袁紹は英雄たる器ではなかった?不遇な袁紹をフォローしてみたい

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袁紹は英雄たる器ではなかった?(1P目)


袁紹ってどうして曹操に負けたの?

曹操にコテンパにされる袁紹

 

さてここまで言ってくるとどうしてそんな袁紹が曹操に負けたのか?

どうして袁紹の家は滅んでしまったのか?

 

後継者を決めずにダラダラする袁紹

 

そんな疑問点が浮かんでくることでしょう。個人的には一番大きいのは油断であると思います。曹操は当時、袁紹に比べるとかなり弱小であった、そんな油断が袁紹にあったのでしょう。

 

荀彧に手紙を書く曹操

 

また勘違いされる方がたまにいますが、官渡(かんと)の戦いは簡単な曹操と袁紹の戦いではなく、曹操陣営が必死に各所で小さな勝利をもぎ取り続け、

 

食糧庫を焼かれて慌てる袁紹軍

 

最終的に兵糧(ひょうろう
)
庫を攻撃できたことで何とか勝利できた奇跡のような戦なのです。決して袁紹が無能だったという訳ではありません。


強者の油断

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

実際に当初、戦力差によってどんどん曹操は追い込まれていっています。むしろ勝ちすぎたからこそ油断を産み、敗北を産んでしまったのでしょう。この戦いとちょっと比較したくなるのが赤壁での曹操の大敗ですね。

 

魏曹操と魏軍と呉軍

 

この時だって曹操は敗北するなどとは思ってはいないはずです。しかし官渡の袁紹も、赤壁(せきへき)の曹操と同じく大敗したもののまだ死んではいません。そう、ここでも袁紹は大敗を乗り越えて再び曹操と戦うべく態勢を立て直していたのです。


致命的な敗北

亡くなる袁紹

 

しかし態勢を立て直している最中に、よりによって袁紹は病死。そしてこの時に全ての命運が付きたのでしょう。そう、筆者の考える個人的な袁紹の敗北は

 

袁紹、袁尚、袁譚

 

息子たちの内輪もめです。もちろん袁紹の育て方に問題があった、後継者問題をはっきりさせていなかった、これは袁紹の失敗と言えますが、個人的には袁家を終了させたのは袁紹というよりも「袁紹の息子たちの致命的な内輪もめ」があると思ってしまうのですが……どうでしょうかね。


三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

劉表がある意味で最高のタイミングで死んだなら、袁紹は最悪のタイミングで死んだと言えるでしょう。この時にもしも袁紹が死なないでいたならば、三国志はどうなったでしょうか。筆者は官渡の失敗を振り返ってからまた盛り返していく袁紹も有り得ると思うのですが、皆さんはどう思いますか?

 

参考文献:魏書袁紹伝 公孫瓚伝に引く「典略」

献帝春秋

 

関連記事:官渡決戦は寛治vs猛政統治モデルの激突だった!

関連記事:荀攸は官渡の戦いの真の立役者はだった!正史『三国志』から発覚!?

 

【三国志の時代の流れを決定付けた重要な戦い】
官渡の戦い特集

 

 

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