キングダム「実は六人じゃない!旧六大将軍を徹底紹介」


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嬴政(始皇帝)

 

現在キングダムでは、(ぎょう)攻めがスピード決着し論功行賞を経て誰が大将軍になるのかに注目が集まっています。しかし、今の六大将軍は蒙武(もうぶ)が提唱したものであり、それ以前には秦の昭襄王(しょうじょうおう)が招集した旧六大将軍がいました。

 

朝まで三国志 kawauso

 

でも、旧六大将軍の活躍はあまり知られていませんよね?

そこでkawausoが秦本紀で調べてみると、旧六大将軍は、実は六名どころではなかった事が分かりました。


旧六大将軍1 司馬錯

魯淑

 

旧六大将軍の一番手は司馬錯(しばさく)です。紀元前301年に蜀侯の()が叛いた時、司馬錯が蜀を平定しました。紀元前291年、左更に昇進した錯は、()及び(とう)を取っています。次に紀元前289年、司馬錯は、(えん)河雍(かよう)決橋(けっきょう)を攻め取っています。紀元前286年、錯は魏の河内を攻め、魏は安邑(あんゆう)を秦に割譲しました。紀元前280年、司馬錯は楚を攻めて次に罪人を赦し、これを南陽に移動させています。当時の楚は人口が希薄なので秦の罪人を許して植民させたのでしょう。さらに同年、司馬錯は隴西(ろうせい)を出発して蜀に駐屯し、楚の黔中(てんちゅう)を攻め陥落させています。


旧六大将軍2 庶長奐

呂壹

 

庶長奐(しょちょうかん)の庶長とは爵位の事で氏は不明です。司馬錯が蜀を平定したのと同年に奐は楚を討ち首を斬る事2万の手柄を立てます。次に紀元前298年、奐は、楚を攻めて8城を獲り将軍景快(けいかい)を殺しました。これだけくっきりと手柄があるのだから、庶長奐も加えて七大将軍でもいいと思いますけどね。

 

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キングダムネタバレ考察


旧六大将軍3 竿戎

飢えている王忠

 

竿戎(かんじゅう)とは、昭襄王8年(紀元前298年)に登場した将軍で楚を攻めて新市を取っています。


旧六大将軍4 向寿

戦いに敗れる劉岱

 

向寿(しょうじゅ)は紀元前294年に登場し、韓を伐ち武始(ぶし)を取っています。さすがに手柄が少ないので六大将軍は無理でしょう。

 

旧六大将軍5 白起

白起(春秋戦国時代)

 

紀元前293年に左更白起(さこうはくき)が初めて登場、韓・魏を伊闕(いけつ)に攻め、首を斬ること24万人。公孫喜(こうそんき)を捕虜にし五城を抜きます。ついで、翌紀元前292年、大良造(だいりょうじょう)に昇進した白起が魏を攻めて、垣を取りこれを与える。楚を攻め宛を取るとあります。デビューからして24万も敵を斬り、敵将を捕虜にする天才ぶりです。

 

紀元前280年、白起は趙を攻め、代の光狼城(こうろうじょう)を取っています。紀元前279年白起、楚を攻め、(えん)(とう)を取り、罪人を赦してこれを移動させ、翌年楚を攻め、楚の王都郢を取り秦に組み込んで南郡と改称します。楚王は都を逃げだし、白起は功績で武安君に封じられました。

 

紀元前276年、白起は魏を伐って二城を取っています。紀元前264年、武安君白起は韓を攻めて九城を抜き、首を斬ること五万の戦果を挙げています。紀元前260年、秦、韓の上党を攻めますが、上党は秦を嫌がり趙に降伏、秦はこれを恨んで趙を攻め、趙も兵を発し秦を撃ち激闘します。

 

春秋戦国時代の白起、デビュー戦から大殺戮

 

秦は、武安君白起を出馬させ、趙を長平に破り降伏した趙兵40万余りを穴埋めにして殺します、これもキングダムではお馴染みですね。紀元前257十月、武安君白起は、秦王に疎まれ兵卒に降格されて更迭。間もなく死を賜り自害します。

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コメント

  • コメント (2)

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    • 匿名
    • 2020年 3月 19日

    穣侯・魏冉を「将」と言うのはさすがに無理があるのでは?
    キングダムでの呂不韋ポジションの人物だと思うのだが

    • 暁烈
    • 2020年 3月 18日

    大半は将軍ではなく文官ですからね…


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