【特別企画】清くも正しくもなし!でもメチャ面白い古代五輪の世界

2020年4月29日


古代オリンピック 特集バナー ver.2

 

近代五輪を提唱したクーベルタン男爵は古代ギリシャマニアであり、当時の考古学調査により発見された古代オリンピックの精神に則り、世界中のスポーツマンが競技を通して交流し世界平和を実現しようと考えたそうです。

 

そんなクーベルタンの理想を考えると、さぞかし古代オリンピックは、今と大違いで腐敗も不正もない清々しいアスリートの祭典だったんだろうな、、と思ってしまいます。

 

でも、古代は古代でやっぱり人間は清くも正しくもない欲マミーレだったのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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地中海世界から集結!7万人のスポーツバカ

聖火を持って走る古代ギリシャ人

 

古代オリンピック、それはギリシャペロポネソス半島の西、エリスというポリスの版図にあるオリュンピアという片田舎で4年に1度開催された大神ゼウスに捧げるスポーツの祭典でした。記録で確認できる限り、紀元前776年から紀元後393年まで1100年、一度も中断される事なく続いたというのですから、凄いの一言です。

肉体を鍛え競争を好んだ古代ギリシャ人

 

オリュンピアには地中海世界からやってきた、鍛え抜かれた800人のプロアスリートが集い、全員素っ裸で、戦車競走、徒競走、槍投げ、走り幅跳び、ボクシング、レスリング、パンクラチオン、円盤投げのような競技で力を競い、勝者に与えられる栄光の月桂冠を求めました。

古代オリンピックの戦車競走(古代ギリシャ人)

 

もちろん、この世紀の祭典をこの目で見たいというスポーツバカは地中海全域にいて、遠く黒海やイベリア半島から船や徒歩で、多くの危険を乗り越え7万人もの大観衆が集まったそうです。

 

当時のギリシャ都市国家は、この7万人の旅行者の旅の安全を図る為に、オリンピック開催の前後2カ月、全ての戦闘行為を禁じていたのです。スポーツバカの旅の便宜を図る事こそが古代の停戦の理由なんですから愉快ですね。

 

戦争よりもオリンピック!呆れたギリシャの戦士

クセルクセス1世(アケメネス朝ペルシアの王)

 

現代にもスポーツに全てを捧げたバカはいますが、それでも古代ギリシャ人には勝てないでしょう。なにしろ紀元前480年、ペルシャのクセルクセス王が100万の大軍でギリシャに侵攻した時、スパルタ王レオニダスと300人の戦士以外の数万のギリシャの戦士は、オリンピックレスリング決勝を見たいという理由で参戦を拒否した程なのです。

戦車馬車競争で1位になり最高の名誉を得る勝者(古代ギリシャ人)

 

ペルシャは毎年攻めてくるかも知れんが、俺達のオリンピックは4年に1回なんだ!と言ったかどうか知りませんが、桁外れのスポーツバカぶりが清々しいです。

 

結局、たった300名のスパルタ兵に足止めを食いギリシャに敗北したクセルクスは、オリンピックの真実を後で聞き、ギリシャを攻めるように進言した重臣を軽蔑(けいべつ)したと伝えられています。

 

あんなスポーツバカ共と戦わせんじゃねーよ、、という事でしょうか。

 

生命よりもスポーツ 呆れたスポーツバカ観衆

お互いを罵り合う古代ギリシャの金持ち

 

一方で、スポーツに捧げる情熱では、庶民だって負けてはいません。

 

古代オリンピックは祭事の為に観覧料は無料でしたが、代わりに観客に便宜を図る施設は、ほとんどありませんでした。考えてみると当然です、4年に1度しか満員にならない施設なんか建築するわけありません。

 

つまり、観客7万人は身分を問わず全員その辺にテントを張り野宿、おまけにオリュンピアには上水道も下水道もなく、排泄は枯れた川、水は商魂たくましく高いワインを売りつけてくる商売人から買うしかありませんでした。

孔明のテントがある野外のシーン

 

古代のオリンピックは5日間の日程ですが、早い人は1カ月前くらいから陣取るので、あっという間に衛生環境は悪化、そこら中を銀バエが飛び回り、夏の日差しによる熱中症や感染症で亡くなる人も珍しくありません。おまけに当時の競技場スタディオンは、その名の通り、立って観戦するものでした。

 

朝から晩まで続く競技で、強い紫外線にさらされて立っていられる体力があるものだけが、世紀の祭典を楽しむ権利を持ったのです。

kawauso

 

こんなに苦痛に満ちたオリンピックなのに、7万人の観客は閉会式が終わるまで昼間はじっと暑さに耐え、アスリートを応援し、夜はワインと料理でどんちゃん騒ぎをして一人も帰りませんでした。なんという清々しいスポーツバカでしょうか!

 

八百長、名声と富、欲まみれの古代オリンピック

ギリシャ神話の大神_ゼウス(神話)

 

古代オリンピックの勝利者に与えられるのは月桂樹の冠一つでした。しかし、それは名目だけであり、オリンピックの勝者は故郷で英雄扱いされ、一生無料で食事できる権利や、多額の現金、演劇場の専用ボックス席などを特典に与えられました。

 

また、オリンピアンを育てあげたコーチも同じように賞賛され、本を書けば飛ぶように売れ、門前には指導して欲しいと多額の金を積み上げて教えを請うアスリートが列を作りました。

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

実際にオリンピックで勝利する事が貧しい庶民が貧乏から抜け出す手段であったので、スポーツマンシップとは程遠い、八百長、買収が横行、大金さえ出せれば勝利できるという汚辱に塗れた大会も普通にあったのです。

 

しかし、基本は富と名声を得る為に全てをスポーツに賭けたアスリートの血と汗と涙は、多くの観客の心を打ち、沢山の名勝負と途切れる事がないスポーツファンを産み出しました。

 

いいじゃないですか!スポーツに名声や富を求めても、その為に真摯に努力するなら、結局、その行動は気高く美しいのです。でも八百長はよそうね!

 

古代オリンピックの歴史配信日時

週刊誌を楽しみにするkawauso様

 

古代オリンピックの歴史は以下よりお読みいただけます。

 

【配信スケジュール】

第1回目:古代オリンピック1100年も続いた愛と欲望と狂乱の祭典を解説

第2回目:【古代オリンピック】魔のヘアピンで死者続出炎の戦車レースとは?

第3回目:【古代オリンピックの舞台裏】一攫千金を夢見たアスリートとコーチのスポ根物語

 

古代オリンピック

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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