陳寿の曹操アゲ発覚!官渡の戦いの曹操軍は1万人じゃない?

はじめての三国志_ページネーション

こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。

官渡の戦いの曹操軍は1万人じゃない?(1P目)


結論:曹操と袁紹の兵力差は陳寿が言う程ではない

曹操にコテンパにされる袁紹

 

曹操軍の将兵は、公孫瓚を(ほふ)り北方四州を併呑して十数万の兵力で許に南下してきた袁紹を見て、勝ち目はないと考えて怯えていました。それを何とか覆そうと曹操は

 

「袁紹は見てくれだけのポンコツで、兵力と国土と食料が豊富でも、部下は派閥で喧嘩して兵は法律を守らないのだから、どうせ全ては俺へのプレゼントになる」と吹きまくっています。

呉と蜀を倒しに南下する曹操軍

 

曹操の強がりを見ると、袁紹の兵力が曹操を上回り、2倍とか3倍という可能性はあるでしょう。しかし、10倍差というには曹操は積極攻勢に出過ぎており無謀な感じがします。

 

また、袁紹軍は官渡城を包囲しておらず、自国の兵が敵の10倍なら囲めという孫子の兵法に反した方法を採用しているので、10倍までの兵力差は考えにくいのです。そこから見ても、曹操と袁紹の兵力差は少なくとも倍、多くても5倍はないのではないかとkawausoは考えます。


三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

陳寿はやはり、晋王朝におもねって曹操の功績を盛ったのでしょうか?

 

その可能性は高いとは思いますが、ただ、正史三国志には戦う双方の兵力の多寡について必ず記しているわけではない点にも注意が必要かと思います。

 

これが後世のいわゆる戦術書との違いであり、いかに勝ったかという具体的な方法よりも、人物の叙述が中心になる三国志の性質を見ると、一々、兵力について調べてられないよと陳寿が考えて、悪気はなくショートカットした可能性も考えられます。

 

少なくとも曹操は兵力的には袁紹より劣勢だった、だが10倍差という事はなかったというのが官渡の戦いの真実なのではないでしょうか?

 

参考文献:正史三国志

 

関連記事:霹靂車とは何?三国志の最強兵器?官渡の戦いで大活躍した兵器

関連記事:官渡決戦は寛治vs猛政統治モデルの激突だった!

 

【三国志の時代の流れを決定付けた重要な戦い】
官渡の戦い特集

 

 

< 1

2

関連記事

  1. 荀彧
  2. 弩(ど)を発射させる蜀兵士達
  3. 曹操様お守りします
  4. 劉禅と結婚する敬哀皇后
  5. 多様化が進む蜀の国
  6. 周瑜と孫策

コメント

  • コメント (1)

  • トラックバックは利用できません。

    • 匿名
    • 2020年 5月 19日

    そもそも陳寿にそんな意図は無いのでは?
    袁紹の総兵力が十余万という記述は両者の全面戦争が不可避になった時の話であり、曹操の兵が一万足らずというのはそれから青州攻め・劉備を袁術討伐に派遣・劉備離反・于禁が袁紹撃破・曹操が劉備その他撃破・袁紹軍渡河と劉延救援・白馬で顔良撃破・南阪で文醜撃破・袁紹本隊と交戦と一年かけて連戦を続けた結果の官渡籠城軍の話で、先の袁紹十余万の話とは繋がりがありません。
    ただ先鋒の一部隊でしかない文醜と劉備が5~6000の軍勢を率いていますので、官渡の曹操本隊と袁紹率いる遠征軍の兵力差が非常に大きいことに変わりがないでしょう。


はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

3冊同時発売

“脱税の歴史

“三国志人物事典"

“ながら三国志音声コンテンツ"

“if三国志"

PAGE TOP