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この記事の目次
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- キングダム639話ネタバレvol3「六国を滅ぼす明確な意志を持つ白起」
- キングダム639話ネタバレvol3「白起が敵兵を殺し続けた理由」
- キングダム639話ネタバレvol3「悲劇の幕開け野王陥落」
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- キングダム639話ネタバレvol3「白起長平に登場」
- キングダム639話ネタバレvol3「趙を滅ぼすのは今!白起40万を穴埋め」
- キングダム639話ネタバレvol3「応侯の自己保身で趙滅亡が遠ざかる」
- 3ページ目
- キングダム639話ネタバレvol3「白起は子供っぽい人ではない」
- キングダム639話ネタバレvol3「子供っぽい昭襄王の難癖」
- キングダム639話ネタバレvol3「白起自決」
- キングダム639話ネタバレvol3「秦人が同情した死」
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- キングダム639話ネタバレvol3「どうして長平を死の理由にしたのか?」
- キングダム(春秋戦国時代)ライターの独り言
キングダム639話ネタバレvol3「白起長平に登場」
廉頗は老練な名将であり、秦の強さを前に無理に攻めずに塁壁を築いて防戦に転じる事にします。王龁は何度も挑発しますが、廉頗は決して出て来ませんでした。廉頗が邪魔な秦は、廉頗は大した事はないが、馬服君の息子である趙括が出てくる事を心配していると流言を流させました。
趙王は、これを真に受けて廉頗と趙括を交代させます。趙括は机上の戦術家で実戦を知らず、父の馬服君の名声が高いだけで、ちやほやされたエリートであり自惚れ屋でした。廉頗に仕えていた幕僚も、それを心配し、積極策を取る趙括に諫言しますが、それが気に食わない趙括は、幕僚を全てクビにして入れ替えます。
勝てる算段が出ると、秦は極秘に白起を呼び寄せ総大将とし王龁を副将に下げます。当時、白起の名は恐怖であり、ビビった趙王が廉頗を呼び戻すのを警戒したのでしょう。
趙括は長平に到着すると塁壁を出て秦軍を撃ちます。白起は偽って敗走を命じ、伏兵を二手に配置して、趙軍の背後を断つ作戦に出ます。趙括は勝ちに乗じてどんどん追撃して、秦の塁壁に迫ったものの塁壁が堅固で突破できません。それを見た秦の伏兵の一手の2万5千人が出撃し趙軍の背後を分断。もう一手の伏兵5千騎が、趙括軍とその塁壁の間の連絡を遮断しました。
そのため趙軍は二分されて糧道が絶え、伝令を出そうとすると白起は軽装兵を出してこれを撃破したので伝令は届きません。
趙括は脱出不可能と見ると、塁壁を築いて守り援軍の到着を待ちます。秦の昭襄王は趙の補給が絶えたと聞くと、自ら河内に進み、秦の住民にそれぞれ爵一級を賜い、15歳以上のものを徴発して長平へ向かわせて、趙からの援軍・糧食を遮断します。今回、李牧がキングダムでやった鄴の飢え攻めのようなものです。
補給の無い日が46日以上続き、趙の陣営では飢えて人を殺して食う事が横行、焦った趙括は4隊を組織して絶望的な突撃を繰り返した挙句射殺されました。
キングダム639話ネタバレvol3「趙を滅ぼすのは今!白起40万を穴埋め」
長平には、本陣に取り残された40万人の将兵が残されました。白起は、しばらく考え、そして決断しました。「上党は最初に秦に降伏しながら趙に寝返った。そして趙の士卒は元々反抗心が強い、ゆえに趙兵は皆殺しにしないと後の禍になるだろう」
白起は、趙兵を騙して穴を掘らせ、その後に次々と趙兵を突き落として40万人を生き埋めにし上から土をかぶせました」助命したのは、240人の少年兵だけでした。どうして、白起がこんなに非情な決断をしたのか?それは白起がこれを契機に一気に邯鄲を落として趙を滅ぼす決意だったからです。
40万人の趙兵は逃がせばまた刃向かってきます。かといって捕虜にすれば食糧を食い潰され邯鄲の包囲に必要な兵糧が確保できません。だから、40万人を穴埋めしたのです。
もちろん並みの人間に下せる決断ではありません、人道主義や祟りや悪名にびくともしない白起だからこそ出来た驚くべき決断です。
白起軍は、このまま進み邯鄲を包囲する準備に入ります。長平の敗戦の衝撃から立ち直れない趙は、白起に震え上がり戦意もなく、本当ならここで滅ぶハズだったのです。
キングダム639話ネタバレvol3「応侯の自己保身で趙滅亡が遠ざかる」
長平での白起の強さに恐れ慄いた趙と韓は遊説家の蘇代を呼び出し大量の贈物を与えて、白起を更迭させるように依頼します。蘇代は承知して贈物をふんだんに秦の取次に渡し、宰相の応侯に面会を願い出て許可されます。
蘇代は、応侯に面会すると、もしこのまま白起が邯鄲を落とし趙を滅ぼせば、その名声は空前絶後になり、地位は三公に登り、あなたを超えるだろうし、残された趙の土地は、それぞれの国に吸収され幾ばくも残るまいと言い、一度白起が上役になれば、二度と応侯が抜き返せないと断言します。
そして、その禍を避けるには、白起が邯鄲を落とす前に韓と趙に領地を割譲させて、和睦して白起の手柄を横取りするに限ると告げました。
内心、白起の台頭に不安を覚えていた応侯は蘇代の口車に乗り、昭襄王に韓と趙が領地を割いて和睦を求めたので、秦の兵士を休息させるために撤退したいと上奏。王はこれを許し、紀元前258年正月、秦兵を引き上げさせたのです。
秦が得たのは、韓の垣雍と趙の六城の合計7つの城というショボいものでした。邯鄲包囲の準備をしていた白起は、余りの理不尽に耳を疑い、以後、応侯を激しく憎みます。
それはそうでしょう、趙を滅ぼすつもりで殺す必要もない40万人を穴埋めにしたのに、絶好のチャンスを応侯の保身に潰されたのです。そのショックと長期対陣で体調を崩した白起は、しばらく病気療養します。
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