キングダム「実は六人じゃない!旧六大将軍を徹底紹介」

2020年3月18日


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実は六人じゃない!旧六大将軍(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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旧六大将軍12 五大夫賁

 

こちらも似てますが王賁(おうほん)ではありません、五大夫(ごだいふ)とは爵位であり氏ではありません。紀元前262年韓を攻め、十城を取っています。十城はスゴイですね、六大将軍にエントリーしても遜色ありません。

 

旧六大将軍13 王齕

亡くなる王騎

 

王齕(おうこつ)は、紀元前259年、趙の王都邯鄲(かんたん)を攻める攻めないで白起が秦王と揉めて離脱したので、代わりに司令官になり、趙の武安と皮牢を伐ち陥落させました。翌年、五大夫陵と指揮官を変更、しかし五大夫陵は、援軍を送っても勝てないのでクビにされ、王齕が代わって再び将となりました。

 

紀元前257年、王齕は邯鄲を攻めるも落とせずに退却し、(ふん)に駐屯していた張唐(ちょうとう)と合流。紀元前256年2月、王齕は晋軍を攻め首を斬ること六千、晋兵は我先に逃げ黄河に落ちて溺死二万人。次に張唐に従い汾城を攻め寧新中を陥落させ名を改め安陽と改称します。

 

旧六大将軍14 司馬梗

胡烈

 

紀元前259年、司馬梗(しばこう)という将軍も参加し北の太原を定め、尽く韓の上党を打ち破って奪い取ります。翌年の正月、兵を引いて秦領になった上党を守ります。もしかして趙の司馬尚(しばしょう)と縁戚か?と思いますが司馬は軍事を司る官職を氏にしたので、全くの赤の他人もあり得ます。

 

旧六大将軍15 五大夫陵

陳矯(ちんきょう)

 

紀元前259年、五大夫陵という将軍が趙の邯鄲を攻めます。翌年の正月、秦は陵に増援し支援しますが、陵は勝てずクビになりました。言わずもがな五大夫は爵位です。ま、この人は六大将軍には入らないですね。

 

旧六大将軍16 張唐

軍会議で的確に作戦指示を出す陳泰

 

張唐(ちょうとう)は、紀元前258年に初登場。魏を攻めますが、部下の蔡尉が陣地を棄てて守らないので、戻ってこれを斬るとあります。漫画同様に気難しい性格で部下に人気が無かったのでしょうか?

 

紀元前257年、張唐は鄭を攻めこれを陥落。十二月、兵を増援して汾城の傍らに布陣します。紀元前256年、2月王齕を副官として寧新中を落とし、寧新中を改称して安陽と名づけます。

 

旧六大将軍17 摎

廖化 四龍将

 

(きょう)は言わずと知れたキングダムでは、王騎の婚約者です。紀元前256年、将軍摎は韓を攻め、陽城・負黍(ふしょ)を取り、斬首四万人。趙を攻め二十余県を取り斬首と捕虜が九万人と大殺戮。

 

この頃、西周君が秦に背き諸侯と従を約し、天下の鋭兵を将いて伊闕(いけつ)を出で秦を攻めて陽城を封鎖します。秦は将軍摎を出して西周を攻め、西周君は驚き慌て自ら歩いて降伏し頓首して罪を受け、三十六城と人口3万人を秦王に献上しました。

 

キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

五十年にも及ぶ、秦の昭襄王の治世には、少なくとも17名の将軍クラスがいます。大半は、一行しか名前が出ませんが、斯離や庶長奐のように、六大将軍でもおかしくない将軍もいます。ちなみに王騎が出て来ませんが、王騎は秦本紀には登場せず、秦始皇本紀の紀元前246年、秦王政が即位した頃に出て来ます。王齕と同一人物とも言われていますが、それでも昭襄王の晩年の家来なんですね。

 

参考文献:秦本紀

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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