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呉鳳明が攻城兵器を使う理由
さて、魏で唯一かなり目立つキャラクターの呉鳳明と言えば、井闌車のような巨大な攻城兵器です。でも、城攻めは簡単な事ではなく、それも難攻不落な函谷関に攻城兵器をぶつけるのは、かなり無謀ではないでしょうか?
kawausoは、いかに目立つ為とはいえ孫子兵法にも、城攻めは下策とされている事を、頭脳明晰の設定の呉鳳明にさせるのはどうかと思っていましたが、実は孫臏の著書「雄牝城」には、せめるべき城とせめるべきでない城が記載されていて、そこには、攻めるべき城として、高い山に囲まれて、深い谷も段丘もない城を挙げているからです。
このような地形では、左右の山を取る事が出来れば、投石や矢などで集中攻撃が出来るので、必ずしも避けるべき城ではないと孫臏は説いています。これを併せて函谷関を見てみると、高い山と山の間を土壁で封鎖した形なので、周囲に谷も段丘も存在しませんので、攻めるに容易い城という事が出来るのです。
魏兵はエリート主義で少数精鋭
魏は土地が狭く多くの敵に国境を隣接しているので、大勢の兵力を維持するのが難しく兵士を徴兵ではなく試験による選抜で選んでいたようです。つまり「量より質」という事で兵士を出した家は様々な優遇措置を受けられたので、他国と違い兵士になれるのは魏の貧しい庶民にとっての憧れでした。
それでも兵士になりたい庶民には、選抜試験に合格する手がありましたが、これが過酷で選抜試験では兜を被り、上下三種の鎧を身に付けたうえで、五十本の弓矢を入れた箙を背負って、戈をその上に置きさらに剣を腰に佩いて、3日分の食料を背負った上で真昼に40キロの道のりを走破し、最期に十二石(370キログラム)の弩を撃つことが出来れば試験に合格という無茶苦茶なものでした。
少数精鋭主義は、確かに強い兵を育てたでしょうが、兵が少ないので大敗すると、簡単に補充出来ない欠点があり、紀元前241年に合従軍に失敗した後は、ほとんど外に撃って出る事がなく、逆に秦にガンガン押し込まれて、最後は大梁に籠るしかなくなり、王賁に黄河を決壊させられて水攻めになり、降伏する最期を迎えるのです。
孤立無援だった魏
魏は紀元前225年に秦の将軍王賁によって王都の大梁を水攻めにされます。
一見すると無敵のような水攻めですが、準備段階に時間がかかり、この間に攻撃を仕掛けられると作戦が失敗するリスクがありましたが、魏は外から大梁を救う兵力がなく、また、まだ存命だった楚や燕には援軍を送る力がありませんでした。
ここで、魏に外交能力があれば、王賁の水攻めに対して、絶えず圧力を掛ける事も出来たでしょうが、何しろ、同時代の秦の歴史書魏世家には、ろくに人名も出てこないのです。漫画のキングダムでは、もう少し盛り上がるのでしょうが、史実の魏の最期は孤立無援で引き籠るしかない無残なものでした。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
魏の最期にはきっと呉鳳明が関わってくるとは思いますが、どうなるのでしょう?
王賁が黄河の流れをせき止めるのを必死で妨害してくるのでしょうか。なにしろ、史実では存在しないキャラなので、どんな動きをするかもわからず全く読めないです。
参考文献:春秋戦国英傑たち 五覇七雄の光芒 双葉社
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