袁紹は英雄たる器ではなかった?不遇な袁紹をフォローしてみたい


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正史三国志_書類

 

正史三国志を含め、三国志演義などを読んで色々な英雄たちが出てくる群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の時代に思いを馳せる人は多いと思います。その中から「英雄」を選ぶとなるといったいどんな名前が挙がるでしょうか?

 

袁紹を裏切る張コウ(張郃)

 

いいえ、本題から言いますとそこで「英雄として袁紹(えんしょう)」を挙げる人は殆どいないのではと思います。確かに袁紹は大体「名門だけの人物」「優柔不断で家を潰した暗君」などと言われることがあります。

 

今回はそんな袁紹を少しばかりフォローしたいと思います。

 

自称・皇帝
当記事は、
「袁紹 英雄」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 


袁紹の評価

晋蜀の産まれ 陳寿

 

まずは三国志と言えばこの人、陳寿(ちんじゅ
)
の評価を見てみましょう。

 

陳寿(晋)

 

実は陳寿は三国志において袁紹を「威容堂々、名声天下に轟く人物」としています。

 

後継者を決めるのに困っている劉表

 

が、その一方で劉表(りゅう ひょう
)
と並べられて「決断力に欠けている。優れた人がいても使うことができない。跡継ぎ問題で揉めた。だから死後に子孫が困って領地を失った」と言われており、曹操(そうそう)孫権(そんけん)の後継者問題の際にまでもこの袁紹と劉表の話を引き合いに出されるほどです。


統治者としての袁紹

袁紹

 

しかし後継者問題でやらかした袁紹ですが、後の世に「袁紹様の治世が懐かしい」と言われていたことから、統治者としては実は曹操すら凌いでいたのでは?とも思われることがあります。

 

村人(農民)

 

国の民に慕われているというのは統治者として大事なことであり、戦う際に敵国は非常に攻めあぐねます。このこともあってか、曹操は袁紹が生きている間は自ら袁紹と戦うようなことは避けていた節もあるのです。

 

苛ついている曹操

 

もしかしたら曹操はその点に関して袁紹を強敵として評価していたのではないでしょうか。


当時としては「異質な」袁紹

君主論24 曹操

 

さてここでちょっと群雄割拠のこの時代を見返してみましょう。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

当時としては、各所で小競り合いはあったとしても積極的に他の領土に攻め入ろうとする人物は意外にも少なかったのです。しかし袁紹は違いました。

 

公孫瓚を倒した袁紹

 

袁紹は河北で公孫(こうそん)サンらと積極的に対決し、領地を確保するという「優柔不断な人物」とは思えない行動力を見せています。この辺は見直すと「決断力に欠ける人物」とは思えない人物であったと思いますね。


袁紹はどうして献帝を迎えなかった?

献帝を保護する曹操

 

一方で、曹操や董卓(とうたく)のように献帝(けんてい)を迎えなかったのかという疑問点も残ります。そこで気にかかったのが袁紹の出生(しゅっしょう
)

 

袁紹の妃 劉氏

 

実は名家のお坊ちゃんのイメージが強い袁紹ですが、母親は身分の低い女性であったと言われており、袁紹に才能がなければ歴史に名前は残らなかった立場だろうとも言われているのです。

 

袁紹と曹操

 

このため袁紹は実は身分の高い人物にコンプレックスがあり、自らの才覚で成し遂げようと思っていたのではないでしょうか?だからこそ袁紹はむしろ攻め手に回って何かを成し遂げようとしていたと考えると、その積極的な勢力拡大にも納得がいくと思います。

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