じます。
これはどういう意味でしょうか?
ムコ養子になることを言われた?
『趙雲別伝』は内容が簡略なので、想像を広げるしかありません。そこで筆者なりに考察しました。結論から言うと趙雲は趙範から「ムコ養子になって、死んだ兄の家を継いでください」と言われたと推測されます。中国で「養子をとる」行為はどんな意味があるのか言いますと、日本のように家督を継ぐだけではありません。
祖先祭祀です。NHKのテレビ番組で中国に行ったらお香を炊いたり、祭りをしている家があるじゃないですか。あんな感じのことをするのが目的と思っていただいて大丈夫です。また、養子をとる方法も重要でした。昔の中国では異姓の人物を養子にするのは法律違反でしたが、同姓の人物を養子にするのはOKでした。
だから曹騰が曹崇(夏侯氏出身)を養子にとることはNGです。もちろん、ほとんどの人が法律をガン無視でやっていましたけど・・・・・・趙範の一族はお兄さんも自分も子がおらず、後を継ぐ人がいなかったと考えられます。そんな時に現れたのが同姓の趙雲でした。
趙範は「あなたが希望の星です」という感じで頼みます。だが、趙雲はムコ養子になるのも、未亡人と結婚するのも嫌でたまりません。ここは何か返答を考えないといけません。そこで絞り出したのが同姓不婚に引っ掛けた返答でした。「私とあなたは名字が一緒です。あなたの兄さんなら、私の兄でもあります」苦し紛れの返答にしか聞こえませんね・・・・・・よほど断りずらいほど迫られていたのでしょうか?
読者の皆様はどう思われますか?
三国志ライター 晃の独り言
以上が趙雲の結婚相談話についてでした。中国の養子に関しては、時代が流れるにつれて少しずつ緩くなっていきました。戦争で子を失ったりした家族が孤児を拾ったりして養子をとることが増えたからです。異姓養子をとることが法律で認められるようになったのは南宋(1127年~1279年)からでした。
ちなみに筆者が大学時代に研究した韓侂冑という人物も異姓養子をとっていましたし、本人も異姓養子だったという噂まであるほどです。異姓養子はそれだけ広がったのでした。
※参考文献
・石岡浩等編『史料からみる中国法史』(法律文化社 2012年)
・林田慎之介『人間三国志 豪勇の咆哮』(初出1989年 のちに集英社文庫 1992年)
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