古代、カレンダーはただ時を知るだけの道具ではありませんでした。古代中国では、地上の支配者である天子は、天帝の子として地上の支配を任されていると位置づけられ、太陽や天体の運行を観察して把握する事で暦を自在に操り、時をも支配していると人民に印象付ける事に成功しました。
同じような事は、西洋でも起きましたが、中国と違い宗教の力が強い西洋世界では、時を司る神官が王以上の影響力を持ち、閏月や閏日、祝日の決定権を持ちました。古代ローマの神官は、それを良い事に恣意的にカレンダーを操作しこれが社会に不利益をもたらす事になります。これを廃しカレンダー改革を断行したのが、ローマの英雄、ユリウス・カエサルだったのです。
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ユリウス暦以前のローマカレンダー
ユリウス暦を語る前に、それ以前に流布していた共和制ローマのカレンダーについて見てみましょう。ユリウス暦以前のローマのカレンダーは、1年を12カ月355日に分ける太陰太陽暦でした。カレンダーは2年ごとに神官団により閏月が加えられ、太陰暦を太陽暦に合わせる工夫がされていました。共和制ローマのカレンダーの上半期は神々や宗教に関連する名称が付けられています。
・1月ヤヌス:ヤヌスは二つの顔を持つ神で、行く年と来る年の二つを見る。
・2月フェブルアリウス:古い暦の年末で死者の月であり浄化の月。
・3月マルティウス:これは戦神のマルスを意味し、戦いの月。
・4月アプリリス:ギリシャ神話のアフロディテと同一視されたウェヌスの月
・5月マイウス:生長の神マイアの月であり、先祖の月。
・6月ユニウス:結婚や出産の神であるユノの月で、同時に若者の月。
逆に下半期は、古い暦の特徴を受け継ぎ、古い暦の始点である3月を起点とする番号で呼ばれていました。
・7月クインティリス:古代の5月を意味する。
・8月セクスティリス:古代の6月を意味する。
・9月セプテンベル:古代の7月を意味する。
・10月オクトベル:古代の8月を意味する。
・11月ノヴェンベル:古代の9月を意味する。
・12月デケンベル:古代の10月を意味する。
次に月ですが、共和制ローマの各月は、基本的に月の満ち欠けに対応する3つの期間に分かれていました。特別日の名称は、
・カレンダエ(月の始めの朔日)
・ノナエ(月の5日目から7日目で上弦の月に対応)
・イドゥス(満月に対応)
この3種で、カレンダエは、カレンダーという言葉の語源です。共和制のローマでは、月により政治や仕事など公的な活動が許される吉日と公的活動が許されず祭事を行う凶日に分かれていました。そして、これらのカレンダーを動かしているのはローマの神官団であり、しばしば政治的な理由でカレンダーを操作し、市民生活を支配していたのです。
カエサルによるユリウス暦の制定
共和制末期の紀元前46年、ローマのカレンダーは神官達の恣意的な閏月の挿入により、実際の季節と3カ月もズレが生じていました。当時絶大な市民の人気を獲得し、終身独裁官と大神官の地位を得ていた、ユリウス・カエサルは、この非合理な状態を解消し、巨大な版図を持つローマ帝国の全ての市民が、ただ1つのカレンダーで生活できるようにし、帝国の威信を高めようとしたのです。
カエサルは、神官の干渉を極力排する為に、閏月がある太陽太陰暦を廃止し当時の地中海世界で最大の権威を持っていたアレキサンドリアの天文学者のアドバイスを元に、365日と1/4日の太陽暦を採用します。そして、余りである1/4日を解消すべく、4年に一度、2月に閏月を挿入しました。かくして、2月は28日、それ以外の月は30日か31日という、非常にすっきりした分かりやすいカレンダー、ユリウス暦が完成したのです。
同時に、カエサルは市民の公的活動が可能な吉日を増やして凶日を減らしました。そればかりではなく、カエサルはカレンダーに自分の戦勝記念日を祝日として加える事を忘れませんでした。つまり神官から取り返したカレンダーの私物化を進めたのです。その傾向は次代のアウグストゥスに受け継がれ、彼は自分の誕生月である8月をセクスティリスから、アウグストゥスに変更してしまいました。これが後のオーガストですが、かくしてローマには皇帝拝礼の習慣が生まれ帝政ローマへの幕が開く事になります。
但しカエサルは改暦から僅か2年後、紀元前44年に暗殺され、自らが制定したユリウス暦の恩恵に浴する事はありませんでした。しかし、彼が制定したユリウス暦は、その後キリスト教化した欧州でも受け継がれ、実に西暦1582年のグレゴリオ暦制定に至るまで1600年の寿命を保つ事になるのです。
文明により違う一週間の概念
カレンダーは、1日の長さを決める地球の自転、月の長さを決める月の公転、1年の長さを決める地球の公転という3種類の計測から成り立ちました。ここから分かるように、1週間という概念は、天体の運行とは全くの無関係な人為的な区分です。
例えば、元旦や春分の日やクリスマスは日付は毎年同じですが、曜日は同じではありません。2019年の1月1日は火曜日でしたが、2020年の元旦は水曜日であり、2021年の元旦は金曜日です。このように一週間は天体の運行と一切無関係で進んできます。
現在、私達に馴染んでいる一週間を7日として数える概念は、古代のバビロニアとユダヤ教から受け継がれました。発祥地は7日を不吉の数字とした古代バビロニアで、7日目、14日目、21日目、29日目が禁忌の日とされていました。バビロニアでは、週の各日に太陽、月、それに五惑星、火星、水星、木星、金星、土星の名前が付けられました、これは元々占星術に由来する事でしたが、一週間が世界に普及していき現在まで引き継がれています。因みに、一週間の区分は文明により異なり、中国では旬日制が採用され10日、古代ローマでは8日ごとに市が立つのに合わされました。
どうして、ユダヤ起源の一週間7日制が世界的に根付いていったのか?これはユダヤ教を下敷きにしたキリスト教のカレンダーであるグレゴリオ暦が欧州全体で使われるようになり、それが世界に拡散した事も大きいですが、安息日が入っているのも大きな理由だったようです。安息日は元々、神は世界を6日間で創造し7日目に休んだという聖書の記述が元であり、神が休んだのだから人も働いてはならないという事でしたが、それは6日働いて1日休むというサイクルを産み出し、毎日にメリハリを与えたからだと考えられています。
ただ、創造神が休んだ7日目を何曜日にするかについては、宗教によって違いがあり、ユダヤ教は土曜日、キリスト教は日曜日、イスラム教では金曜日が休日に当たり、それぞれ解釈に違いがあります。
セカイノオワリはユダヤ教からやってきた・・
古代文明のカレンダーにおいては、時は循環するという考え方が主流でした。それは当然と言えば当然で、月も太陽も、四季も一定の周期を繰りかえして循環していくからです。
古代マヤ文明では、5128年に及ぶ長期のカレンダーが作成され、時が一巡すると現在の世界が終り、新しい世界が始まると考えられていました。これらはよくオカルト番組で登場する人類滅亡を示す根拠とされますが、実際には世界の終わりというより、ただカレンダーの終わりというだけであるようです。
中国では、十二支と十干を組み合わせた干支により、60年周期でカレンダーが循環する仕組みを産み出していました。暦が元に還るので還暦というわけです。一方で時は循環せず、終末を目指して突き進むという直線型の時を考えたのがユダヤ人でした。ユダヤ教は世界は創造神により創られ、終末に向かい突き進むと考えていて、ユダヤ教を受け継いだキリスト教は、これを最後の審判として教義の中に組み込んだのです。
そして、キリスト教世界では、いつとは明示されない世界の終わりをあれこれ推測して、終末を予言する人間が大勢出現し、それを信じて自殺したり、すべての財産を使い果たす人々まで出てしまうようになります。このようにお騒がせなユダヤ教の終末論ですが、その直線的な時の概念は、始まりと終わりを人間に意識させ、その全過程を記録しなければならないという義務感を与えました。
以来、知識人層は細かな出来事に至るまでを記録に残して保存するようになり、歴史学は大きく発展する事になるのです。
kawausoの独り言
現在のカレンダーであるグレゴリオ暦の前段階に当たるユリウス暦は、2000年前のカレンダーとしては驚異的な正確さを持っていましたが、実際の太陽年とは、一年で11分14.832秒のズレが生じていました。
これは当時、問題にならない程に僅かなズレでしたが、100年では一日のズレになり、1280年では10日のズレが生じ農業にも大きな影響を与えるようになります。これによりグレゴリオ暦が制定されたのですが、グレゴリオ暦の精度は格段に上がり、現在の太陽年に比較しても一年で26.821秒のズレにしかなりません。グレゴリオ暦と実際の太陽年とのズレは現在で3時間、一日のズレが生じるのは、2700年も後の事です。
参考文献:暦の歴史 創元社
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